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シエロとフリオと酒場でDABADA

カルト・ワインのフィナーレの曲、沢田研二さんの酒場でDABADA。

はじめのころ、この曲がフィナーレに充てられている意味について深く考えていなかった。けれど、ふとずんちゃんがナウオンで「フィナーレがついてから芝居が入りやすくなった」と言っていたことが気にかかり、曲に向き合ってみた。ちょうど東京ブリリア公演が終わり、ドラマシティが始まる直前のころだったと思う。

舞台ではずんちゃんがもえこちゃんのえりあしをねっとりなでつけて考察力を奪ってくるし、歌詞は歌詞でわかるようでわからない曖昧さをもっているけど、実際にひも解いてみると目からうろこだった。

・・・シエロと・・・フリオや・・・

曲中男から女への想いが吐露されるが、カルトワインのフィナーレで披露される酒場でDABADAはシエロからみたフリオへの想いに重なる。

フィナーレで歌われる個所は曲の後半からなのだけど、いったん初めから見てみてほしい。

酒場を探して見えない時は 近くの墓場を探してみろよ
ダブルのグラスに花をさし ゆっくり眠っているはずだから
ダバダ ディディ ダバダ ディダ
ダバダ ディディ ダバダ ディダ
ちょっといいジョークだね

酒場でおれを探して見当たらないときは墓場を探してくれ。墓の両脇には菊の花。まるでグラスみたいだろう。俺はそこで眠ってるはずだから はは 笑えるジョークだろう

お前が性悪女であれば そのまま一緒に暮らしたけれど
心のやさしい女だと わかってしまえばおさらばするよ
ダバダ ディディ ダバダ ディダ
ダバダ ディディ ダバダ ディダ 美しい話だね

過去に愛した女がいたがもうおさらばした。自分の先の見えない人生にあいつを巻き込むわけにはいかなかったんだ。そんなこともあった。美しい話だろう

そして少々略して、ここから先がずんちゃんがフィナーレで歌う個所。。

ゆっくり生きたら百年かかる 急いで生きたら三十いくつ
どうやら俺には短めの 酒場と墓場の二幕芝居
ダバダ ディディ ダバダ ディダ
ダバダ ディディ ダバダ ディダ ギンギラの男だね

まっとうに生きれば100年の人生も、酒浸りのおれは30いくつで幕を閉じそうだ。芝居に例えれば一幕は酒場、二幕で墓場があるだけの短い二幕芝居。俺にはそれがお似合いさ。ギンギラだろう。

真夜中過ぎたら左手が お前を恋しがり 豊かな体を思い出し
ビリビリふるえることもある よせよよせよ悪酔いするよ
ダバダ ディディ ダバダ ディダ
ダバダ ディディ ダバダ ディダ それもまたせつないね
ダバダ ディディ ダバダ ディダ
ダバダ ディディ ダバダ ディダ ギンギラの男だね

そうはいってみても真夜中を過ぎると抗えずお前を欲する夜もある。左手がおまえを覚えているんだ。あぁそんなこと考えてはならん。悪酔いしちまう。・・・ついそんなこと考えてしまうのもまた、切ないもんだ・・・

ーーーーーーー

はじめて歌詞を柔らかくもみほぐしてみたとき、ぱぁっと視界が開けていくような感覚に見舞われた。

シエロは劇中自分の気持ちをあけっぴろげにして生きていない。時にフリオに吐きだすことはあれど、それ以外の人間に本音を見せはしない。そのシエロがフィナーレでは逆に、胸の内を明かしているような曲だ。
明かされた胸の内は、決して男女のそれではなく、もちろんチャポやミラに向けた社会のしがらみでもない。
フリオただ一人に充てたシエロの心の中だった。

ゆっくり生きたら百年かかる 急いで生きたら三十いくつ
どうやら俺には短めの 酒場と墓場の二幕芝居

ホンジュラスのシエロを思わせる。明日があるかもわからない中その日を生きてきたシエロ。その時みえていたのは生きている今と、死ぬかもしれない明日。その二幕しかなかった。

これはホンジュラスだけでなくアメリカでの狂乱の日々も示唆しているように感じる。天才的味覚と社交を武器に自分の居場所を見つけたようにみえた。しかしこの渇いていく気持ちは何なんだ、と。認められているはずなのに渇いていく。ホンジュラスから脱してなお、シエロの空虚な二幕芝居は続いていたのだ。

