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すること、起きること全てに意味がある。   ビビッとくるものに突っ込め        松尾峻輔の生き様note

大学までラグビーを15年してきた。早く大学を卒業してきついラグビーを辞めて自分のお金でしたいことして遊んで楽しもう!と考えていた。しかし、ラグビー中心の生活からラグビーを失い、目標もなしにスタートした社会人1、2年目。頑張る対象がなくなり、何をしているのか、何をしたいのか、何もかもが手につかなかった。同期で、就職した人たちはお金をたくさん稼ぎ、レクサスを買ったりブランド品を買ったりして楽しんでいる姿を見ていて、適当でも良いから就活をして、したくない仕事でも良いからちゃんとした仕事に就けばよかった。お金だけしっかり稼いで遊びまくりたい、もっと人生楽しめただろうなと自己嫌悪になっていた。

その時に、たまたまYouTubeで流れてきたのが、年収1000万の男たちだった。何をしている組織かも知らない上に、7人全員が他の仕事をしながら共通のやりたいことをみんなでしている組織くらいだと思っていたが、この組織のにビビッときた。そこから、YouTubeやInstagramなどのSNSでGOAL-Bに関わるものはひたすらにフォローして、今田さんや中川さんなどメンバーの1日のルーティーン動画などを見まくった。人生1日1日を最高のものにしようという姿を見て、俺も自分のしたいことに熱中して最高な人生にしたいと思ったし、俺なら絶対できると思った。

こう確信できたのもこれまでの24年の人生の経験と学びがあったからだと思う。今回は、私のこれまで24年間の経験の学びと気付きを書きます!今があなたの人生の中で最も若くて最も最高な出来です。人生遅すぎることはない。最高の人生は手に入れれる!


小学生

1、親の離婚
2、チームの同期4人

【1、親の離婚】
小学2年生で父との別居、小学5年生で離婚。母と一緒に暮らすことになった。周りの友達にお父さんがいない人もいないし、授業では、お父さんお母さんに手紙を書く授業はあるし、父がいないということが物凄いストレスになっていた。正直母にすらムカついてた。
姉2人と自分の3人姉弟のため子育ても教育資金に関しても非常に苦労していた。さらに、母は一人娘のため、祖父祖母の世話も両立しなければならなかった。友達の父に遊びに連れて行ってもらったり、家では料理をしていたりと自分の家では母が全てしていることが普通ではなかった。
また、教育費などの話し合いに父が家に来ていた時は、母を突き飛ばしたり毎回泣かせて帰ったりしていた。母を見るだけで悲しかった。今でも母が階段に突き飛ばされてビクビクしている顔は鮮明に覚えている。
男が自分だけだったこともあり、母を守らなければいけないと思えた。小学6年生くらいになると何か手伝えること(犬の散歩やお風呂洗い、洗濯物たたみなど)がないのかと考えるようになっていた。母が喜ぶ姿、顔が自分の喜びだった。そのうちに母だけではなく自分に関わる全ての人に対しても、どうしたら喜んでくれるか、その人が楽になるかを考えるようになっていた。

常に人の立場になって考え、人のためになることが喜びになっていた。

【2、チームの同期4人】
私は小学2年生からラグビーを始めた。始めた頃は、2人だったが6年生で4人となった。チームに入ってくれた時非常に嬉しかったことを覚えている。上の代も下の代も10人ほどいた。小学生のラグビーは9人必要だが、4人だったため練習もできることが限られていた。試合は合同チームで出場することができた。合同チームの練習は月に1、2回程度だったが、県で2位くらいのチームだった。人数はいないけど意外と試合もできるしなんとかなるなと感じた。

どんなにやばい状況でもどうにでもなるから大丈夫

皆さんもスポーツをしたり、様々なコミュニティに参加してきたと思いますが、人数がたくさんいるとそれが普通になってしまうけれど、私に関しては、人数がいるだけで嬉しい気持ちだった。そのため、一緒にしてくれた3人には今でも非常に感謝しています。試合もできないほど人数に恵まれない環境でしてきたことで、人への感謝の気持ちが芽生えた。関わる人を大切にする根本はここから生まれた気がする。


