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『恐るべき子ども グラン・ブルーまでの物語 』by リュック・ベッソン

リュック・ベッソンといえば、まず『グラン・ブルー』そして『レオン』、『ニキータ』などの作品が思い浮かぶ。

なかでも『グラン・ブルー』は伝説のダイバー、ジャック・マイヨールとエンゾ・マイヨルカをモデルとした海の物語。潜水記録を作ったこと以外、ストーリー自体はフィクションだという。

この映画でジャン・レノが演じるエンゾ・モリナーリが大好きで、これでジャン・レノのファンになった。その彼が、リュック・ベッソンが見出した俳優だということをこの著作で初めて知る。

幼い頃から、父親がクラブメッドで働いていたことで夏は海で泳ぎ、冬はスキーに親しんでいたという。複雑な家庭環境にあって孤独を抱えつつ、自然と向き合うことを好んだリュック少年は、海に魅せられ、イルカと交流できるようにまでなるが、潜水事故によりスキューバ・ダイビングができなくなってしまう。そこで、いつか海の美しさを撮りたいと思い、後に実現したのが『グラン・ブルー』だった。

ただ、そこに至るまでには10年かかる。ベッソンの映画製作に向ける並々ならぬ熱意があり、映画に関するありとあらゆる下働きをしながら、自分の映画を作ることに向けて製作スタッフや俳優の人選を行っていく。ジャン・レノ以外にも、彼の映画音楽を一手に引き受けているエリック・セラともこの時期に出会っている。
彼の実質的な最初の作品は『最後の戦い』で、これが映画祭で賞を取ったことから、リュック・ベッソンという監督に世の中の注目があつまっていく。既存の映画界からは異端視され、興行的にはまだ成功とはいかなかったが、ここからイザベル・アジャーニ主演の『サブウェイ』の製作へと続き、カンヌ映画祭のオープニングを飾る『グラン・ブルー』へとつながっていく。

恐るべきこどもというタイトルは、同時代にデビューしたジャック・ベネックス、レオン・カラックスと共に、3人が「恐るべき子供たち BBC」と呼ばれたことから取っているものと思われる。
だって、『グラン・ブルー』は彼が29歳の時の作品だったんですよ!
鬼才と言わずとしてなんという?

あんなに素敵な話題になった作品だったのに、『グラン・ブルー』は当初業界からは酷評され、興行的にはあまり振るわなかったそう。日本でも88年の公開当初は他に話題作も多かったことから観客数が伸びず、すぐ打ち切りになってしまったらしい。
ただ、フランスで「グラン・ブルー・ジェネラシオン」と呼ばれる若い世代の熱狂的な支持を受けて大ブームとなり、92年に日本でも再度のロードショーとなった。
実はそのあたりのことはあまりよく覚えていないのだけど、私が知っているのは再度上映の頃のことなんだと思う。

ちなみに、神戸の北野には「ジャック・メイヨール」というワインバーがあった。最初はビルの地下の小さなバーで、それから安藤忠雄設計のROSE GARDENに移転したと記憶。マスターは、かのフレンチの名店「ジャン・ムーラン」でソムリエを務めた橘真さんだった。
一度だけ行ったが、オシャレ過ぎてなんだか敷居が高かったことしか覚えていない。その後ほどなくして、橘さんは店を閉めて淡路島へ移住された。

2作目の『サブウェイ』主演のイザベル・アジャーニの紹介で、『グラン・ブルー』についてはウォーレン・ベイティがプロデュースとスポンサーを申し出ていたが、金銭トラブルにより、袂を分かっている。
『最後の戦い』では、当初ミュージシャン役はスティングに依頼し、快諾を得ていたが、撮影のスケジュールが延期となり、スティングのワールドツアーの都合で断念。ただ、その後も親交は続いていたのだろう。『レオン』のラストシーンに流れる曲をスティングが提供している。


それにしても、29歳まででこれだけのエピソードがあるリュック・ベッソン。とても読みごたえがありました。




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