「満蜂-ミツバチ-」1話

人間の不幸を蜜のように収集する奇妙な生命体「ミツバチ」が突如現れた。
ミツバチは人間と同じ見た目をし社会に溶け込みながら、様々な人の相談事を聞いて回る。
そして、聞く対価として頂く物。
それはその人の持つ不幸エネルギーである。
このエネルギーが抜かれた人間の脳は快楽に満たされ、そのまま堕落してしまう。
世界ではそれを良しとし、ミツバチを神の使いとして信仰する宗教すらできていた。

「ああ、神の使い満蜂様。
どうか私の心も満たしてください」

雑踏の中そう叫ぶ男性が一人。
周りを歩く人達は彼を気にも留めていない。

ミツバチ。

ストレス社会が加速する現代。
不幸を取り除き、その脳内を快楽で満たしてくれるというそれは一部の人間からは信仰対象として崇められていた。
心を満たす神の使いという意味合いで「満蜂様」と。

満蜂様が、人間から搔き集めた膨大なエネルギーを使って、いつか世界を無に帰してくださる。
それが世界の理であり、新世界の始まりである。

✽✽✽

「はぁはぁ……すみませーんっ!」

乱れた息を整えながら挨拶をする。

「八九寺です。弟の迎えにあがりました」
「おねえちゃん!」

そう叫びながら一人の男の子が私のもとへ駆け寄ってくる。
弟のりょうだ。

「りょう、遅くなってごめんねー」

そのままりょうが私に抱き着いてくる。

「ちゃんといい子にしてたー?」
「うん!」

顔を上げて元気よく応えるりょうの頭を撫でながら、近付いてくる人影に目をやる。

「かなえちゃん、いつもお疲れ様。
今日はお母さんの所に行くんですって?
だから、りょうくんいい子にして待ってたのよ」

りょうの面倒を見てくれている保育士さんだ。
彼女がそう言うや否、りょうはふくれっ面になる。

「いつもいい子だもん」
「ふふっ、そうね。りょう君はいつもいい子ね」

今度は保育士さんが、ご立腹なりょうをなだめるように頭を撫でている。

しかし、私はそれを聞いて苦い顔で尋ねる。

「ほんとですかぁ? 家では私の言うことなんて全然聞かないんですよ」
「お姉ちゃん、うるさいもん」
「りょう……?」

間髪入れずに返してくるりょうの言葉に思わず私の顔は引きつる。

「まあまあ。でも、りょうくん。お姉ちゃんの言うことはちゃんと聞かなきゃだめだよ」
「はーい」

とがめられて、りょうが渋々と返事をした。
やれやれ、とため息をつきながら「それじゃあそろそろ」と、別れの挨拶をうながす。

「失礼します」

私が言うと続くように、りょうも挨拶をする。

「先生ばいばーい」
「ばいばい。かなえちゃん、お母さんにもよろしくね」

はい、と頭をぺこりと下げる。
そして少しずつ遠く小さくなっていく、手を繋いで歩く私達の後ろ姿を見守る保育士さんがぼそっと呟いていた。

「偉いわよねぇ。学校行ってバイトも家事もして、
りょうくんのお迎えまで。何か力になれたらいいんだけどねぇ……」

✽✽✽

「おかあさーん!」

りょうが勢いよく病室のドアを開け、その部屋の主へと駆けていく。

「こら、病院で走らないの」

私はりょうのこと叱りながらも、後に続いて病室へと足を踏み入れた。
私達の母親が入院している病室だ。

「ふふっ、りょうはいつも元気いっぱいだねぇ」

抱きついてきたりょうの頭をなでながら母が口にする。

「もう、お母さん。りょうのこと甘やかさないでよ」

ため息をつきながら私は母に文句を言う。

「あら、元気なのが一番でしょ。かなえも元気?」

そう聞かれて私は急いで笑顔を作って答える。

「うん、元気だよ」

しかし、そんな作り笑顔なんて母にはお見通しだった。
私の顔を覗き込むように再度尋ねてくる。

「ほんと? 無理してない? 大丈夫?」
「大丈夫だって」
「そう、ならいいんだけど。
でもそんな暗い顔ばっかしているとハチがやってくるんだから気を付けなさいよ」
「ハチ?」