中学生

1、中学2年生で県選抜チームでスタメン出場
2、中学3年生クラブチーム、県選抜キャプテン

【1、中学2年生で県選抜チームでスタメン出場】
クラブチームでは、体が大きいだけで、一つ上の学年でも目立つことはできた。もとのポテンシャルや才能はなかったが、上手くなるための努力はチームでは負けなかった。家の前の道路でサッカーボールでパスの練習を毎日2時間くらいやりまくった。チームで1番パスが上手くなったし、上手いと褒められた。誰よりもやりまくれば勝てることを知った。
そして、県選抜に選ばれた。最初は、スタメンではなかったが、誰よりもやりまくれば勝てることを知っていたので、練習では、50%の力でのタックル練習も100%でやりまくった。結果、気持ちを買われてスタメンとして出場することができた。

努力は嘘をつかない(学校でもよく聞く言葉が身に染みて分かった瞬間だった)
周りと同じことをしていても勝てない
勝つためには手段は関係なくやりまくればいい


【2、中学3年生クラブチームと県選抜キャプテン】

2年生から県選抜に選ばれているというプライドはあった。選抜で昨年から選出されているのは2人。しかも、試合に出ていたのは自分だけ。負けられない。負けず嫌い発揮。コーチからは俺が誉められないと気が済まなかった。他の選手からやられることは考えられなかった。
それと同時に、キャプテンとして俺がこのチームを勝たせなければならないという責任感を持った。朝早く起きて学校に行く前に、階段ダッシュや長距離走をしてとにかく自分がやりまくった。2年生の時は自分のためだったが、3年生では明らかに自分のためではなく、チームのためにいう気持ちが強かった。

チームや人のためとなると体が勝手に動いた
自分のためよりも人のためにする方が気合いが入ったし、気持ちがよかった


高校生

1、ラグビーが嫌いになった

【1、ラグビーが嫌いになった】
高校1年生からメンバー入りして中学生の時と同じように順風満帆に行けると思っていた。しかし、一つ上の代の選抜には、中学生の時2年生から選ばれてないやつが選ばれている中で、自分は選ばれなかった。周りには怪我してたからとか嘘をついていた。本当は泣きたいくらい悔しかった。次は、骨折を2回して試合にも出れないことがあった。どんどん周りから抜かされていった。結局高校3年生の県選抜にも選ばれることはなかった。学校のテスト期間と選抜の試合が被り、みんなが楽しそうな投稿をしているのを見ながら試験勉強や試験に臨んだ。勉強どころではない。問題を解きながら頭の中は仲間たちの顔が浮かんでいた。涙が出た。周りの人からの目を異常に気にしてしまい、中学までだったねという声が聞こえるような感覚になっていた。これは、これまでの経験の中で一番悔しくて、今でも考えただけで泣けてくる。
高校ではキャプテンをさせてもらったが、前年のキャプテンは日本代表レベルで全国でも知られているような選手でポジションも同じ。監督、コーチからは比べられ、毎日「あいつはこうだったのに、お前はだからだめ」と比較された。人の目を異常に気にしており、失敗したらまた言われる。責任感よりも自分がどうしたら怒られずにキャプテンぽいことをできるか考えていた。こんなキャプテンのチームはもちろん全国大会予選決勝で負けて出場できなかった。全国大会に行けなかったのはここ10年くらいで自分達の代だけ。さらに周りの目が気になった。中学生の頃は輝いていた分、さらに自分の雑魚さを痛感させられた。最悪な3年間だった。もう大学でラグビーしなくていいやと思って母にも伝えた。

全国高校ラグビー(花園)予選敗退


結局、母からの大学まで頑張ってほしいという言葉で、大学まで頑張ることにした。母のためにという精神と努力すれば勝てるというこれまでに経験から大学では絶対に活躍して、母を喜ばせたい。中学生のように活躍したいという気持ちで、引退後もみんなが帰る中、練習に参加したり、トレーニングをする日々を送った。

