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人生を変える30日チャレンジ22


 トルストイは言っていた。

ー 孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる。 ー



最近は、意識的に前向きに、

マイナスに引っ張られないように
コントロールし、
うまくいっていたのに

昨夜は、2時半近くなっても寝られず、

元彼を思い出して涙し、

寂しくて、悲しくて、

彼氏もなく仕事もなく健康もない、

才能のない身体は一層重く感じて


久しぶりに、

「どうして生きてるんだろう」と

とてつもなく苦しくなってきて
1時間以上涙を流していた。


 スリープモードにしていたスマホを
あけて、


 Twitterに、思いを一度ぶちまけた。


 自分のできないこと、

 好きだったのに、彼の気持ちが離れていることに気づいて自分が去った元彼、


 好きだった人に振られたこと、


 見知らぬ人にブスと言われたこと


 小さい頃から周りについていけなかったこと、


 周りと同じように生きられなくて毎日周りに合わせているつもりのそれで必死で、それでも周りから浮いていたっぽかったこと、

 ずっと「可愛くない部類」
として生きてきたこと

 でも、自分は「ブスなのだ」と思うことは両親に失礼なのではないかという気持ち


 小さい頃から今もずっと頭が良くなかったこと

 それなのに努力できなくなったこと

 どんどん色々なことができるようになって成長スピードもはやくなっていく同級生たちに、年々ついていけなくなって、大学生以降10代以前よりずっとずっと生き苦しかったこと


 様々なことをが次々によぎる。



 今、友人伝で応募した仕事も
もう履歴書を書いてから2週間経っているから、だめだったのかもしれない、
と思った。
(ちなみに、昨夜真夜中に、
「そういえばあの履歴書送った?」とLINEがきて、彼は確認してくれだけで自分で送らねばならなかったことを知る。)


転職活動をはじめた
2018年度夏前からもう何度目の

“あなたはいらない"

だろう。



 友人たちは遠くなっていく。
いつも頼って甘えていた友人には
お子さんができた。

 同じような道を歩んでいた友人は
結婚した。

 周りの友人たちも、
ずっと会っていないけれど、
立派に仕事をしている。


 わたしだけが、いつまでも
自立もできず、いつまでも
未熟なのだ、と改めて認識する。



 好きな人に好きになって
もらえたこともない。

 彼氏になった人と
うまくいったこともない。


 私が未熟で、
愛される努力をしていないからだ…


 わかっていて、それを言い訳にしないようにしようという意識になってきたのに、久しぶりに大粒の涙が溢れてきた。


そして、外気温6℃の冬の、
寂しいベッドでひとり布団の中で、

だんだん苦しくなってきて、
久しぶりに、脳が酸欠で熱くなるほど
過呼吸になった。


 その時、ふと、2019年末、
最も信頼する友人が言ってくれた


「息を吐け」 という指令が
頭に浮かぶ。



ふー、ふーーっ、 ふぅぅぅー…

と吐き出した。


 すると、突然、

 起伏激しいな、と自分でも
呆れるくらい突然、

 さっきの過呼吸と涙は、
なんだった?というくらい突然、
冷静になった。


時刻は既に夜中の
2時半近くなっていて、

 あ、だめだ。今のわたしは
過去のわたしと同じだ、
 これを言葉に残していたら
過去のわたしに引っ張られる、と
頭に浮かぶ。

 とてもとても、冷静になっていた。




昨夜の夜中の、この状態、

もっと正確にいえば、この
チャレンジをはじめてから意識して
過ごすからなかなかマイナスに陥ることを考えなくなっただけで

それでも、
2021年になって随分と
私の生きる意識が変わってからも、
恋愛についてだけは、
ひどく感情が、しかも主に泣くという行為へと揺さぶられていたから、
その恋愛で揺さぶられすぎた
感情の不安定な揺れで涙する時

