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yieldモニターセッションご感想14(身体と言葉にご興味がおありの方)

1回目仰臥位

■セッション当日の体感
・朝、身体が重い
・左鼻詰まり
・左肩こり
・左歯肉炎→2週間前に親知らずを抜いてからずっと腫れと痛みがある
・心許ないかんじ 呼吸が浅め
・行きのバスで足先が冷えてるのを感じる
・頭はぼんやり

■セッション
【はじまり】
立ち位置について聞かれるが、自分がどう感じているかはっきりせず、自信がない。馬渕さんがどこに立っていても同じような気もしてくる。もやもやのなか、正解をさがしてるのでは?と気がつく。自分の感覚が合っているかよくわからないが、という感じで伝える。

身体の左半身が鋭利?大きく、じんじんしているように感じてくる。右半身は弱くぼんやりしている。お腹ぐるぐるうごきはじめる。

仰向けになり、ベッドに接していない身体の表面がべっと張り付いた感じに気づく。緊張?固い皮のような。外の音や風の音が気になる。

【中盤】
しばらく何もされない時間が続き、身体の感覚に意識が研ぎ澄まされていく。眠くなる。うとうとしながら、昨日家で流れてた曲がリフレインする。眠りに落ちそうになるとき、身体の中心を下から上に引き上げるような力の運動を感じる。

ネガティブな言葉や猜疑心のようなものがフラッシュバックしては流れていく。遠くまで来ると不安になる癖が浮かんできて、いま自分が家を離れて遠くまで来ていることが不安になる。どうやって帰ろうとか考えるが、すぐにその不安も流れていく。

【終盤】
足の裏に触れられた時、あごがゆるみ口にすこし空間ができた。またねむくなり、左後頭部にピンポイントの痛みがある。抜けていく前のような痛み。すぐになくなる。

【おわり】
セッションが終わり、馬渕さんとお話ししていると、思考が整理されて、わからなくなっていたやりたいことも戻ってきた感じがする。


【帰り道】
外に出たら身体の変化をはっきりと感じた。肩から首が100%じゃないけど軽くなってる。自然と表情がゆるむ。来るときは、生理や疲れもあったからか、表情や感情がとぼしかった。

ふと、夫においしい料理を作ってあげたい、猫とたくさん遊んであげたいと思った。

バスに乗って足があたたかいことに気がつく。セッション中は裸足だったのに、内側からちゃんと熱が発され、足の裏も地面についてる感じがする。

帰りの電車、少し左腰から太もも、ふくらはぎに痛みがある。左眼ものもらいのような痛みがでたりきえたり。右耳の詰まりがでたり消えたり。

歩いていたら、急にかちっと音がして顎の違和感が治った。重心がより内側に向いてるのに気づく。お腹のうごきは活発。

夕飯はカレーを外食。一度お腹下すがだるい感じはない。足踏みしていたあたらしいアルバイトへの問い合わせができた。

【翌日】
夜寝るのが遅くなった割には、身体が重たくない。

朝方、鼻詰まりで目が覚める。お腹の動きと鼻水連動している。朝方に排出の動きがあるのかもと思う。

まどろみのなか、馬渕さんのお部屋でテンセグリティモデルが風に揺れてたのを思い出す。2週間つづく歯の痛みが、全身の微細な振動によって分散していくようなイメージが沸いた。

瀕死の馬が最後の力で美しく歩く様子を見せてくれて力尽きる夢を見た。

朝、肩の凝りや痛みは完全ではないけれどかなり和らいでいる。

歯の痛みもまだ違和感は残るものの痛みや炎症自体は落ち着いたあとの違和感といったかんじで一番良く、漢方を飲まなかった。

仕事の前に掃除をしたりお弁当をつくる、英会話を受けることができた。呼吸も昨日より楽だ。

ここ数日は、仕事のときも、朝ぎりぎりまでぼんやりして遅刻したりしてしまったのでだいぶよい。

正直、yieldはほとんどタッチもなかったので目を瞑っているあいだ、何をされているのかわからなかった。その緊張感のようなものが、わたしの中の自立心を引き出してくれたような気もしている。やってもらうのではなく、見守ってもらってるなかで恐る恐る自分でやってみる、というような感じ。


【翌々日】
朝、少し冷えはよくなった。

歯の違和感もゼロではないが、かなりなくなってきた。朝から下痢、一日中下し気味だけど、倦怠感はすくなく嫌な感じではなかった。夕方から身体がぽかぽかしてくる。


【4日目】
花粉症に効くと聞いて飲んでいたお茶にステロイドが入っていたというニュースを聞いて、ここ数日の心身の不調や冷えになんだか合点がいった。下痢も解毒だったのだろうか。

あれがいいこれがいいという外の情報に振り回されてぐらぐらとしていたことに気づく。

いいわるい?どうでもいい、自分で決める自分の体を信じる、という気持ちに切り替わった。

ふと、優しくしてくれる人に対して、私が同じように返せていない後ろめたさを感じていることに関して、感謝は感じても後ろめたさは必要ないという想いが浮かんだ。

与えるのは人の自由で、急に嫌になることもあるかもしれないし、いまを感謝することの方が大切で、自分のかたちで、感謝を伝えたり、してあげたいと思ったことだけをすればいいと思う。やってもらったから、やってあげるではなく、やってあげたいからやるという矢印の在り方。自他の境界線がすこしはっきりしたのだろうか。

身を委ねるにも、はじめに自分と異質な他者とをきちんと別のものとして自覚する必要があるのではないか。


【2週間後】
自他の区別を意識しながらも、人や環境に共感や同調しやすい自分の性質を改めて認める。テレビやSNSを控えて、明日やりたいことを書き出してから寝たら自分の軸がブレにくく1日を終えられると気がつく。今日はそのように建て直した日だった。

できなかったことを必要以上に責めずに、気づいたらすぐやる、を重ねる。状態ではなく経験の積み重ねとしての自分を認める。

仕事を変えようとしていたことも、上手くいかないことが続いたので、いまやることはそれではないと認める。まずは自分自身や、やりたいと思っていたことを今一度見つめ直す。

落ち込んでも建て直しまでの時間が早くなってきた。

行きたいと思っていた場所への計画もぼんやりではなく具体化することができた。

夫と買い物にでると彼の予定に合わせがちだったけれど、各々の予定を優先させて、途中で解散したりして自分の時間を過ごすことができた。


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