手術とホームランに関する手記

2月12日

「あの葉っぱが全部散ったら、僕も死んじゃうのかな」

病室の窓から見える樹木を見ながら僕は言った。2月の風に煽られとても寂しい見た目になったその樹にはもう数えるほどの葉っぱしかなかった。

正直言うと、僕はそんなセンチメンタルなことは微塵も思っていない。たまたま入院した病院の庭にたまたま生えていたよく分からない木の葉っぱと僕の命に因果関係があってたまるものか。

僕がそんなことを言うのは「アピール」でしかない。
スマブラで敵を吹っ飛ばしたあとにやるとゲーム内での評価が上がって現実の評価が下がるアレだ。
僕は目いっぱい「病気で心身ともに弱っている息子」アピールをして、お見舞いに来てくれたお母さんに心配をかけたいのだ。

僕のお母さんは宮坂美玲。
主演映画は軒並み大ヒット、CMに起用されれば商品爆売れ、まさに押しも押されもせぬ大人気女優だ。
そして何よりすごいと思うのは、それだけ確固たる地位を築いているのにも関わらず、バリバリ各種SNSの更新を怠らずファンを喜ばせ続けることだ。
そんなもので、お母さんは仕事が忙しいのだがそれでも(どうやって時間を作ってるのか全く分からないが)毎日必ずお見舞いに来てくれる。
僕はそんなお母さんが大好きで、忙しいなか無理をして会いに来てくれていることを頭では理解しているが、つい心配をかけて引き留めようとしてしまう。
「ヒロくん、そんなこと言わないで?大丈夫!ヒロくんの病気は必ず治るから!だから元気出して?」
……あぁあ、もう!!気持ちいい!
日本の至宝たる大女優が、まだ何者でもない子供のために時間を割いて一生懸命勇気付けている。僕は自分を「特別」にしてくれるこの時間が大好きだ。

詳しい病名は難しくて覚えていないが、僕の病気は自然治癒は難しくて、手術を要するらしい。
というか、手術さえすれば割とサクッと治るらしい。
それでも僕は「手術は嫌だ」「怖い!」と泣きわめいてずっと手術を拒んでいる。
もちろん手術への恐怖がまったくの嘘ということはないが、健康と天秤にかけたら手術を受けた方が絶対にいいということは分かっている。それでも、お母さんを独り占めできるこの環境をおめおめと手放すなんて僕には考えられない。
僕はずっとわがままで気弱な「僕」を演じ続けた。大女優のDNAは間違いなく引き継がれている。

2月13日

今日はお母さんが来なかった。入院してからは初めてだ。
お母さんから
「ヒロくん、ごめんね?今日は仕事でどうしても時間が取れなくて行けないの。明日は絶対行くから!楽しみにしててね!」
というメッセージが来ていたが、気休めにもならない。
もう僕は「特別」じゃなくなったのか?少しやりすぎたか?
確かに分刻みでスケジュールが組まれている人気女優の時間をある程度拘束している訳だから相当な負担を強いているだろう。それにも飽きたらず僕は日々わがまま三昧をしているわけだから、いつかこうなることも予想はしていた。
予想はしていたけど、やっぱり寂しい。

2月14日

大変なことになった。
お母さんがSNSで僕についてのエピソードを投稿したらしく、大女優の息子を勇気付けて手術を受けさせようというムーブメントが巻き起こっているらしい。僕のことがネットニュースにもなっている。
こちとら手術を受ければ完治する割と簡単な病気だということを理解している手前、こんなに世間で騒がれることは流石に恥ずかしい。ほら、やっぱりアンチも湧いている。
「一昔前なら大事だけど、今なら治らない病気じゃないよね?こんな騒ぐのはおかしくない?コイツがわがままなだけ」
「ていうか子供の言うこと聞きすぎでしょ。甘やかさないで手術受けさせるべき」
「宮坂美玲のこと好きだけど、母親としてはちょっと…」
ほら、僕のせいでお母さんも叩かれている。こんなこと望んでいないのに。
憂鬱な気持ちでスマホを見ていたら病室にお母さんが入ってきた。なんか知らないが男連れだ。

…ん?あれ?ウソだろ!
よく見たら、お母さんの隣にいる男はプロ野球チーム「東京サイクロプス」の4番バッター・南原剛史選手だった。
「今日はヒロくんのために南原選手が来てくれたのよ」
「宮坂ひろや君だね。お母さんから話は聞いているよ」
南原選手は優しく、それでいて芯のある声で続けた。
「手術を受ける勇気が出ないんだって?まったく、男の子がお母さんを心配かけるものじゃないぞ?」
僕は「なんだコイツ、うるせぇな」と思ったが、顔に出ないように気をつけながら、
「南原選手、ありがとう。でも僕、手術怖いんだ…」
と返した。
「そっか…じゃあひろや君、おじさんとゲームをしないか?」
「ゲーム?」
「そう。明日の大阪アルバトロスとの試合で、僕はホームランを2本打つよ。約束する。もしそれが出来たら、ひろや君も手術を受けるんだ。いいね?」
「えっと…」
別に頑張れば手術受けられるなんて言えるわけもなく、答えに窮してしまった。