ただただ、辛くなっては涙が流れ、

いやいや、だめだ、
こんなんではまた昔の私に戻る、
と心に鞭打っている。


 しかし、昨夜は、
「孤独」を意識的に感じ、受け入れ、その時間を確保し、大切に味わわねばならないのだ、とふと浮かんだ。


アメリカの、
小説家でありコラムニストでもある
ピート・ハミルは言っていた。

ー 自分の孤独の時間を自分で
きっちりできないような人には、
他人を愛する資格はないと思う。
一人で生きていくことができて初めて
人を抑圧することなく愛せるんだと考えている。 ー



 私は、いつからか
「孤独」が苦手になった。

 人と初めて付き合った時から、
私は弱くなった。


 恋をするといつも弱くなる。


だから、多分私はまだ愛を知らない。


愛は弱くならないらしい。



過労で入院して持病ができ、
小さいことでも苦しさをひとりで
抱えることが苦手になった。
とてもとても、弱くてやわで、
悪い意味で勝手にセンシティブな人間になった。

 病気の原因はあるかもしれない
けれど、それを病気をしてから、と
病気の由来にしている今の私は、
自覚している以上に、情けない。


 それぞれに違う経験でも、
みんなやはり何かしらの
孤独や辛さを抱えて生きているのに、

 同級生たちは皆、きちんと
「大人」という生活を
まっとうしている。

 
 元彼を思い出して涙する私だって
あの時、別れたことを
後悔しているわけではない。


 あのまま付き合っていたら、
私は今ほど人として進めていなかった。

人付き合いを変えることもなかった。

 自分で自分を大切にすることも
 自分で自立しようともがくことも
 自分で様々なことをコントロールしようとすることも

 気づけなかった。それで、
あのまま、(今の彼は知らないから)
あの頃のあの彼と付き合い続けても、


 そこには、堕落か退廃しかない。


 それをわかっていながら、
真夜中に、おいおいと悲嘆にくれかけた私には、このチャレンジこそ、
まさに今日、必要だったろう。


チャレンジ22日目
「孤独の時間を確保する」



 この日は仕事があるから
なかなか“孤独”の時空感を確保するのは
難しい気がするけれど、
 必要な時に必要なチャレンジがきた。

 孤独の時間は、物理的・空間的孤独だけのことではないのだ、

と前夜に認識しておいてよかった。



 寝不足のまま4時間ほどの睡眠で
7時半頃に起きたものの、あまりの眠さに再びうつらうつらして、隣の部屋で
リモート会議をしている父の声が耳に
しっかり聞こえたまま私はさらに2時間夢の中にいた。

 最近、すっきり眠れない。

 家にいても、リモートワークの父が
ずっといたり、専業主婦の母も、
ヨガやゴルフがなければずっと家、

 仕事は全然増えなくて週に2回ほど、

 一応、週3回ほどは最低でもジムに
出かけるけれど、
 1月は疲れていたり友人と会う予定があったりでなかなかに行けないし、

ジムに行ったってセミパーソナルだから
周りにたくさん人がいてトレーナーさんもよく声をかけてくる。

2月以降どうしようかと思って土日には
毎週、何かしらフィットネスか何かの
体験を入れていたから、話す量も多かった。


 少し触れる時間を減らしているけど
それでもたくさんSNSを開くし、
そこでも友人たちとのやりとりもあるし、開けば友人たちの動きもわかる。


コロナで、
人と会わなくなったものの、
人と交友をすることを意識的に
避けるようになったものの、


孤独はなかなか
つくるのが難しい。



 「他の人との接触、関係、連絡のない状態」を、この21世紀につくりだす
のは、かなり意識的に行動しないとできない。




 ちょうど昨日、英語学習などを
発信するATSUさんのルーティン動画を
YouTubeでみて、

 1日の始まりは、
コーヒーを淹れ終わるまでは
携帯をスリープモードにして
通知も来ないようにするし
携帯にも触らないのだ、

と仰っていた。

 ATSUさんは以前にも、

 
 人に流されないように、嫌なことに時間を割く時間を減らすために、
普段から携帯を近くにおくと通知などで気が散ったりずっと意識のなかにスマホがあるから、自分のみたいタイミングでしかスマホは見ないようにしている、