りょうが何のこと?と頭にはてなを浮かべていた。そんなりょうの言葉に母は頷きながら自分の口角を指で引っ張っていた。

「そう、だからね、もっと笑って。ほら、笑顔」

いつからか、地球上には新種の生命体が出現し始めた。
らしい。
見た目は人間と遜色ない。
特徴は二点。
一つは、親身になって他人の相談事を聞いてくれること。
そしてもう一つは、話を聞き終わった人間から不幸エネルギーを吸い尽くすこと。

彼らにとってそれは食事行為ではない。
さながら蜜蜂のように巣に持ち帰って蓄えていると言われている。
「他人の不幸は蜜の味」
そんなフレーズも相まっていつしかその生命体は『ミツバチ』と呼ばれるようになった。

一見すると害がないように見えるが、不幸エネルギーを失った人間は正と負の感情のバランスが崩れてしまい、快楽のみに溺れてしまう。
およそ麻薬依存に近い状態であり、被害者は通常の生活が難しくなる。
そのため、このことは一時期、社会問題として世間を騒がせた。

しかし――

「もう、りょうに変なこと教えないでよ、お母さん。都市伝説でしょ、それ」

口をとがらせて私は言う。

――物的証拠はなく、被害者も全てただの麻薬中毒者だと結論付けられ、すぐに忘れ去られてしまった。

「都市伝説なんかじゃないわよ、お父さんだって……」

そう言いかけた母の言葉を遮るようについぞ大声を出してしまっていた。

「お母さん!!」

一瞬の静寂。

「お姉ちゃん……?」

怯えるようなりょうの言葉ではっと我に返る。

「ごめんね心配かけて。でも私はちゃんと元気だから」

そして、空気を変えるようおどけて腰に両手を当て怒りポーズをする。

「そんなに心配なら、早く退院してよね、もう」

これは手厳しいと母は笑っていた。

「でも、そうね。早くおうちに帰れるように頑張るわ」
「うん、待ってるから」

父親は、私が物心つく前にはいなかった。
うわさに聞いた話だと、生物学の有名な教授をしていたらしい。
実在するかわからないミツバチの生態にもたいそうご執心だったとか。
結果、家族を放ってどこかに行ってしまったらしい。
だけど、そんな父のことを母はよく自慢げに語る。
母のことは大好きだし感謝してる。
だけど、そこだけはどうしても理解できなかった。

母の見舞いを終えて帰宅した。
家につくと私がやることはまず、

「さてと、ご飯の準備しますか」

服の袖を捲りながら台所に立つ。
りょうがそんな私のポーズを真似て続く。

「しますか!」

その時、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。

「ひとみちゃんかなー」

そう言いながらりょうが走って玄関前に向かう。
少しの間の後に、りょうがひとみを引き連れて居間に戻ってきた。

「よっ、りょう君の相手しに来たよ」

ひとみ。
私の数少ない親友の一人だ。

「おばさん具合どうだった?」
「まぁ変わらずって感じかな」
「そっか」
「うん」

私達の簡素な会話にりょうが割って入ってくる。

「おねえちゃん、怒られてたんだよ!」
「あら、おねえちゃん怒られたの」

ひとみが驚く素振りをして反応する。

「うん! 暗い顔ばっかりしてるとハチがやってくるぞ~って!」
「ハチ……」

その言葉を聞き、ひとみがりょうから目線をそらす。

「そう、なんか少し前に流行った都市伝説でそういうのあったじゃん?」
「あぁ、あったね……」

反応の悪いひとみを見て、私はからかうように言う。

「なに?もしかして信じてるの?」
「え?いやいや。違うよ」

ひとみが慌てるように否定する。そこに

「大丈夫だよ、ひとみちゃん! ハチが来ても僕が守るから!」

りょうが胸を張って言う。

「おー、正義のヒーローじゃん。頼もしいね」

明るい表情に切り替わるひとみ。

「でも……私が倒せるかなぁ?」

と言いながらひとみが両腕を挙げて怪獣のような仕草でりょうに迫っていく。

「ぎゃああああ」

ドタドタと逃げ回るりょうを見て私は、

「ちょっと二人とも暴れないの」

まとめて二人を叱った。

今の生活を辛くないと言えば嘘になるけど。
でも、こうやってひとみが気にかけてくれてて。
りょうもひとみに懐いてて。

三人でご飯を食べる。
そんな毎日が当たり前に続いて。
その先にきっとお母さんも一緒になる未来があるって。
そう信じてた。

でも、りょうが小学校に上がってすぐ、お母さんは――

✽✽✽

棺の中に母が入れられている。
ぴくりともせず静かに。

「ねぇ、お母さんすぐ起きるよね?
元気になっておうちに帰ってくるって言ってたもんね。
なのになんで箱の中に閉じ込めてるの。
お母さん出られないよ、ねぇお姉ちゃん……」

