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絶え間なく注ぐ愛の名を。

 その日、壊れてしまった家のトイレの修理のための見積もりに業者の方が来るというので家から出ておいてと母に言われ、昼過ぎに家を出る必要があった。


 本人は違うと言い張るけど、太りに太った父が体重をかけすぎたかして壊れてしまったのではないかと勝手に思っている。いやまあ、トイレ壊すほどではないから違うのかな。でも、


 細すぎて栄養がないのも健康的ではないけれど、飽食と管理不足の溢れ出るメタボは、健康に良くない。


 ちょうどいいくらいの栄養をとり、程よく運動し、程よく休ませるのが健康的な身体であるだろうし、その健康的な身体も日々の習慣と管理が必要である。





 お昼を過ぎて日が傾いてきたのに23〜24℃を保つ温暖化の進むこの地球(ホシ)の、小さな島国日本の、さらに小さな都市東京のなかの、23区分の一の、さらにその中のカフェの席で、後ろに微かな冷房と大きな冷房音を感じながら、


 いったい日本は、この地球は、どこまで温暖化が進んでしまったのだろうかと思っていた。


 私が中学受験生で、愛・地球博でモリゾーとキッコロが地球温暖化防止のためのアイコンになっていた時よりずっとずっと地球は熱い。


 2月にあがっていた記事の中には、温暖化で溶けた氷による海面上昇は進んでいて1880年以降平均海面水位は23cm上昇し、今も毎年0.25cmずつ地球全土に渡り海面上昇は続いていると書かれていた。さらにアメリカ海洋大気局(NOAA)の2月の発表では2050年までに海面は25〜30cm上がるらしい。




 ちなみに、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の「第5時評価報告書」によればこのまま温室効果ガス濃度が上昇すれば2100年までに最大4.8°気温が上がり、海面は82cm上昇する見込みだと言われている(バウンド, 2020)。


 小さい頃に訪れたモルディブは、サムイ島は、
ビンタン島は、プーケットは、ホア・ヒンは、いつか沈んでしまうのだろうか。もちろん、そのうちこの島国、日本も。


 夏が近づいてあまりの暑さを感じる時、
冬が近づいて近年で1番寒いだとか、逆に暖冬だとか言われる時、「ああ、地球温暖化はかなりの速度で進んでいるのだ」と気づく。高熱のすすむ地球は、熱に浮かされて体調が悪い。


 それで、環境保護、地球温暖化防止とは言うけれど、結局、人の居心地の良さや熱中症予防、人間が熱さに耐えかねて冷房がつけられ、お店などではお客様の心地よさのために、寒すぎると思うほどにガンガンに冷房を入れるところも多く見られる。


 SDGsの13番目の目標には、
気候変動への具体的対策があるが、残り8年でどれほど改善しているだろうか。それも、エコ、エコと叫ばれ、エコバッグ持参、袋有料などが進められる中のこのコロナ禍、感染症の世界である。エコバッグから感染する確率は低いと思うけれど、マスクは使い捨て、コロナ感染者に使用したものは医療廃棄物と、エコ推進できない部分もある。



 そんなことを、とつ、とつ、と頭の中で浮かべながら追い出された家から街に出て、冷房のよく効いたカフェのなかでこのnoteを書いていたら、あっという間に17時を過ぎていた。



 天気は良く、夕方になってそよ風が髪を揺らす外の方が、冷房がガンガンのカフェでマスクのまま、じっしているよりよほど涼しく感じられたし、同じく冷房がガンガンについているスーパーの中を通ったら、入った瞬間から冷房が強く寒くて、下着からカーディガンも含めて4枚も着ているのに寒さで先程まで熱を持っていた身体が震えそうになった。