と語っていた。


 せっかくそれを見習って、
スマホ依存症なみにいつも
スマホを手にしているわたしも、
スリープモードを使い始めたのに

 あっけなくやぶってしまったわけだ。


 何度も言うが、毎日意識しないと
やはりシステマ的な呼吸、冷静さ、
心の安定を体得するのは難しいようだ。


 朝からずっと会議で、
話の内容まで全部隣の部屋の
私に丸聞こえの父の声に辟易しながら

 孤独な時間を得ることについて
考えた。


 私は、1人の時間がかなり好きだ。

いや、1人の時間がなければ
苦しくなってしまう。

 リモートが多くなったこの時期
でなくても、家にいると母がいることが多いから、以前からよくカフェに長い時間いたりした。

 自粛期間中は、外に長時間散歩に
出るようにしていた。

 正直、自粛する、家にいる、
というのは地獄だ。


 
 恋人とも、好きでつきあっていればずっと会えないのは寂しいけれど、

 「あいたいな」を仮に連呼するなら
いつも、それをいうのは私であって、
相手からではないほうがいい。


 今なら恋人にあいたいと言われても
忙しければ、そういう気分じゃなければ、はっきりと、断れるかもしれない。

 けれど、少し前までは、
会いたいと言われたら、無理矢理でも
時間をつくってあっていた。

 大学院生の、
超多忙な時もそうだった。

 いや、むしろ、

 相手が私のことを好きでいてくれている、とわかっていれば、

 こちらも依存で付き合っていれば、

 こちらから、定期的に
「そろそろ会いたい?」と
伺って、やっぱり多少遠慮していた
相手が
「めちゃくちゃ会いたい」などと
送ってくると、会いに行ったり。



 あれは、あの、

私がしていた、
私が恋人に送っていた
「(私に)会いたい?」または
「あいたいな。」のやりとりは、


 依存的なものが多かった。

 自分がいっぱいいっぱいになって
辛くなったり、寂しくなったり、
甘えたくなったり、忙しかったところに恋人とやりとりが入ると、

 甘えたくて仕方なくなって
あいたくなる。


 それで多分、恋人とのやり取りに
必ずと言っていいほど

ぎゅーってして、


が入っていたのだと思う。



 しかし、
寂しさから誰かに寄りかかれば、
それは依存になる。

 依存とは、相手の心に寄生すること。そこからは、信頼関係も、愛も、
友情も生まれない。


だから、誰との関係でも、

自立した一人と
自立した一人の
対等な関係でなければ
ならない。


 結局のところ、自立は
人間関係構築に欠かせない。


 前にも紹介した
松浦弥太郎氏だって、

孤独を受け入れ、自分の意見、
自分の立場を貫く。軋轢や波風を
おそれない。自分はどれだけの荷物を
もてるのか、キャパシティを知ること。人付き合いの量、所有するモノの量、仕事の量。むやみに多くの人とかかわって関係を整理できないのはダメだと書いていた。


 それを私は、自分の経験から、
わかっていたはずだった。


 なるべく荷物を減らし、
身の回りを整理し、そして
荷物と同じように人間関係も
自分が丁寧に手入れできるだけにする。


 2020年末から2021年の今にかけて
やっと

身の回りを整理し

丁寧に剪定するためには

孤独が必要で、自立が必要で、


孤独と自立のためには
判断力と決断力が必要なのだ、


 とわかってきた。


そしてそのための具体的な行動が
大前研一氏が言っていた、


 1.時間配分をかえること、
 2.住む場所を(生きる場所を)
変えること
 3.付き合う人を変えること


なのだと。


 「孤独の時間を確保する」


 というのは他人との接触を取らない
自立した、自発的な時間を確保する、


ということかもしれない。


 今日(この記事を書いた日は)
朝起きてから
このnote記事をここまで
書いた時間は孤独の時間だった。
(まあそれも、隣の部屋から
父のリモート会議の声が丸聞こえ
だったのだが、)