りょうが泣きながら、私の体を必死にゆする。
しかし、私はただ拳を強く握りしめて唇を噛むだけしかできなかった。

✽✽✽

部屋で一人天井を仰ぎ見て呆けていると、ひとみが入ってきた。

「りょう君は?」

上を見上げたまま目だけでひとみの姿を追う。

「泣き疲れちゃったみたい。寝てるよ」
「そっか」
「うん」

 しばらく沈黙が私達を包んだ後、耐えかねた私はポロッとこぼす。

「はぁ、ひとみ。神様っていると思う?」
「うん……どうだろ。どしたの?急に」
「もう疲れちゃったな……って思って」
「うん……そうだね」

ひとみは肯定でも否定でもなくただ相槌を打つ。

「だからさ、神様がいたとしたらなんでこんなにも不公平なんだろって思って。あーあ。私のもとにハチ来てくれないかなぁ」

そう言いながら私の頬には涙が伝っていた。

「ハチ?」
「うん、ハチ。覚えてない?都市伝説の」

無言のままなひとみを置いて続ける。

「あれが本当なんだったらさ。今すぐ私の不幸を吸い尽くしてほしいよ。
理不尽な神様に付き合うのはもううんざり。早く楽になりたいな」
「かなえ……」

私の名前を呼びながらひとみが近寄ってくる。

「そんなこと言わないで。私はいるから。
私がちゃんと聞いてあげるから。ね?」

ひとみが両手を広げて私を抱き寄せる。

「ありがと……ありがと……」

ひとみは、泣きじゃくりながらお礼を述べる私の背中をさすってくれていた。
しかし、その時本当はひとみは不敵な笑みを浮かべていたことに私は気付かなかった。

✽✽✽

全部悪い夢だったんじゃないかと思った。思いたかった。
だから、目を覚ましたら何もかも元に戻ってて、お母さんも元気でお姉ちゃんも笑ってるんじゃないかなって。
そんなふうに思っていたけれど、目を覚ますともっとひどいことになっていて。
なぜかお姉ちゃんは倒れていて、その横でひとみちゃんが突っ立っていた。
状況は理解できなかった。
でも、お姉ちゃんまでいなくなるなんて嫌だった。怖かった。
だから、僕は急いでお姉ちゃんのもとまで行って安否を確認したんだ。
 
「おねえちゃん、おねえちゃん!」

でも、お姉ちゃんの体を揺すっても反応はなかった。
どうしたらいいかわからなくて、そばにいたひとみちゃんに聞いたんだ。

「ひとみちゃん! お姉ちゃんが……」
「うん、お姉ちゃんはね、疲れちゃったんだってさ」

よくわからなかった。
わからなかったから僕は何度もお姉ちゃんの体を揺すった。

「おねえちゃん! ねぇ!!」

でもやっぱり返事はなくて。
ずっと揺すってる内にひとみちゃんが言っていた、疲れちゃったんだって言葉がやっと頭に入ってきて。

「ひとみちゃん、お姉ちゃん疲れちゃったの?どうして?」

って聞くことしかできなくて。
そしたら、

「あははははははっ」

聞き間違いかと思うような高笑いが聞こえてきたんだ。
ひとみちゃんの笑い声が。

「今日まで長かったなぁ……」

ひとみちゃんは独り言のように呟いていた。

お母さんとお姉ちゃんだけじゃない。
ひとみちゃんまでいなくなってしまうんじゃないかと思うと怖くて。
ひとみちゃんに縋るしかなかった。
でも、そんな僕を放っておいてひとみちゃんはずっとよくわからないことばかり言っていて。

「このときが来るまで大事に大事に育てたんだから」

ひとみちゃんは恍惚とした表情をしていた。

「ねぇ、りょうくん」

呼ばれて僕の体はびくんと跳ねた。

「正義のヒーローなりょうくんは、ハチから守るんじゃなかったの?」
「え……?」

いつかの会話を思い出す。

(でも……私が倒せるかなぁ?)

