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#201 「役立つ」=「正しい」ではない

子どもは、日々多くの経験を積んでいく。言葉や知識を獲得したり、場面を把握したりする。
「これは、○○って言うんだ。」
「こんな時は、こうしたらうまくいったな。」
これらの経験は脳が覚えている。さらに、脳は、役に立った経験と、役に立たなかった経験を分けて覚えている。僕たちは、脳に保存された経験の中から、該当するものを選び出し、現在の状況に応用している

さて、この脳の機能において、一つ困ったことある。それは、

「役立つ」経験が「正しい」とは限らない

ということだ。


もう一度、確認するが、脳が記録するのは「正しい」経験ではなく、「役に立った」経験なのだ。そもそも、脳には「正しい」「正しくない」を判断し、記録することはできない。あくまでも「役に立った」「役に立たなかった」が基準だ。(知覚の仕組上、役に立つ=生存に関わることは重要なことになる。ようです。)

ということは、次のようなことが起こり得る。

・宿題をやっていない時、「忘れてきました。」と言ったら、その日はやらずに済んだ。
・困った時、泣けば許してもらえた。
・嫌いな授業の時、具合悪いふりをしたら保健室で休めた。

すこし極端な例になったが、どの子も自分の願い(宿題をやりたくない、許して欲しい、授業を休みたい)を実現できているのが分かるだろう。

この経験は、脳に「役立った」経験として知覚される。そして、同じような状況が起きた時、この「役立ったが、正しくない」経験を基に行動してしまう。ここで、子どもに対して、なんで嘘をつくの!なんでごまかしたの!と言ってもしょうがない。子どもの「脳」が、過去の役立った経験から、今回使えそうな役立つ方法を選択しただけだからだ。

「役立つ」「間違った」経験を積むと、子どもは「間違った行動」をとるようになる。脳の機能がそうなっているのだ。

であれば、僕ら教師ができることは明らかだ。
「間違った」行動を「役立たない」経験にすればいい。

嘘はバレる。誤魔化しは通用しない。後回しにしても結局はやることになる。「間違った行動」が「役立たない経験」として脳に知覚されるようにする。

そして、「正しい(望ましい)行動」が「役立つ」ような場を用意し、経験させていきたいものだ。


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