成功体験を持つことの大切さ。小さくてもそれがあるだけで、できると思える。
100回行動して1回の成功を得ることが次につながる


大学生

1、やりまくった
2、環境の大切さを知った

【1、やりまくった】
やるとなったら本気でぶつかる。
母からもらう頑張ろう!という鼓舞するパワーは絶大だと感じた
高校でラグビーへの熱は冷めたものの、いざやりだすと負けず嫌いを発揮し、とことん勝ちにこだわった。1年生の頃、同期にポジションを取られていて悔しくて、そこから毎日の自主練の日々が始まった。練習1時間前にはグラウンドに行き練習、チームでの練習2時間、練習後に練習1時間。誰よりも量をこなすことしか頭になかった。それのおかげで2年生からはAチームの控えに入れるようになった。3、4年生では全試合にスタメンとして出場できた。4年生の時は、大学選手権にスタメンとして出場してベスト4という目標にした。ただ、大学選手権に出場できれば13年ぶりという簡単なものではなかった。これまでの練習量じゃ足りない。そこから、毎日14時から20時くらいまでグラウンドに行き練習前2時間、練習3時間、練習後は仲間を3人集めて1時間練習をする日々を作った。ひたすらに量をこなした。休みの日も仲間を3人集めて練習をした。1日1時間でも良いから、練習をしない日はなかった。就活すらもしている時間があるなら練習していた。
DFをターゲットに練習をした。タックルの入り方、1on1でのステップへの対応力、そして、対戦する相手のシステム分析の3つをした。携帯で動画を撮ってフィードバックをしながら、毎日改善点を明確にして取り組んだ。
この積み重ねがあり、大学選手権に13年ぶりに出場することができた。また、試合では抜かれる気がしなかった。
目標設定と行動の明確化をすることの大切さを知った。
高校とは逆に嬉しくて涙が出た。努力は嘘をつかないことが確信に変わった。

13年ぶりの大学選手権を掴んだ

高校では落ちこぼれたけど本気でやれば誰にでも可能性はある


【2、環境の大切さを知った】
自分が所属していたラグビー部は、早稲田大学や明治大学などの強豪校ではなかったため、強豪の高校の選手はいないし、大学選手権を目指すなどの目標を持っている選手は、1〜2割程度だった。
人間は楽な方に流される。
残りの8割程度の人間は、ただ部活をしているだけ、遊び中心で練習も休みがち。このような先輩の方が楽で、どんどん流されていく。私は、運よく本気な先輩たちと仲良くさせてもらっていたため、逆に良い方向に流された。
環境が人を良い方向にも、悪い方向にも導くことは聞いたことはあったが、身をもって体験した。
大学4年時には、リーダー陣でもない私は、良い方向に導きたい精神から練習の欠席に関しては、キャプテンじゃなく俺に言ってくるようにしてほしいことを伝えた。休む理由を自分のところに言いにこさせた。嘘をついているような奴らには、徹底して一緒に頑張ろう!という気持ちを伝えきった。結果、休む人数は減ったし、練習態度は格段に良くなった。

人間は良い方向に行くことが難しいのではなく、そういう人が周りにいないだけ。良い方向の連鎖を起こせば絶対に良い世の中になる。確信した。


社会人

1、いろんな人に出会った
2、姉の癌宣告
3、GOAL-Bとの出会い

【1、いろんな人に出会った】
社会人になり、勉強もろくにせず、ずっと推薦で大学までラグビーを使って入試なんてしたことがなかったが、なぜか、俺はやれると根拠のない自信があった。今は0でも人よりもやりまくればきっと這い上がれる。

東京でコンサルティングをされている方と

とにかくプライドを捨てて他人から学ぶことをやりまくった。福岡でも東京でも行った。分野はなんでも良いからとにかく成功している人のところに話を聞きに行った。オフラインで5人、オンラインで5人とお話をさせて頂いた。聞きに行くことでさまざまな学びがあり、今では、その方々のおかげで将来実現させる!と思えたことがある。また、YouTubeや本でもいろんな人に出会った。こうして、やりたいことを見つけさせてくれたGOAL-Bをはじめとして、0秒思考や毎朝の運動などの習慣などは、この様々な出会いから学び真似をさせていただいていることでもある。
我流ではなくとにかく真似る
まずはやってみる
全てのことから何かしらの学びはある
本気で自分を変えたいと思えば体は自然に動く


【2、姉の癌宣告】
第二子出産間近、首が痛くて居ても立ってもいられなくなった。結論から言うと、腫瘍で圧迫されて首の骨が折れていた。精密検査をするために、緊急帝王切開。検査結果は首、太もも、肺、骨盤と色んなところに癌が見つかった。姉の気持ちを考えただけで泣けてくる。1ヶ月は寝ようとするとそのことが浮かんできて睡眠不足だった。今でも、ふと浮かんできて俺だったらよかったのになと思う。普通は子供と一緒に退院できるが、姉はそのまま入院したままだった。やっと退院しても骨が折れる可能性等で抱っこすることもできない。仰向けで寝るのも痛い。今までできていたことはできないし、痛いし、どんどん痩せていった。家に来ては苦しそうだし、泣いているしで自分も心がキツかった。

