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旅情は、いつ感じるのか?

目に見える世界は、今日も美しい。見慣れるなんてことはなくて。何度見ても同じ景色も楽しめる。もちろん見知った場所の見知った景色、というのは存在するけど、頭の中で再現できないから、毎回、新しい景色だと感じることも可能。

でも、そこに旅情はない。

が、旅をしたとき、果たして旅情といものを感じていたか、それは思いだせないなぁ。
ただ、通常生活とは違う、圧倒空間が拡がっていた事実は、記述として覚えている。
まざまざと記憶が甦る、なんてことはないので。

でも、創作の際のキャラクターたちは、もちろんそういうことが可能。アファンタジアのキャラは、今のところ明記してはいないけど、ひとり。
ただ、魔法のある世界で特殊能力もあるし、影響はないだろうなぁ。

私が比喩だと思っていることを、キャラクターたちは実体験できてる。彼らはみな、脳裏に五感すべて再現可能だろう。
別にアファンタジアだから、アファンタジアしか書けない、なんてことはなくて。イメージとかを映像として思い浮かべられないだけで、想像力、創作力、妄想力はある。
作家が体験したことしか小説に書けないとしたら、ファンタジー小説なんて存在できない。
そりゃあ、色々な体験や、夢での出来事が織り込まれることはあるだろうけど。

雲の動きが早い。ダイナミックな雲の動きは、昔から大好きだ。
青い空に、白いふわふわの雲。黒も混じるような巨大な動きの攪乱。風の流れる速度が違うのか、手前と奥の雲の動きの対比。太陽を隠している、一際明るい白雲。
流れながれて、さまざまな形、妄想を掻き立てる、見立のできる形をとる。荘厳な竜の口、人魚の尻尾。蜥蜴に、蝙蝠、霧散して、形をなくし、雲に戻って、また変化する。

飽きないが、天気の急変と、熱中症が怖い。

視覚で見たものを、そのままスケッチもするけど、心の妄想もモノローグとなってスケッチされて行く。
妄想、空想から、モノローグを経ないでメモすることもたまにあるけど、モノローグしてるかしてないか、その区別は私にはできてない。
別に、どっちでも良い。物語が紡げるのであれば。



AIイラストはPixAIで生成。



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