 こんなに冷やしてくれなくていいのに。寒すぎて何も見る気になれず結局、夕方でも、モアっと暑い空気の方がマシに感じて外へ出た。


 冷房をガンガンに入れている時、部屋の中は涼しいけれど、それは部屋の空気から熱だけを外に追いだしているから涼しく感じられるようになる。これが冷房の仕組みであると、小学生の時に習った。室内機をエアコンと私たちは呼んでいるけれど、室外機と室内機は2つで一つでパイプでつながっている。そのパイプに冷媒という物質が駆け巡っていて冷媒に部屋の空気の中から熱だけを乗せて外へ送っている。そして冷たい空気だけが冷房をつけた部屋の中へ送り出される。この仕組みはそういえば中学受験をはじめた小学校中学年の頃か5年生頃に軽く勉強したはずだ。


 エアコンの温度が低ければ、部屋の温度をそこまで下げるために外へ送り出される熱量も増える。だから室外機から出てくる熱を持った空気も増える。多分そういうこと(ちょっと理科はわからないけど)。




だから、冷房の温度を低くしすぎないこと、
逆に暖房の場合高くしすぎないことが地球温暖化防止になるという話だったんだろう。


地表面が熱くなってきたから、人の感じる温度もあがってきて、36℃前後の体温を健康として生きている私たちは熱さで上手に体温調節ができなくなっていたりもする。すぐに手に入る目の前の涼しさを求めて、または"お客様の快適さ"のために室内で冷房をガンガンに入れることで、結果その外はさらに熱くなっている。 



おまけに、(もちろん体格差や人による差はあるので一概に言うわけではないけれど)比較的男性より女性の方が寒さを感じやすいのは、その体格差、つまり筋肉量による。そう考えればムキムキの女性より骨の細い男性の方が寒さに弱いことになるので女性、男性でわけるわけでもないけれど、結局のところ、身体女性は身体男性と比較した時に多くの熱を生み出す筋肉量は少なく、断熱材となってしまう皮下脂肪がつきやすい身体つきであることから、血行、新陳代謝も悪くなる。また、子宮や卵巣など臓器が多いことで血液の流れが悪くなりがちで保温できない、という違いにより、多くの女性は冷えを感じやすいし、冷えに弱いらしい。


環境保全で弱冷房が導入されてきたにもかかわらず、お店に来るお客様それぞれに合わせるわけにはいかないとなると、寒さは着込めばなんとかなるけれど暑さは脱ぐしかないから、という理由なのか冷房が強いお店は多い気がする。




はじめに述べた地球温暖化の要因は、ご存じのように、二酸化炭素などの温室効果ガス(大気圏にあり、地表から放射された赤外線の一部を吸収して地球に膜を張るような感じで水蒸気、二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素、フロンなど地球を温めてしまう空気の層ができてしまう)、この小さな島国日本は2020年調べでも、二酸化炭素排出量ランキングは中国、アメリカ、インド、ロシアに次いで5番目に多く世界の3.4%を占めているという(バウンド,2020)。


 地球温暖化は長期的・継続的・全体的な目標であり、愛・地球博や京都議定書は、始まりやきっかけなだけなのに、わかっていても地球よりも、目の前の自分の命のための冷暖房を優先してしまうし、もっといえば必要以上に夏に冷房ガンガンのサービスをお店も電車も感じる時が多い。


 私たちが熱に浮かされた時、身体は汗をかいて自らの熱を下げ、外から冷たくしたり、栄養をとって休むことで回復していく。熱に浮かされ続けながら、呼吸をし働き続ける地球上にも、地温を下げ、環境保護をしなければ地球という身体は回復せず、地球にも限界がきてしまう。(この、限界をSDGs用語では「プラネタリー・バウンダリー」という)


 人間活動と気候変動による生態系の混乱に起因する自然災害は増えており、種の絶滅リスクは過去25年間で約10%悪化した。陸地面積の20%は、2000年から2015年の間に砂漠化、森林破壊、不適切土壌管理、耕作地拡大、都市化などで劣化し、森林面積は31.1%から30.7%、ケニアと同じくらいの面積分減ったとされている(バウンド,2020)。


