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彼我の認識の違い

 この時期、8月に入ると、日本では先の大戦についての体験と反省を聞く機会が増えると感じます。
私はその当時のことは体験していないので、親から聞いたり、マスコミなどを通じてその時の話に触れることがままあります。
当然、体験談は悲惨なものが多く、必然的に戦争は否定されるべきもの、という考えや感情を持つに至るのは自然なことだろう、と考えてます。

 先の大戦は、日本は自国民や他国民の甚大な被害、また都市が空襲や核兵器で破壊され、沖縄では地上戦、また無条件降伏して領土を占領された上に、海外領土も喪失するなど、開戦に至る国策を間違えてしまった結果だとは思います。
そのこともあり、日本では戦争は否定されるものという雰囲気になるのでしょう。

。。。日本は78年前の戦争の経験で、戦争は悲惨なものという「常識」がかなり共有されているはずですが、諸外国はどう考えているのだろうといつもこの時期には考えます。特に戦勝国は、自国の誇りとし、また国民団結の象徴的な事例として認識していると思われるところも聞きます。
この国内外の認識の差について、同じ事象(戦争)でありながら、全く違う形が見えているのだろうと想像し、そこに彼我の認識ギャップを感じます。

 自国内での経験伝達はこれからも必要でしょう。日本は幸い今のところは、こちらから打って出るようなことはないかなと思います。
 そして、未だ戦争を否定していない諸外国に向けて、戦争の悲惨さを伝えることもまた大切なことかもしれません。ですが、こちらの想いを聴いてほしいなら、彼らの認識についても耳を傾ける必要があるんだろうなぁと考えます。でも彼らにはそのような動機はあるのだろうか、こちらは、彼らの認識を聴く(同意までなしなくても否定はしない)度量があるんだろうか、と感じるところです。

認識の違いを話し合いで埋めるには、人間の生涯はあまりにも短すぎるのかもしれませんね。


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