 それからNIVEA Milkey Clear
の洗顔料を持って、顔を
洗いにいった。体重計に乗ると、
直近で測った1番痩せていた時から
あっという間に5kg増えた。

筋肉量が増えていたとしても、
やはり食べ過ぎだ。


部屋に戻った私は
今度はLUX luminique
midnight aromaのシャンプーと
トリートメントを手にシャワーへ向かう。


いつもよりやや熱めのシャワーで
すっきりとした私は、あがってから
いつもは、ぱぱっと終わらせてしまうドライヤーを手に、
丁寧に髪を乾かし始めた。

お風呂に入っている時間と
ドライヤーをかけている時間は

「孤独の時間」を確保できる。


 「孤独の時間」、つまり、
自分一人の時間を確保できる、

ということは自分の手で
自分の生きる時間の使い方を
決められるということだ。

選択ができるということだ。

 何をする、何をしない、または
誰といる誰といないを無意識的にでも決め、その結果、1人の時間を、
誰とも繋がらない時間を
確保しているということだろう。


 シャワーを浴びて、急いで
バスに乗った。ふと気づけば
ずっとスマホを使っている。

 スマホを手にしてから、
SNSを手にしてから、
私が失った1番のものは
 「孤独な時間」だと思う。

ぼーっと眺めているだけでも、
動画、写真、文字、たくさんの情報が
あふれてきて私の頭はいっぱいになる。情報過多で吐き出さなければ、
苦しくなる。

 スマホを閉じた。



 ジムが終わった。今月末でやめるが
私の行っているジムは、サーキットを
2周すると少なくとも300kcal消費できる。


 全く動かない生活だった私が
ジムに行く生活になって少なくとも
300kcalは消費しているのだから
前より成長したものだ。

 ジム帰りの通り道のファミリーマートに寄ってプロテインをかおうとしたら改装中だった。


 仕方なくTomo'sで
プロテインバーを買う。



 ジムに通い始めてからプロテインも
意識的に摂取するようになった。


 多分、ジムに通わなければ
プロテインとは程遠い生活をしていたし、ソイプロテインとホエイプロテインの違いも考えなかったと思う。


 私は鍛えているのでなるべく
ホエイプロテインを摂るようにしている。


知ることで見える世界はかわる。

プロテインバーにすら感じる。


 鍛えていてプロテインバーを買った
私だけれど、結局、
お昼ご飯とスタバの、
チョコレートオンザチョコレートFが
一度は飲みたくて、誘惑と自分に甘い私は、スタバへ行く。

