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不思議な国だよね、日本。


 11月の頭。


 ほんの2〜3日前までHalloween一色の装飾が施されていたスーパーは、あっという間にクリスマス仕様になり、食品売り場の一角には、クリスマスを通り越して既にお正月の商品が売っていた。


 けれど、お手洗いの隣の壁に貼られている子どもたちが描いたカボチャの絵はまだはがされていなくて、ここにはハロウィーンとクリスマスとお正月が混在していた。


 こういう風景を見るたびに、ああ、
日本だなと思う。お正月だとか、桜だとかそういうものをthe日本として、和を感じる季節をthe日本として言われることが多い気がするけれど、むしろ、このHalloweenとクリスマスとお正月が混在する世界こそ、日本らしさを感じる。


 Halloweenは、もともとは古代ケルト民族のドゥルイド教で行われていたサウィン祭というものからはじまっていて、このケルトでは11/1が新年とされていたから大晦日にあたる10/31に先祖の霊が家族に会いにくる、ということでHalloweenが行われていたらしい。


 そして、クリスマスは多くの人がご存知の通りイエス・キリストの降誕祭ということになっていて(諸説あるがここではそういう前提に立とう。)、つまりヨーロッパ・アメリカのクリスチャンたちにとっての聖なるお祝いの日であり、ここが新年になる。


 一方、お正月は「日本の文化」、これぞ日本のように言われるけれど、本来のお正月は仏教から伝来したものではないかと言われている。そして、神道におけるお正月では、各家に歳神様をお迎えしてその年一年分の霊力をいただくという儀式で、門松は神道において歳神様をお迎えするための目印、鏡餅は御神体を示している。
神道が広まったのは、明治時代の教育勅語の影響だろう。

 「お正月」という言葉も、
中国の秦の始皇帝の降誕月を意味する「政月」からきたという説をとれば仏教的であるし、初詣に神社にいくとなれば神道的。


 さらにいえば、聖徳太子によって、仏教と神道と儒教的な文化が融合されているという考えもある。


 歳上を尊ぶとか長幼の序を重んじるとか礼儀を大切にというのは儒教の教えだし。


 そうなるともう大変だ。


 日本人は10/31〜1/1までのたった
93日間でドゥルイド教の祭りからキリスト教の祭り、そして神道、仏教、儒教を入り乱れさせた新年へと向かっていることになる。とはいうものの、これを成しているのが、世界から見ての"日本人の特殊な宗教観"なのだろう。


 特別何かに信仰のある人以外の日本人の多くは、信仰宗教を聞かれれば「無宗教」と答えるだろう。かくいうわたしも、何かしらの宗教に属しているわけではないから、おそらく信仰宗教を聞かれればどれでもない、と答える。


 しかし、わたしも含め日本人の多くは、結婚式は教会に、誰かが亡くなれば「ホトケ」となり成仏することを祈る(仏教)し、また多くの日本人がどうにか願いを叶えたいときには「神頼み」(この場合の神は何を示しているのだろう)をするし、こうして神や仏に祈る行為をするにもかかわらず無宗教を主張する。


 それに、日本には仏教など、誰かしら特定の人物が特定の教義を唱えた創唱宗教とは別に、自然発生的で教祖や教団を持たない自然宗教がある。そして日本人の多くは自然宗教を宗教であると認識せずに「我は無宗教」と主張する。


 我が家は、父方の祖父母が仏教なので
私たち三人兄弟は祖父母の家でクリスマスを祝ったこともなければクリスマスプレゼントというものをもらったこともない。
既に亡くなったが母方の祖父母が、いつもクリスマスもお年玉もくれたからもらわなかったというほどではないけれど、3人兄弟で一つのプレゼント、父もうちはキリスト教じゃないからと、プレゼント制度はなく、母方の祖父母だけだった。

 我が三兄弟は、小学校までは公立なので特段宗教性はなく兄は中高は無宗教、わたしは中高はキリスト教、弟は中高は仏教の学校に通い、大学では兄はキリスト教の学校、私と弟は特段宗教性のない大学へと通った。中高という多感な時期をキリスト教で過ごしたから私にとっては、キリスト教のクリスマス、お祈りの日々はキリスト教の生活から離れて10年経った今も身についていて、主の祈りを唱えようと思えば思い出せるかもしれないし、讃美歌は流れれば歌える。


 一方で、大学では英米文学科を卒業して
キリスト教や神の存在のねじれや納得のいかない点があることも認識した。


  こうして、私だって特定のどこかの宗教に入るでもなく、ハロウィーンもクリスマスもお正月も祝っちゃう文化を持っているけれど、日本ではいざ宗教性が全面に出された考えやそれがいきすぎた行為を誰かが行えば、遠ざけたり排除する。イスラム教=テロリストだと思い込む人もいるだろう。


 もっと深くいえば、例えば
村上春樹の『アンダーグラウンド』にも
記載があったような気がするが、
犯罪を犯したという決定的な点を一度取り除けば、マスコミのつくりだした

