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趣味ってこんなしんどいものだったっけ

夢ならばどれだけ良かったでしょう
と脳内に流しながらツイートする気にもなれなくてこちらへ。

私は宙組とともにここ数年歩いてきた。
宙組さんが足を止めても、私は生活という歩みを止めるわけに行かない。
変わらず立ちどまったままの宙組さんと次第に距離があくのを振り返り振り返りしながら、不安を抱えたままゆっくり歩みを進めて来た。
でも一生懸命振り返りひねったその首も、もうもげそうである。

このままいつまでも待つよ!と声高に叫んだかと思えば、でももう一端離れたい、それができるのであれば、と弱音が出る。弱音じゃなくて本音かもしれない。その瞬間そんな選択も許されていない贔屓の笑顔が駆け抜ける。贔屓を置いていくのか、と自問が始まる。

何だかこの繰り返し。

観劇は趣味だ。楽しいはずの趣味だ。
他に好きな演目もある。宙組はもちろん他組も好きだ。でもいつしかわたしの趣味の真ん中は、宙組が好きだ!になっていた。
芯の部分が凍りついたままの今、私の身の置き場はどこなのか。一端他のことに目を向けてみては?と思うけど、この重たい気持ちを抱えたまま、他へ目を向ける行為に前向きになれない。趣味って出会うものであって、奮い立たせて見つけようとするものが実になることはなかなかない。

ご遺族の方と劇団の話し合い云々とはまた別なのだ。

これは私の身の置き場のおはなし。
そろそろいろいろ限界で、私は私の心をまず、先に考えないと回る首も回らなくなってきている。それは欲であり満たされたい心であり、自己満足を求めてる自分に失望もしている。

私の趣味はどこへ行ってしまったのか。趣味ってこんなに辛くて歯を食いしばるものだったのか。


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