見出し画像

失われた感情を求めて<好きへのプロセス5>好きのファーストステップ

「私は致したとたん好きになってしまう、どうしようもない雌ブタだ。」
近年そんな風に自分を蔑んでいた。


「あたし、生理前は"Horny pig (ホーニーピッグ)”だから。」

セックスフレンドは好きなのか?

昔イタリア人の女友達から聞いた”Horny pig(欲情したブタ)”という言葉。彼女は生理前になると、SEXしたくなって仕方ないらしい。その頃性欲に縁のなかった私はあまりしっくり来ていなかったが、今となっては、よくわかる。

これまで幾度となく「私は今、Horny Pigです。」と言いたくなるシチュエーションを経験してきて、その度にこの言葉のしっくり感が身に染みたし、自分もただの女なんだと気付かされた。

相手は自分にとって、ただのセフレと分かっていながら、
『なんで会えないの?』
『私のこと大事じゃないの?』
『もうこんなんなら止めよう?!』
といったヒステリックな思いが渦巻く。実際に言ったのか、悶々と考えていただけなのか、も定かではないが、このような心持ちで良好な関係性を築けるわけはない。

そして、この状態が本当の「好き」なのかは限りなく疑わしい。相手をどう落とすか企んでいる時と同レベルで、妄想の世界の住民になる。暇さえあれば、あれやこれやリアルに思い描いてひとりでキュンキュンしている。感情よりも脳内ホルモンか何かに突き動かされているように思え、爬虫類脳や哺乳類脳が肥大化して他を圧倒しているのを感じる。

一方で狩が終わった途端に興味を喪失してしまうことも多々あり、SEX後のコントロール出来ない情動変化は、今回「好き」の感情をピュアリファイしようと思った要因のひとつでもあったのだ。

私は、性欲に左右されない「好き」を見つける為、1ヶ月近く10歳下のKを焦らしていた。外でデートしても必ず私の部屋で寝ることになるのだが、裸で絡み合っても、挿入しない。

「SEXは、私が本物の好きちゃんと認識してからね。」
「了解。僕あんまり性欲強くないから大丈夫。」

初め豪語していたKだったが、途中からなぜこんな苦行をする必要があるのか?という疑問が大きくなったのか、頻繁に私の「好き」の状況を聞いてくる様になった。

「ねぇ、好きなんでしょ?」
「んんん〜まだわかんない。」
「そうなの…」

「好き」の発現

アプリでマッチングした他の数名と、代わる代わるデートする日々を送っていたので、隙がないよう緊張して出かけることが多かったが、Kと会う前はただシンプルに「ワクワク」している自分に気づいた。今度は何を飲んで、どんなものを食べようか。何の映画を見ようか。たったそれだけの事だが、どれをチョイスするかによって、どうにでも発展し得る無限の可能性が広がっているように思えた。

次第に仕事中にも、Kの事を思い出して気を休める習慣がついてしまった。いや、正確には、Kと一緒にいる事を妄想してリラックスする、と言った方が正しい。

他の人とのデートしていて、つまらなかったり、眠くなってしまった時は、リアルタイムで、Lineに文句を垂らしたりもしていた。Kはそんな時でも、寝ていなければ、5分以内には返信してくれて、私の情緒がジェットコースターのようにUp & Downするのに対し、安定して優しい保護者のようなテンションをキープしているのだった。それは限りなく彼の存在を近くに、暖かく感じさせる。

『これは…好きなんやろな。』

そう自覚した私は、好きの第一条件として
「一緒に居ない時にどれだけ相手のことを思い出し、ほっこりするか」
を据えることにした。

その日は珍しく平日に、Kが会いたいと言ってきた。転職したばかりだが、リスペクトできる会社と上司に恵まれ、1週間くらい仙台や北海道を回る出張から帰ってくる日だった。

私は猛スピードで仕事を片付け、そういえばそろそろKの誕生日だよな〜と思いついて、いつでも即席バースデーケーキが作れる様に、スポンジとホイップしたクリームを買って帰った。

「今日どうする?」
「貧乏人の晩餐でもいいけど。」
「う〜ん、今日はそういう感じじゃないな。」
「ふ〜ん」

私が言う「貧乏人の晩餐」は、サイゼリアでの食事を指す。好き勝手にわんさか頼んでも、家飲みより安いんじゃないか?レベルのお会計。味も決して悪くないし、ここでの晩餐は、ひととき憧れのインフレ時代を味わうことができる。

私が品川に着くまでに決めて、先に入っててもらうことにしたお店は、平日にしては活気があり、ほぼ満席状態だった。

「お久しぶり。すごい人気だね」
「うん。予約してやっと入れたとこ」

ふたりで新鮮な海の幸をいろいろ頼んで、いちいち感嘆しながら堪能し、楽しくなってきた。

「そいえば、君いつ誕生日なの?」
「え・・・・・・今日。」
「え〜?!なんで早く言わんの?!」
「ホントは言いたくなかったんだけど…」

なるほど、だから貧乏人の晩餐は嫌だったわけだ。今日がそんな記念日だったと知って、イベント主義者である私は、にわかにテンションが上がり、Kに食べたいものを好きなだけ食べさせ、彼がトイレに行っている隙にお支払いを済ませる。