すると、突然病室のドアが開いた。
「宮坂ひろや君はいるかな?」
誰が呼んだのか、そこにはプロサッカーチーム「ファンタズマ茅ヶ崎」のエースストライカー・三好亮介選手が立っていた。
「ひろや君、手術怖いんだって?」
「あ、あぁ・・・うん・・・」
もう本日二回目なので驚きもしない、いや、逆にこんなことが一日に二回起きていることに驚きつつ、目の前の南原選手にまだちゃんと答えていなかったこともあり「絶対に手術の約束の話はしてくれるな!」と心から願っていた。

「明日、新潟ブルータスとの試合があるんだ。その試合、オレはハットトリックをする。そしたらひろや君も手術を受けよう。いいね?」
願いはもろくも打ち砕かれた。
もちろんそれを聞いていた南原選手も気が気じゃなかったようで、
「ちょ、ちょっと三好くん!さっき僕がひろや君とホームランを2本打ったら手術を受けるって約束をしたところで・・・ねぇ?」
「いや、まだ受けるとは・・・」
「あ、そうなの?南原さん、嘘はよくないっすよ」
「いや、嘘というか・・・」
お母さんは自分の息子がなんか変なモテ方をしているのをどんな気持ちで見てるんだろう。あー・・・なんかお母さん、笑ってるか困ってるか分からない顔してんな。

「すいません、ちょっとお邪魔いたしますね」
うんざりしてドアの方を見ると、最年少で棋聖の称号を手にした天才棋士・徳田慎吾棋聖が立っていた。
もう誰もくんなよと心底うんざりした。
もうお母さんも明確に困った顔になっていた。

「きみが宮坂ひろや君だね?明日、竜王戦の決勝があるんだ。私は山本8段を倒して優勝すると約束するよ。だから君も手術を・・・」
もう我慢の限界で、徳田棋聖の言葉を遮るように
「もういい!!!!」
と叫んだ。

「もういい!!!なんだよ、あんたたち!なんでアスリートのモチベーション向上のため僕の病気が使われなきゃいけないんだよ!あんたらプロだろ!?僕が手術を受けるとか受けないとかじゃなくて常に狙ってがんばれよ!」

言い終えて、改めて冷静に病室を見渡すと南原選手、三好選手、徳田棋聖は唖然としていたが、お母さんは少しだけ笑いを堪えていた。よかった、この人は僕のお母さんだ。

しばしの静寂ののち、集ったプロフェッショナル達を代表して南原選手が口を開いた。
「わかった。君の言うことももっともだ。でも、僕たちもプロだ。プロはただ人よりその競技が上手ってだけじゃない。プレイで見てる人たちを元気づけ、夢や希望を与えることができるのが本当のプロアスリートなんだ。ひろや君、君が手術を受けるには僕たちはなにをしたらいい?」
僕は答えた。
「いや、プロなら自分で考えてよ・・・」
その日、プロ3人とお母さんはとぼとぼと帰って行った。

2月15日

東京サイクロプスの南原選手が再びやってきた。
南原選手はプロのピッチャーからホームランを2本打つ難易度をパワーポイントで説明してくれた。
正直難しくてよく分からなかったし、この期に及んで野球で勝負をかけようとするあたり、僕の言っていることが分かっていないようだ。
僕は言った。
「南原選手がプロ野球選手としてプライドを持って試合に臨んでいることは分かりましたけど、そのプレゼンは手術を執刀することを怖がっているドクターにやることであって、手術を怖がる患者にやることじゃないと思います。僕がプロの患者で、手術を受けることにプライド持っているならまだしも、そんな患者いないですから。僕にとって手術を受けることは相当の覚悟がいるチャレンジだし、できればやりたくないことなんです。その辺の条件が対等になるようなアイデアをお願いします。」

南原選手はとぼとぼと帰って行った。

2月16日

ファンタズマ茅ヶ崎の三好選手がやってきた。
三好選手はサッカーの面白さについて30分ほど熱弁してくれた。
僕は三好選手に、南原選手がパワーポイントでプレゼンをしてくれたことと、南原選手に言ったのと同じことを伝えた。
三好選手はとぼとぼと帰って行った。
三好選手のサッカー愛を知り、僕はサッカーが嫌いになった。

2月17日

徳田棋聖がやってきた。
徳田棋聖は「棋士というのは常に100手先を読んで将棋を指すと言われているんだ」などといい、「僕が言った単語の100手先の単語を答える」という若手芸人みたいな一発芸を披露してくれた。
個人的には僕が「ウシ」と言ったあと徳田棋聖が「グラタン」と答えてくれたのが好きだったが、トータル20点くらいの出来だった。
徳田棋聖にも前の二人と同様のことを伝え、徳田棋聖はとぼとぼと帰って行った。

2月18日

ママが「手術を受けなければもうお見舞いには来ない」と言ってきた。
僕は手術を受けることにした。
手術は無事成功したらしい。

2月19日

例の3人が雁首そろえてやってきて、明らかに手術後っぽい僕の姿を見てちょっとへこんでいた。
僕の手術が行われ、無事成功したことを残念がっている様子の3人は、大人とは思えないほど僕のお母さんからキレられていた。
確かに未来ある子どもの手術が成功したことを残念がるその道のプロもどうかと思うが、我が子のために忙しい中なんとか元気づけようとしてくれた大人に対し、感情にまかせてぶち切れるお母さんもどうなんだろうと思ってしまった。
僕はちゃんとした大人になろうと思った。


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