“彼ら"=オウム信者

”我ら"=それ以外という枠を、
享受してしまっていた我らは、
マスコミのつくりだした"彼ら"と"我ら"の対立を違和感なく受け入れてマスコミという乗合馬車に揺られていた人々は、マスコミという"宗教"に加担していたとも言える。あの時、"我ら"と"彼ら"のわかりやすい対立をマスコミが作り出すことができたのも、"日本人"の多くが、特別何か一つの宗教に属しているという感覚がない人々だったからなのかもしれない。


 日本人は様々な宗教からの文化を取り入れていてゆるくみえるが、その実、我らと彼ら、内と外という二項対立的な考えが強いところもあるような気がする。


 例えば、一列にきちんと並んで待つ習慣やルールを守る人が多いなど、良いことや褒められるようなところがあれば「これこそが我ら日本人ですよね」なんて称え、オリンピックだとか今回のコロナのような国家的苦難があれば「日本一丸となって」だとか「みんなの力を合わせて」だとかいうけれど、そこにはルールや暗黙の"常識"や"慣例"に従えない人を省いたり自警したりして晒しあげる部分もあって、我らと彼らの対立が生まれれば、我らの考えと相入れない彼らを排除したところで秩序を保とうとする。


 宗教や文化になんでもありのように見える日本は、"自分にとって都合のいいこと"は何でもあり。でも、都合が良くないことは許容しないというところが多くあって、およそ、寛容とは対極にあるというのが本当のところのように感じた。


 こうしたさまざまな文化が入り混じる部分は、型破りというよりは型なしになってきている感じがする。何でもありのように見えるこの国は、ソトからの文化は受け入れ自国にカスタマイズして取り入れるけれど、ソトからの人はなかなか受け入れない。ウチからソトへ人がいくこと(例えば留学だとか海外進出)は「日本はグローバルだ」とかなんとかいって推奨する風なのに、ウチからソトへ出た文化に対しては「それはもはや日本の文化ではなくなっているから、正しい文化を教えよう」などということもある。


 日本における文化って、多様というよりは二項対立的に見たほうが何だか理解できそうだなと思った。



 話が広がりすぎたから
この辺にしておこう。



 10月31日の夜のスーパーは、
混沌としていた。一角はまだまだハロウィーン中なのに、端からクリスマスが押し寄せていて、けれど別の一角ではお正月のおせちのお知らせがあった。 

 別に何が書きたかったわけではないのだけれど、私はその混沌を歩きながら、つくづく、不思議な国だよなあ、なんて思っていた。


 きっともうすぐクリスマスの歌が街にあふれて、讃美歌だと知らない人々はクリスマスソングとして歌を享受するようになるだろう。


 クリスチャンでもないのに、
聖し、この夜に、救いの神子がうまれるとうたい、そんなクリスマスを"家族や恋人と過ごす日"として、黄金も没薬も乳香も知らないけれどクリスマスケーキとプレゼントをありがたく頂戴する。

 そして25日がすぎたらあっという間に世の中は大晦日へ向けて、お正月に向けてキリスト教から仏教や神道の飾りへかわる。何の躊躇いもなく。


 そういう"雑多"なところが、
雑多にもかかわらず、ソトとウチという二項対立的感覚を持ち、我らと彼らを無意識にでも意識的にでもつくりだしたがるところが"日本人らしさ"なのだなと感じた。



 そういえば昔、加藤周一が、西洋の文化を純粋文化と位置づけた上での日本の雑種文化論について書いていたよね。

 でも、ミックスされるという意味の雑種、よりどちらかというと、雑多って感じがする。


 寛容というよりは、さまざまな文化を取り入れて入り乱れている雑多性のなかで、文化からひとたび「人」にスポットがうつるとたびたび「我ら」という意味で褒められるべき何かの行動があればそれがたった一人の行動でも、
勝手に我ら日本人とはこんな人たちだと「日本礼賛」「日本人礼賛」をするマスメディアを代表とする「我ら」は、その「我ら」を標榜するために「我ら」の対極としての「彼ら」という存在をどこかに作り出す必要があって、我らを標榜するたびに二項対立的観念を持ち出して、我らという輪の中に入れない「彼ら」を輪の外へ追いやるところは10年経っても15年経っても変わっていないように感じる。


 日本の季節は一夜にしてHalloweenからクリスマスへ変わった。そしてクリスマスが明ければ一夜にしてお正月を迎える。そしてなんだかんだ私も、それを不思議だよあなどといいながら日常として受け入れているし、楽しんでいる。


 讃美歌も流れれば歌えるだろうし、
キリスト教のお祝い事として認識しながらそれでもクリスマスを形だけ楽しみ、クリスマスがあけて年が明ければ神社に参拝に行くし、お寺にもいくだろう。自分でも、不思議だよなあと今年も思いながら。




#日本らしさ


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