サマソニの思い出.1(第1回:2000年)
2年前からコロナ禍の為開催が中止となっていた都市型音楽フェス・SUMMER SONIC(以下サマソニ)が3年ぶりに開催された。
今年は参加していないが、僕も過去3回行ったことがあるので、その思い出話でも書いてみたいなと思う。
初のサマソニ参加は、2000年、第1回目だった。
確か、当時一緒に二人組のバンドをやっていたA君とスタジオかどこかで話をしていた時に「今度大阪でサマーソニックっていうフェスをやるらしいよ」というのを聞いたんだと思う。関東と関西で二日間行われ、出演者は一日目と二日目がほぼそのまま入れ替わるという方式である。
その頃日本で、海外のアーティストも招いた大型のロックフェスというと「フジロックフェスティバル(以下フジロック)」ぐらいではなかったかなと思う。しかし開催地が関東方面だったため、関西に住んでいてあまり遠出をしたこともない僕には少しハードルが高いというか、「楽しそうやけど交通費や宿をとることなど考えると大変そうだな…」と思ってしまって、どこか遠い話に感じていた。
しかし、サマソニは同じ関西で日帰りできる。そして何より僕が当時から好きでバンドでもコピーしていたTEENAGE FANCLUBが出る!そして国内バンドでもよく聴いていたサニーデイ・サービスやくるりなどが出るというので、行くことにした。
日程は二日間。上にあげた3組が出たのは一日目だったので一日目に行くことにした。先述のA君は迷っていたが「二日目にするわ」と言った(A君の目当ては確かFLAMING LIPSだった。あとGRANDADDYか。彼らは僕達も好きでコピーしてたPAVEMENTっぽかったりもした)。
というわけで、それぞれ一日目と二日目を一人で観に行くということになった(笑) 一緒に行ったほうが楽しいとは思ったけど、やっぱり若くて金がないので二日間というのは厳しかった。
当時の僕はあまりライブに行くという習慣がなく、チケットも当日券で買うことが多かった。この時も、とりあえず前述の3つが観れればいいやという感じでたぶん昼頃に家を出たんじゃないかと思う。
会場の大阪南港ATCのサマソニ特設会場へは二時間ほどかかった気がする。ちょっとした小旅行である。
大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)とニュートラム(?)を乗り継ぎ、「コスモスクエア」というカッコいい名前の駅から歩いて会場に向かっていると、同じく会場に向かうお客さんに混じっていわゆる「ダフ屋」のおじさんがあちこちに立っていた。僕は会場のチケット売り場で当日券を買うつもりだったが、おじさんに呼び止められた。
「兄ちゃん、チケットいらんか?1万円でどや?」
という感じでチケットをすすめられた。
(ん?1万円?当日券って確か1万2千円やったよな…買っちゃおうか)
僕はすすめられるままにチケットを買ってしまった。
どうやら、友人が来れない等でチケットが余った人から半値ほどでチケットを買って売っているみたいだった。ダフ屋と言えば値段を吊り上げるというイメージがあったので、こういうこともあるのかと思った。
当時はネット環境もまだ未成熟でチケットを売るには金券ショップくらいしかなかったと思う。安易に買ってしまったことに今ではちょっと反省している。
↑画像は上のサマソニ公式ページからお借りしてます。
今改めてサマソニ2000のラインナップを見てみると、なかなかすごい。
ちなみにステージは屋外のメインステージと屋内のサブステージ(体育館みたいな感じ)の二つだった。これくらいが無理なく観やすいのでは、と今も思う。
多分、くるりの少し前くらいに会場に入って、くるりとサニーディサービスを続けて体育館で観た。
くるりは京都弁のMCで「(暑いし)中で良かったね~」とか言っていたと思う。曲目はあまり覚えてないが、インストの「惑星づくり」が良かったな。
サニーディ・サービスは当時京都でもライブをやっていたが、磔磔でやることが多くチケットが全然取れなかった記憶がある(キャパが大きくないので)。ようやく観れた初ライブなので嬉しかった。この年の暮れに彼らは解散してしまった(のち再結成はするが)のでなおさらである。『LOVE ALBUM』が出た頃だったのでその頃の曲が多かったかな。
その後に海外勢を見たと思う。
確かその頃にデビューしたばかりのタヒチ80、その後にWeenを少し観てから屋外へ移動してWeezerを観たと思う。
(今、上のラインナップを見てみると、サニーデイ・サービスが載ってない(けど確かに見た)ので、タヒチ80の所にサニーデイが入ってた可能性あり)
Weenは登場するや否や「We’re Weezer!(俺たちはウイーザーだ!)」と言い放っていた(笑) 。集客の分の悪さを逆手に取ったジョーク(自虐的)だ。
そしてWeezerは、ヴォーカルのリヴァースがひとこと「ゴメン・・・」と言った後、激しい曲を演奏してたりしていた。彼は日本好きが高じて?後に日本人女性と結婚している。
そして、トリに備えて体育館に戻ってきたと思うが、屋外では次にBen Folds Fiveがやっていたのかな(東京と大阪でメンツが違ったかもしれない)。そっちを見とけばよかったかな。THE BLUE TONESは良い曲あるけどいかんせん地味であった。
そして、トリのTEENAGE FANCLUB! 良かったと思うけどほぼ覚えていない(^_^;)なんせ20年前。当時は彼らもサウンドがソフトに変化していった頃で、アルバムを出す間隔も徐々に長くなっていったのであった。。
記憶が薄れていてもしかたがない、もう22年も前の話だ。当時はカメラ付きケータイすらなかったと思うし写真もたぶんないけど、うっすら楽しかったなという思い出が残っている。
翌日、二日目に参加した友人Aくんと、後日入ったスタジオで話をした。
”レジェンド”ジェームス・ブラウンが延長しまくって1時間の所を倍ほどの時間演奏したそのせいで、トリのジョンスペ(ジョン・スペンサー・ブルースエクスプロージョン)が演奏時間が短縮されて気の毒だった、とか。けど、おかげで体育館ステージのトリ・FLAMING LIPSが終わってからジョンスペが観れた(笑)とのことだった。JB・・・
そんなわけで、僕のロックフェスデビューはこのサマソニであった。伝説の嵐(台風直撃)のフジロック第一回にはかなわないかもしれないが、開催第一回目のサマソニに参加できたことを嬉しく思う。
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