お昼ご飯がわりに、
ヒーティングしてもらった
あらびきソーセージと
スクランブルエッグの
イングリッシュマフィンを喰らい、

やっと、お目当てだった
Fに
ストローを刺した。 

トールソイチョコレートオンザチョコレートF Ex.ホイップ&Ex.チョコソース&Ex.チョコチップ


 最近のスタバは、チョコレート好きにはたまらない。

 そのチョコレート尽くしを
私はさらにソースとチップを追加して
チョコまみれにする。


これだけでここ3日間のワークアウトで
消費した分と同じくらいを摂取した。

ちゃんと運動しているのに、
摂取カロリーも増えているのだから
プラマイゼロどころかマイナスだ。

ゆったりと飲みながら食べていて、
気づけば乗るはずだった電車の時間から12分も経っていた。


焦ってお店を出て電車に飛び乗り、
バスにも乗ってなんとか勤務前に
ちゃんとたどり着いた。


のんびり、一人時間を
満喫している場合ではなかった。

孤独な時間を味わうには、
時間的に、予定に追われていない余裕が必要なのだと知る。



職場について着替え終わり、
控室を出る直前、

孤独は、
職場では難しいな、と感じた。


案の定、私が控室から出てくると
わーっと子どもたちが寄ってきて

孤独とは対極の状態になる。



結局、仕事終わりまで、
わいわいがやがやだった。



仕事が終わり上司と共にバスに乗る。

まだ孤独ではない。

電車に乗っても乗客はたくさんいて、
最寄駅に着いてバスに乗っても、
乗客はたくさんいて、家に帰ったら
両親がいてテレビがついている。

孤独な環境をつくりだすというのは、

孤独を感じるというのは、

今の世の中、特に、
働いていたり、家族がいたり、
まだまだ若くて多くの友人が
健在であれば実に難しいことだと
言わざるを得ない。


 コロナで、そうでない状況の人は
きっとたくさん増えたと思うけれど。

 それはきっと「孤独」ではない。


孤独ということばは、


孤独死

のように「さびしいもの」
「ない方がいいもの」として
扱われてきた一方、

有名漫画「孤独のグルメ」

とか「独りは楽しい」という言葉も

近年はチラホラある。


 似たような言葉でも、

「孤立」と「孤独」は異なる。


「孤立」(loneliness)が
社会的な人間関係において疎外される、

という外部からの抗えぬ力によって、
物理的・心理的に独りになるのにたいし

「孤独」(solitude)は、
独りでいることを必要とし、ときに至福や恩恵となる。


孤立は孤独ではないが、
孤独は孤立になりうる、と。


自己は孤独の中で現実化され得るが、

自己喪失は、人に孤立を耐えがたいものとする。

内閣府によれば、

孤独死=誰にも看取られることなく亡くなったあとに発見される死


孤立死=社会から孤立した結果、死後長時間放置される状態。
 家族や地域社会との交流が客観的にみて著しい乏しい状態の方が亡くなった場合


ということで、
孤独死と孤立死の違いは、
生前に社会から孤立していたかどうかの違いらしい。


 孤独は、
周りとの縁がないわけではない。

 言うなれば、

自主的、積極的に
一人を選択する。


 意識的に選択した
一人の時間によって、
自分と向き合う時間ができることで

人は、本来の自分と出会う。


 トルストイが言っていたのは、
そういうことだろう。


 ここ数年私が感じてきた、
 “いらないと社会から言われている"感覚も、友人などと離れていくという感覚も、孤立であって孤独ではない。


 孤立を感じるから苦しいのだ。


 結局、家に帰宅して夜ご飯を食べ、
しばらくテレビを見ている間、
隣には母がいて、テレビを介して
この世の中に私は生きている、
という状態を感じていた。

 だからきっと何も考えず笑えた。


 日常のなかで、
孤独な時間を作り出すのは難しい。


 アメリカの作家、
アン・シャノン・モンローは、
こんなことを言ったらしい。

ー孤独とは、港を離れ、海を漂うような寂しさではない。本当の自己を知り、この美しい地球上に存在している間に、自分たちが何をしようとしているのか、どこに向かおうとしているのかを知るためのよい機会なのだ。ー

 私が寂しいのは、
社会と隔絶されていると感じるのは、
孤独のせいではない。

 孤立だけを強く意識的に感じてしまうからだ。


 孤独と孤立を分け、意識的に
孤独に注力し、
孤独を楽しもうとすると、
周りの人の人生の時間に流されない、
周りの人の人生をいきない、
自分の時間、自分だけの時間を
得ることができる。


 孤独な時間を確保するために、
私は一人iPhoneのnoteを開いて
この記事を書き、

 孤独な時間を確保するために、
私は今日の残りの時間も、
SNSにもほとんど触れず
家族とも多くは話さない一人の
お風呂の時間や布団の中の時間、
自分の部屋にいる時間を楽しみたい。


#人生が変わる30日チャレンジ

#孤独の時間を確保する

#孤独

#孤立



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