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今日も「ハイ!満貫!!」 〜認知症の始まった父と麻雀三昧の日々〜 #9 ありがとう

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父が虹の橋を渡った。

11月に94歳のお誕生日を迎え、元気にお正月を迎える予定だった。

12月17日に百田基地の航空ショーに孫たちと出かけてごきげんな一日を過ごし、その帰りによろけて尻もちをつき頭を打った。

とくに外傷はなかったのだが、この歳ではやはり致命傷になってしまった。
もう少しで2024年のお正月を迎えられるところだったので、なんとも残念無念。

高齢者の転倒には本当に注意が必要だ。あぁぁ。。。後悔しても仕方ないが、いろいろと悔やまれる。

一度、入院したが早く元の生活に戻したほうが良いと思い、12月27日に退院。

帰宅して少し休んだあと、「さあ、ぼけないように頭の体操~!!」と声をかけたら起きてきて、4回だけゲームをした。写真はそのときのものだ。
快調に3回続けて上がられてしまった。

「え~っ。。介護タクシーで退院してきたのに~」
と私がぼやいて、4回目にやっとあがらせてもらった。

「休憩!」といって、うな丼をつくった。でも、父はほとんど口をつけずに横になった。

これが最後の麻雀となった。

翌々日、再入院。もう帰れないだろうと覚悟をきめて病院に連れて行った。それから約1か月後の早朝、父はひとりで旅立った。

母が亡くなってから24年間。ほぼ、父との二人暮らしのような生活であった。

ふたりとも食道楽で好奇心旺盛。

格安パックツアーで、シチリア、ニース、カナダ、ずいぶん旅行にも行った。シチリアの屋台でオリーブをたくさん買ってきたり、モナコのカジノにドレスアップして行ったり、思い出は尽きない。

その時間の長さと濃さが、寂しさに比例しているのか、母の時は覚悟をしていたのだが、まさか父との別れがこんなに重いとは思わなかった。誤算である。

病院から電話があり、駆け付けた時は息を引き取ったあとだった。おそらく、20分か30分後くらいだったと思う。まだ温かかった。手も温かくやわらかだった。

「やっとお母さんのところに行けたね。ありがとう」

ひとりで逝かせてしまった…と少し後悔。

でも、私が生まれたとき、父は雀荘にいたのだ。「男がお産に付き合ったってしょーがないだろう」と豪語していた父ですから、納得していると思う。

子どものいない私は当然ひとりで逝くのです。

それにしても、いつも座っていた椅子に父がいないのは、なんともさみしい。私が帰るとき、いつも手をふってくれた。

スーパーに行けば、父の好物がたくさんある。。><;;;

みんな通る道だけれど。。予想以上に身に染みるのは、自分がもう若くないということか。

終わりのない子育ても介護もない。早かれ遅かれ終わりは来る。
後悔しないように。わかっていたけれど、、、。

最近はかなり手抜きだった。なんだか、介護3年目くらいから疲れてしまって、ヘルパーさんに頼りきりだった。

もう少しこうしていたら、ああしていたらと、情けない。

自分ももう高齢者の仲間入り。残された時間はそう長くない。

残りの人生を、どう生きるか。生き切るか。

父の戒名「蓮誉浄雲天和居士
「天和」(テンホウ)=最も難しい役満。
九蓮宝燈(チュウレンポウトウ)の蓮の文字も入っていて、父も満足しているだろう。



大変お疲れさまでした。
もう少し、麻雀したかったな。



ライター:ゆき子 さん (pastelDコミュニティメンバー)

93歳になる父の介護をしています。


最後まで麻雀の神様と仲良しでした! ^^


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