 なんでも、「過ぎる」のはよくないな。


 コロナ禍でマスク生活により、夏場もマスクをしたままでいることから熱中症にいっそう、気をつけなければならない。体温調節は多くの人がうまくいかなくなっているだろうし、熱を放出できない分、身体にこもった熱に暑さを感じ、また外から感じられる空気を冷たくするためにこの夏も冷房ガンガンのサービスがあらゆるところでもっと出るかもしれない。既に、冬は暖冬が多く、寒い日は突然一瞬寒くなる。デング熱を媒介するヒトスジシマカは1990年代を境に分布域が広がり、魚の漁獲量は変化し、台風や豪雨が増え、海面も上昇している。既に地球の環境は目に見えて変わっている。


 暑いから冷房をつけ、冷房を寒いと感じる人が上着を着ればいいなんて、人は簡単に脱ぎ着で着込んで寒暖を調節しようとするけれど、脱ぎ着できない地球はこのまま大気中の二酸化炭素量等が増え続ければ、厚着するように層があつくなり、熱を放出できなくなって、体温調節ができぬまま熱に浮かされて倒れてしまうだろう。


 今年の頭だったろうか。
「最終兵器彼女」というアニメを観た。
観ていてもなかなか内容理解が難しくて、やっと最終回になって、もしかしたらこういう意味合いのアニメだったのかなと妄想することしかできなかった。もちろん、設定や描写を考えれば、間違いなくそれであるといえるだけの要素があるわけではないけれど、私は、「最終兵器」となっていく主人公のちせは、地球を現していて、最後、地球の最後と人類の滅亡を自分がちせとともにシンジか亡くなっていくことで表現されていたのかなと考えた。(人間の部分を「ちせ」、支配されている別の顔を「チセ」として観ていたのでそのように記載する。)チセが兵器というのは、どんどん破壊され荒れていく地球になっていくことで、兵器として出動するたびに(それもその出動は自身の意思に関係なく命令的に強制されるもので)ちせ自身は身体から血を噴き出していた。チセが地球なのだとしたら、地球自身には止められぬ人類による環境破壊や技術革新の結果としてカラダが熱くなったり、森林や海という身体が破壊されていき、それでもその兵器としての出動は人類という外部のものによりなぜか強制されていて、少しずつ地球自身ではコントロールの効かないところへ向かい、チセが出動しなければならなくなるたび、そのうち出動の意思の有無にかかわらず強制出動の結果としてちせの身体中血だらけになって倒れるように地球も"血を噴き出して"傷ついている、


という表現だったのかな、とふと勝手な妄想を働かせた。


 最後に亡くなる前、主人公シュウジのナレーションでこう流れる。


ー 地球が震える音、それがチセの心臓部の音に聞こえた。それはこの星と僕らの最後の精一杯の歌声、ラブソング。 ー
アニメ「最終兵器彼女」より



 これは勝手に私が重ねただけなので、
原作者や監督の意図とは全く異なるかもしれない。


 人類の営みに巻き込まれ、地球が壊れてしまう。


 環境保全の場では、このままでは"人間が生きられなくなる"というような言われ方がされたりもするけれど、それは少しエゴが過ぎると思う。

 地球誕生以来、さまざまな生命を経て人類が生きるようになってきたわけで、そのわたしたち人類の営みの結果に、人類だけでなくさまざまな生命や自然を壊し、変化させてしまい、地球温暖化という世界の変化に駆り出し、たたかわせ、そしてこのまま、地球の吹き出す血に、その痛いと叫ぶ声にどうにもしていかなければ、最終兵器のホシはずっと先の、見えない未来だったとしても滅んでしまうのかもしれないな。


 とりあえずは「ちょうどいい」がどの程度なのかを知らなければ、とふと思った。


 永遠があるのかなんてわからないけれど、
もう少し遠い遠い未来の地球のためにも動くべきだ。未来は過去の積み重ねでしかないから。



#地球温暖化

#sdgs

#最終兵器彼女

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