普通に何事もなく生きていることは幸せなことだと改めて気付いた。と同時に、したいことがあっても病気などでできない人もたくさんいる。何でも好きにできる今があることに感謝して、もっと自分にベクトルを向けて、したい事にとことんぶつかっていく事が大切だと思った。
また、姉家族など自分の周りをを支えていく。その覚悟ができた。家族のために、人のために自分を使い果たす。

人間GOAL(やらなければいけないこと、やりたいこと)ができたら強い


【3、GOAL-Bとの出会い】
人に出会いに行ったり読書したり、毎日トレーニングしたり、FPの資格とITパスポートの資格を取得したりと生活を充実させようと様々なことに取り組んだ。向上心だけはあった。しかし、大学生の時みたいな熱中が全くない。生活に充実感を1ミリも感じれなかった。学んではいるが成長している気がしない。

熱!めちゃくちゃ人生楽しそう!こんな熱い人たちと仕事したらめちゃくちゃ成長できる(環境の大切さからくる根拠ない自信)

『年収1000万の男たちとの出会い』
大学時代の自分と重なった。ワクワクした。ここだったら仕事も人生も全てが最高のものになるじゃん!大学時代に感じた環境の大切さにベストマッチした瞬間だった。全てのSNSでフォローしまくった。Reboostの存在を知る。知った瞬間に登録。

仕事では、人が2時間かかる仕事を1時間で終わらせて、早く終わった分、他の人の仕事をもらってするようにした。生産性を上げて貪欲に自分から仕事を得る習慣を作った。ただ、成果が数字に出にくかったり、人のためになっているというのが見えにくい仕事に違和感を覚え体験コーチングに申し込んだ。

体験コーチングは千葉さんとのセッションだった。熱に圧倒された。自分のしたいことに向かってとにかく全力で突き進む姿が画面越しに見えた。圧倒的な成果を出しまくっていた。これだよ!と思った。圧倒的な成果で世の中に還元したい。何よりも、俺も人にこんなふうに思わせたい。背中を押せる、頑張ろうと思わせる人間になりたい!人の人生に影響を与えまくりたい、人の変わるきっかけを作りたいと思った。千葉さんもコーチングを受けてから人生が一転したと言っていた。もう目指すとこは決まったしやるしかないじゃん!
キャリスピも申し込み完了。(全財産どころか大借金生活決定!笑)不安はあるけど、気合いが入りまくった。
ここから人生メチャクチャに変えよう。

セッションが始まり、自分のwant toを見つめ直し、職業機能を決めた。
共に考え、教えることで、頑張ろう!と思わせる屋さん
自分の行く方向を決めた!キャリスピはまだまだ先があるが、する前と今では明らかに目標に向かう心意気が変わった。キャリスピは変わるきっかけを与えてくれた。そして変われた。だからこそ、俺も

キャリスピを世の中に広めたい!人が変わるきっかけになりたい!


【最後に】
社会人になり人生の目的も目指すべきところもなく、ただ自分の強みである「向上心とやればやるだけいい」の精神でいろんなことをした。どこかに転職ができればいいということだけ考えていた。

仕事=人のためになること つまり ありがとうの対価がお金であるということ。
これは自分自身1番大切にしていること。

人のためになるためには(仕事)は、自分に圧倒的な自信を持ち、自分らしく生きること。相手に壁を作ると相手も壁を作る。 自分を押さえつけずにとにかく本音の自分でいることで伝わり方が違ってくる。

また、GOAL-Bからは本気で自分の人生を最高のものにしよう。そして、世の中の人を最高と思えるように導きたいという雰囲気が溢れ出ている。
俺もそう思わせたいし、そう思われるきっかけになることができると信じている。

良い影響は連鎖する
世の中の全ての人が自分らしい生き方に熱中し、情熱をもって生きている
そんな世界を作る
その連鎖の原点になる きっかけになる
その原点 きっかけとなる自分が自分らしく本音の自分を使い果たす




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