急に冬が来たような最近の気候に雨と強風もプラスされて、気が滅入るような天気だったが、いい加減酔っ払った2人には、全く問題にならなかった。ケラケラ笑いながら、腕をがっちり組んで一本のビニール傘を傾け、強風に抵抗しながら進む私たちを、道端の人たちが物珍しそうに見ている様だった。

家に着いて、早速バースデーケーキ製作に取り掛かった。私がいちじくをカットしていると、彼が今にもスポンジにホイップクリームを塗りたくろうとしている。

「ちょっと待って!」

私はブランデーを取り出し、スポンジにベシャベシャ吸わせた。Kは製菓業の経験があり、クリームを慣れた手つきで、均等に、しかし大胆に絞り出していく。私は阿吽の呼吸で、いちじくをポンポン乗せていった。

ブランデーとクリームの滴る、官能的なバースデーケーキは瞬く間に出来上がった。それにしても、このテンポの良さは、相性の良さを感じさせられずにはいられない。ふたりでやれば、何でもすぐに出来てしまう様な錯覚に陥る。おそらくお互いの性質を理解し合い、絶え間なく相手の為を思ってるから、物事がとんとん拍子に上手く行くのだろう。

これまで逆の人も何人かいた。何か知らんけど、その人と居ると何もかもが上手くいかない。運がヒューっとどこかに吸い込まれ続けている様な感じなのだ。恐らく理解や思いが足りない事もあったろうし、ただセンスがないだけだったのかもしれないが、相手にその気配を察知したら静かに距離を置く様にしていた。

「Happy Birthday K君〜♪」
「早く歳、追いついてね(笑)」

ちょうどキャンドルもあったので、Birthday songでお決まりのセレモニーを行った。そして大きなフォークでサクサクケーキを味わいながら、Alexaに好きな曲をリクエストして交互に歌い始める。官能ケーキは、タイミングと運とセンスからなる創造物だったが、今にも崩れ落ちそうな刹那感でそこに存在し、ふたりの五感をくすぐっていた。

私が鬼塚ちひろの「月光」を歌い始めると、Kも一緒に歌い出す。

I am God's child.
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field.
こんなものの為に生まれたんじゃない

といった歌詞は男性の方がしっくり来る割合が多いのかもしれない。カラオケで歌うと「いい曲だ!」と後々まで絶賛する男性が必ずいる。私にとってはとても自然なリリックで、普段わざわざ口に出さない事を代弁してくれていると感じるのでであるが、これを熱唱するとやっぱり気分が高揚する。

歌いながら抱き合って、感傷的に唇を重ねる。ふたりの心と身体が、マーブル模様に渦巻きながら、溶け合って行く事の必然性を感じて、それに身を委ねた。

致したらとうとうメス豚?

「あれ?昨日もしや?!」
「そだよ。もう好きだってわかったし。」


翌朝Kは、家に来てからの事をほとんど覚えていない様だったが、私は割とはっきり覚えていた。良い感じに高まって、遂にKと致したのだった。これからHorny Pigになる覚悟を決めなければならない。

しかし、それ以後何日待っても、私の精神状態が急激に変わることはなく、むしろ安定していた。鏡を覗いて観察していたが、いつもと違って、欲情したブタが現れる気配がない。

『なぜか?今回は何が違うのか?』

簡単に言えば、単なる性欲か、性欲も含有した愛情かの違いなのだろう。これまでの私は、快楽の欲求で相手と絡みたいと感じているだけなのに『普段そんなに他人の事を考えることが無い私が、こんなに思ってるんだし、こんなに触れたいと思うんだから、きっと好きに違いない。』と勘違い、もしくは思い込んでいた事になる。

「性欲などの生理的欲求が満たされたとき、脳内の快楽を司る『報酬系』が活性化し、この快楽の中毒になって欲望が駆り立てられます。このように、欲望は私たちの体にテストステロンを生成するように促し、興奮させるのです」

 「「愛」と「欲」の違いは?見極めるための6つのサイン」コスモポリタン21年2月 

とすると、相手を口説き落とす作戦を遂行している時も「落とす」という成功を求めて、脳内の報酬系がよだれを垂らした状態なのであって、愛情とは程遠いものに思えてきた。私は元来、狩猟民族的性質が強いので、多分世の女性よりも、数倍ドーパミンやテストステロンの影響を強く受けているんだと思う。

「SEXしたら好きになる」現象を、女性特有の生理的要因から捉えていたが、実は男性脳的要素も絡んでいたとは!人間の心と身体は、なんて面白いんだろう!とその複雑に構成されたメカニズムに引き込まれてしまった。

まだあまり好きではない相手に対し、本当に好きになる前からSEXして、無理やり気持ちを高ぶらせていた私。うまく生き延びて行くための苦肉の策だったのかもしれないが、もうそんな必要はないんだ…と思ったら、完全に肩の荷が降りたのを感じたのだった。

そして、リアルに好きが分かった私は、いよいよ精神と性感の関係性にメスを入れていく事になる。



つづく





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?