「ひとみちゃん……?」
「もうわかってるんでしょ?」

間をおいた後、嘲笑うように僕の方を見てきた。

「私はハチだよ。ハチ。かなえは私の獲物だったんだよ。ごちそうさま」

僕にはひとみちゃんの言っていることがやっぱりわからなくてただ立ち尽くすしかなかった。

「ほら、かかってこないの? 目の前にハチだよ?」

動けない。動けないでいると、

「はぁ……りょうくんにはがっかりだよ」

ひとみちゃんがため息をついて、思い出したように言ったんだ。

「そうだ。お母さんが亡くなったのもぜーんぶ私が仕組んだんだよ、かなえの不幸エネルギーを増やすために……」

「うわあああああああ!」

必死に叫んでひとみちゃんの言葉を掻き消そうとする。

「うそだ! うそだうそだうそだ!!」

僕の声はどんどん消え入るように小さくなっていた。

「うそだ……うそだ……うそ……だよ……」

気付けば涙が流れていた。
そんな僕の体をぎゅっとひとみちゃんが抱きしめてくれたから、全部やっぱり嘘だったんじゃないかって期待してしまった。
でも、彼女は

「嘘じゃないよ」

と僕の耳元で囁いた。
そして、そのままひとみちゃんの背後から伸びた針が僕の体に突き刺さった。

「ぜーんぶ本当だよ。ばいばい、りょうくん」

その言葉を合図に僕の体内の不幸エネルギーと呼ばれるものが一気に吸われていく感覚があった。
吸われていく中、頭の中では走馬灯がよぎっていた。
お姉ちゃんのこと。
ひとみちゃんと合わせて3人で過ごした楽しい時間。
そしてお母さんのこと。

次第に自分の中で、全部壊された怒りが湧き上がると同時に、不幸エネルギーを吸われていく感覚が消えていった。

「ちっ……」

何が起きたのかわからないけど吸いきれなくてひとみちゃんは断念したようだ。

なにか力がみなぎる感じがした。
今なら何でもできるようなそんな感覚が。
だから僕はそのまま怒りに任せて自分でもわからない速さでひとみちゃんをふっ飛ばした。

「くっ……はぁ!!」

家の壁を突き抜けて外まで飛んでいく。

「な、なにが起こって……」

状況を理解できていないひとみちゃんをそのまま再度背後から蹴り飛ばす。

「がはっ……」

その後も間髪入れずとにかく攻撃をし続けた。
そして、とどめを刺そうとしたその時。
見知らぬ男性が割って入ってきた。

「そこまでだ」

その男性が僕の腕を掴む。
止められた途端、先程までの全能感はどこかに行き一気に疲労が襲ってきた。そしてそのまま僕は気を失った。

「ハチを確保しろ」

複数人の男女がひとみのそばまでやって来て特殊な腕輪で拘束する。
それを確認した男性は手元の気を失ったりょうを再度見る。

「その力は隊の為に使え。ハチを一匹残らず滅ぼすためにな……」

数年後。

ミツバチの被害者の中には、稀にミツバチの持つ成分と不幸エネルギーの反応(受粉と呼ぶ)により常人を超えた力に目覚める者がいる。
どうやら俺はそのうちの一人らしい。
あの時は頭に血が上ってどうやってあいつを追い込んだのか自分でも覚えていない。
そして、あれ以来力を使うことはできていないーー

りょうがドアを開ける。

ーーだが、技術局による不幸蜜で加工されたナイフ。
これによってハチに傷を負わせることはできる。
全部失った俺は今そうやってハチを駆除しながら生きている。

「ただいま、姉さん」

ベッドに横たわる姉に話しかける。
返事はない。
かなえは意識はあるが、焦点の定まっていない目でただまっすぐ前を見つめるのみ。

「絶対いつか元に戻してみせるから……」

室内にアナウンスが流れる。

アナウンス「八九寺隊員。八九寺隊員。至急司令室まで」

「じゃあ、ちょっと行ってくるね、姉さん」

✽✽✽

司令室に入るりょう。
司令官と見知らぬ男性が一人立っていた。
司令官が見知らぬ男性を手で指し示す。

「八九寺隊員、彼は今日から君のパートナーとして任務につくことになった。よろしく頼むよ」
「星野ひかるです。よろしく」

男性はそう名乗った。

「そして、もう一人。君と話したいという人がいてね」

部下に目で合図をする司令官。
部下が扉を開ける。
すると入ってきたのは手足が拘束されているひとみだった。

「久しぶりだね、りょうくん」

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