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心の病は悪魔の所業なのか、神のみ業なのか

「うつ病や心を病んだ人の中で、明らかに悪魔の仕業だと感じた事例はありますか?」
これはつい先日、某処で精神科医の方(キリスト教徒)の講演会の後で出た質問だ。講師の方は戸惑いながら答えていらしたが、一参加者である私は「うーん」と考え込んでしまった。

人の心が病んでしまうのには、おそらく何らかの悪しき力が働いているのだろう。子どもたちの間のイジメ、職場でのパワハラ、家庭におけるDV・虐待。貧困・格差・・・人が人を抑圧的に支配せんとするところには、悪魔的な力が動いていると言わざるをえない。誰も自ら進んで心を病みたいとは思わない。うつ病それ自体は良いことではもちろんない。

だが病による苦しみが、与えられた使命のひとつとして私たちの胸に押し寄せる時に、その苦しみに自分が立ち向かい、苦しみに備える中で、良きものを見出すことがある。それを「神の恵み」だといってもよいのだろう。

私たちは今、受難説を過ごしているが、キリストの十字架は言ってみれば「不当な死」である。だが神はイエスに「赦しをもってこの不当にみえる苦難を担うように」望まれたのである。この方法によってのみ、私たちは神の愛を知ることができる。

心病んでしまうことは、決して良いことではない。ただその向こうに「病まなければ見ることのできない景色」があるのも真実だ。うつ病を単に「悪魔の仕業」とだけ考えるのは実に勿体ない・・・というよりキリスト者の理解としては不十分なのではないか。

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