真夜中過ぎたら左手が お前を恋しがり
豊かな体を思い出し ビリビリふるえることもある 
よせよよせよ悪酔いするよ

狂乱の日々をやり過ごし、深夜、偽造ワインを調合しながら脳裏に浮かぶのはただ一人、フリオの顔だ。あのとき振り切って別れたきりの親友(歌詞では 心のやさしい女だと わかってしまえばおさらばするよ の部分)モニカの手術代を受け取らせ、振り切るために言い切った「足手まといなんだよ」の言葉。あれでよかったと固く思っている。

でもあいつ・・・どうしているかな。

一人静かに作業しているとフリオと作ったスクリーミングイーグルを思い出す。塩気が足りないといえば塩はどうだというし、もっと香ばしいんだといえば塩を焼いていれればいいという。そうじゃないとさんざん悩んだ挙句、ソイソースにたどり着いたときは格別だったな・・・

そんなことを思っていたんじゃないかな。唯一なんでも言い合える相手だったフリオを、自分の背負う元マラスという肩書の人生に巻き込まないために突き放した過去。
劇中、フリオを懐かしむ描写がないだけに、フィナーレで明かされるシエロの胸の内が染みる。

そしてこの後、同じ歌詞をフリオが歌う。


真夜中過ぎたら左手が お前を恋しがり
豊かな体を思い出し ビリビリふるえることもある 
よせよよせよ悪酔いするよ

フリオも・・・フリオも同じところを歌うんだ・・・・それってつまり・・・フリオも同じ気持ちだったんだ~~~~~~~~!!!

うわ~~~~~~~~・・・・・・

・・・・うわ~~~~~~~~!!!

エモい エモいじゃないですか

完全にエモーショナルじゃ~~~~~~~~!!!!(キャラ変)

今までも何度も言ってきたけど、シエロとフリオの関係があまりにもシエロとフリオにしかない関係で。二人のことを話したくて、家族、親友、戦友、バディ・・・あらゆる言葉をあてはめようとするも、どれもしっくりこない。
それに、フリオもなにも言わない。シエロへの想いは言葉にしない。
唯一言っているのは面会に来たフリオが「シエロ…おれ…」と言いかけたくらいだ。

でももういい、言葉なんかみつからなくてもいい。
ただただ、シエロが歌う想いと同じ思いを、フリオも歌って返すんだ。

それで十分じゃないか、それ以上何を望むんだ、いや、何も望まん!!!

なんてフィナーレ!!!!!!

ずんちゃんがナウオンで言っていた
「フィナーレがついてからの方がお芝居がしやすくなった」

・・・・・・・・・・
わかるよ!!!!(軽率にいわないでください)

・・・・・・・・・・・
「フィナーレがついてからの方がお芝居がしやすくなった」
わたしもだよ!!!!!!!(出演していません)

フィナーレのワンシーン、アマンダの背中を押してフリオのもとに行かせ、フリオが受け止める演出について、稽古場レポートで「(フリオとアマンダは)そういうことでしょ(アマンダはフリオのもとに戻る)」と一種確信をもって話すずんちゃん。

そうですよね、だってフィナーレが物語ってるから!!!

・・・今までも何となくニュアンスで受け取っていたフィナーレ。なんでここで昭和歌謡なんだろう。レトロなニュアンス注入によるオシャレ感?と浅いところでちゃぷちゃぷしていた私。

ふと歌詞と向き合って内容をひも解き、そしてもえこちゃんが同じ歌詞をなぞる。その意味を再確認した瞬間、栗田先生が酒場でDABADAをフィナーレに配置した意味合いが一気に色を帯びて目の前に広がったように感じた。

フィナーレまでしっかりカルトワイン。気持ちのいい陶酔感。
最後の最後まで悪酔いするよとささやかれちゃ、そりゃぁこの世界から抜け出せないってもんです。

罪で納得のフィナーレが、二人の関係を描き、さらにカルトワインの世界へ没入させてくれました。
まだまだ手放しませんよ、この心地よい悪酔いを。

酒場でDABADAにおけるカルトワインフィナーレ考察でした。
読んでいただきありがとうございました!
♡していただくと某調合師のセリフが…?♡

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