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失われた感情を求めて<好きへのプロセス6>理想のパートナー

「じゃあさ、とりあえず付き合ってみようよ」
「え…?!
 あの、Yさんの付き合うの定義ってなんですか?」

まだマッチングしてから2回目のデートでのことだった。巷では「3回目のデートで告白」が定石という事で、今日はないだろうと踏んでいたため、不意打ちの告白に酷く驚いた。狼狽えて、付き合うの定義が何かを聞いてしまうほどだった。

「う〜ん。お互いが会いたい時だけ会う関係かな。
もし、どちらかが気が乗らないなら無理に会う必要はない。」
「なるほど!素晴らしいお考えです。」
「よし!じゃあOKね。でも浮気は嫌だよ。」
「……」

私は言葉に詰まった。今回のマッチング活動の目的に、たった一人のパートナーを見つけるというものは含まれていなかった。自分が人を好きになってその人を受け入れていく過程を観察したい、感情のヒダを感じたい、そして多くのテストケースを通して、SEXを、究極のオーガズムを探求したい、というものであったから。

私は正直にその事を話さないわけにはいかなかった。それに、既にKという年下の愛人がいる事もぶっちゃけてしまった。Yさんは大人の貫禄でその話を聞き、ロジカルにこう言った。

懐の深い男

「先に居た人に文句言ってもしょうがないよな。」

確かに。冷静に考えてみると、先にクランクインしてるKが、後からきたYさんから文句を言われる筋合いは全く無い。更に、他に妻子のいるKが、私やYさんに文句を言うのもおかしい。絶妙なバランスが成り立っている事に唖然とした。

「それコンテンツになりそうなら一緒に会社作ってあげるよ。」
「俺はもう、お金いらないからさ。」

『嗚呼…これはもしや、探し求めていた理想の男性かもしれない!
限りなく懐が深く、私を掌の上で遊ばせてくれる男がついに現れた?!』
私はやや上の空で、Yさんの話を聞きながらその感動に浸っていた。

とはいえ、「懐が深い人」という理想は直近のXボーイフレンドのマイナスな特徴を裏返しにしたものであるに過ぎない。

これまでに「セクシーな人」「自分を超えるドS」「面白い人」など、一貫性なく理想を語ってきたが、結局は、直近うまくいかなかった恋人に足りなかった要素が、今思う「理想のタイプ像」を作るのだ。

相手に性欲が湧かなくなって消滅した恋愛の後には、毎日誘惑してくれる「セクシーな男」が一番と思う。

お互いロマンチックな雰囲気に入り込めなくなって別れた場合には、きっと「超ドSな男」ならば一気にそっちの世界に連れてってくれるだろうと思う。

オチの無い話にうんざりして、振る羽目になれば、次は「面白い男」でなければ無理と思う。

そして前回は、彼氏の束縛に息が詰まり、限界に達して別れた為「懐の深い男」を探し求めてたのだ。

しかし、その両極端のタイプを行き来する法則に、当てはまらない男がいた。彼自身に常軌を逸した欠陥が多すぎて、それに不平不満を言ってる所ではなかったのだ。しかし彼ほど強烈でチャーミングな男も滅多にいないだろうと思われた。

欠陥の多すぎる男

「君は本気で誰かを愛したことがないんだ。」

ある時そう言われて、私は言葉が出なかった。
彼は、お金もない、定職もない、家もない、ロジカルな思考力もない、無い無い尽くしの男だった。男としてのプライドと、愛と信じるもの、神と信じるものだけで生きている人間からそう言われたら、納得せざるを得ない。

あまりにも生きる世界が違い過ぎて、強烈に興味を引かれると同時に、彼を真っ当な世界に引き上げなければ、という使命感が湧き立ち、深い関係に陥っていったのだった。

「ひとりですか?」
「はい、まあそうですね。」

『心斎橋のChrisだ!』私は心の中で小さく叫んだ。

この界隈では有名な酔っ払いで、女ったらしのペルー人に、あるサルサパーティで出会った。黒光りするウェーブの長髪、濃い眉毛と顎髭に縁取られた彫りの深すぎる顔に余裕の笑みを浮かべている様子は、デビルと呼ぶに相応しい容貌だった。しかし話してみると、今にも関西弁の漫才が始まりそうな声のトーンを抑えつつ、標準語で語りかけるその姿は非常にコミカルで好感を持ち、バーカウンターで会話を始めた。

サルサは他のペアーダンスと同様、リードする側の男性パートが圧倒的に難しいので、若い子はなかなかモノにならないまま辞めていく。女子は常に若い子が出たり入ったりしているのに対し、男性側は年期の入ったおじさん達が常連で席巻している世界。

そんなサルサ界隈が退屈になり始めた頃だったし、その日私は、予定していたおじさんのリードがなくて、やや手持ち無沙汰だったのもあり、珍しく落ち着いて世間話を続けた。Chrisは次々にビールジョッキを空けていくが、一向に踊ろうとしない。

パーティも終盤にかかった頃、突然フロアーに導かれる。我々日本人が無理やり刻み込んだリズムとは違う、根っこから染みついたクラーベを感じた。笑いを浮かべたデビルの顔が近づいては離れ、強烈なラテンの波に飲まれているのを感じた。1曲だけ踊って彼は私を連れ出した。

「僕のうちで飲もう!」

途中コンビニに寄ると、彼は躊躇なくスーパードライの6本パックを掴み、私はその男らしさにキュンとした。あれだけ飲んでまだビール飲もうとしている事や、一番味気のないスーパードライを選ぶ事、私の意見は何も聞かない事などツッコミどころは満載であるが、彼の酒飲みセンスは、粗暴ながらもその潔さに粋が感じられた。

彼の住むマンションは、家から3ブロックほどのところにあった。
「インターネットは隣の人の繋げてるねん。」
人ごとの様に乾いた笑いを交えながら彼は言った。
外で飲むのも、誰かに奢ってもらったり、ツケにしてやりくりし、賃料も数ヶ月滞納して、いつ追い出されるかわからない状態だという。どうやってそんな状態で暮らしていけるのか、私には理解できなかったし、目の前にいる困った人をどうにかしなくては、ということしか頭になくなった。

「うちに住んだら?」
「え、でも僕らあったばっかりじゃない?」
「大家さんには私が説明するから」

翌朝、私は彼を連れて大家さんに、すぐに出ていくからこれまでの滞納分はどうにかしてもらう様話をつけに行き、ヒモを飼う生活が始まった。彼は非常にひょうきんで明るくチャーミングで、酔っ払う前ならば最高の恋人であった。

その時の私の理想のタイプは「無人島にふたりだけ行き着いても、いつも笑って暮らせる人」。その無人島にアルコールが無くて、他の男がいなければふたりは死ぬまで、毎日笑って過ごせただろう。

彼が本物のアルコール中毒であって、嫉妬心が通常の100倍くらいあることが徐々にわかってきた。私が仕事に行く時はスヤスヤ眠っているが、仕事から帰る頃にはどこかを飲み歩いていて家は空っぽ。夜中になるとベロンベロンで帰ってきて、「お前どこでファックしてたんや!」と攻めたてられるという日々だった。

私はその時、半導体の開発エンジニアを本職にしており、数ヶ月間海外出張に出ることも普通だったが、付き合って間もない不安定な時期に、オレゴン州Portlandへの長期出張が決まってしまった。

「君は僕を捨てて行くんだ!」
「君のせいで僕は家を失ったのに!」
「アメリカ人とやりまくるに決まってる!」

毎日攻め立てられ、とうとう彼を出張に連れて行く決意をした。米国出張時のホテルは、長期滞在タイプでキッチンや洗濯機が付いた広い部屋だったので、2人で暮らすのにも十分だったし、仕事仲間が部屋に来ることは滅多になかったから。バレるか、バレないか?よりクリスとの関係を安定させる事に必死だった。

自分が渡米した1週間後のフライトを取り、密かにクリスを空港に迎えに行った。ゲートから晴れ晴れ出てくるはずのクリスが中々現れない。心配になって空港職員に問い合わせようとした時、異様なテンションの男が出てきた。数メートル離れたところから、彼の手がガタガタに震えているのがわかった。汗びっしょりでひどい匂いを放っていた。

「クリス!どうしたの?!」
「hehe…大丈夫よ。」

どうやら入国の際に色々尋問されたらしい。彼は潜在的に、警官や警備員を極端に恐れている。これまで法的にもツッコミどころ満載な人生を送ってきたのだろう。他人に関係のない罪悪感まで全てごっちゃになって襲ってきたのだろう。黙って彼を抱きしめた。

『あの時は幸せだったんだよなぁ。』

出張先では、大手クライアントの近くで、希望に沿った実験結果を出すために、朝から夜中まで仕事する事が当たり前になる。ある晩やっとホテルに戻り、ドアを開けると、不敵な笑いを浮かべたデビルが目の前に立ち尽くしており、私は腰を抜かした。

「ひいぃっ!!!」
「おかえり。遅かったなぁ」

様子があまりにおかしいので、話を聞くと、時間を持て余したクリスはダウンタウンに繰り出し、仲間を見つけ、大量にシェアしてもらってやりまくったらしい。一晩中、幻想の怖がって泣いたりする彼を宥めながら寝た。

ある時はふたりで、ロサンゼルスに行く計画を考えた。休日に車を借りて、「ドライブスルー結婚式」を挙げるためである。結局計画は果たせなかったけど、それは人生で唯一、危なく勢いだけで結婚してしまっていたかもしれない瞬間だった。


私は、クリスを好きになった気持ちを貫こうとして、毎日精一杯だった。それまで、人に対して怒りを表した事さえなかった私が、大声で怒鳴ったり、泣き喚いたりが、当たり前になってしまった。ロジックの伝わらないもどかしさ、悲しさ、怒りが爆発してそれ以外に成す手段がなかったのだ。

その後の記憶は、空白だった。
彼のDVが始まり、私もそれに交戦した日々は血みどろの時代だった。物語として景色が浮かんではくるが、自分の事として思い出す事ができない。思い出すという行為自体が痛みを伴った。

クリスが、行ったり来たりの「理想のタイプ像」形成に寄与しない理由はそこにあるのかもしれない。

回避型の愛着障害

私はひとまず、Yさんの懐の深さに賭けてみようと思い、謝罪のメッセージを入れてみた。

「さっきは気が動転して、ぶっちゃけてしまって御免なさい。
こんな自分を変えなくちゃと思うこともあるんです。」
「気にしないで。変えちゃったら面白く無くなるかもしれないし。」

なんて理想的な返しだろう。商品やネタとして見られている様に感じなくもないが、自分だってまだ少しも愛着を感じていないのに、付き合おうとしているのだ。彼はまさに理想的な考えを持った人物で、私という人間に興味を持ち、女性として少なからず好意を抱いている。

自分を言い聞かせて、その好意をしっかり受け取ろうとしても出来ない自分に、苛立ちを覚えた。相手から一方的に好意を向けられると、逃げてしまいたくなる。愛着障害の「回避型」の特徴に思われた。

理想のタイプの相手から好意を抱かれているという状況は、十分ハッピーな事なのに、どうにも逃げたくなるという矛盾。居心地の悪さの中、ゆっくりと自分を観察しながら関係性を築いていく決心をした。


つづく






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