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また誰かを愛すよ#2:君は夕陽といつも共に

 ある春の日。時刻は既に17時をまわっていた。

 同じ部署のメンバー全員でぞろぞろと職場を出た。駐車場はだだっ広く,駐車場所はそれぞれ異なり,私は主任と同じ方向へ歩いていた。その短い道中,ちょうど上空を飛行機が通り,その飛行音を突き抜けて,「めちゃくちゃ良かったですよ」と,彼から満足げな言葉をもらった。何が良かったのかというと,ミーティングで発表した内容だった。入職して自分が感じたこと,前職でどんなことをしていたのかを自由に喋らせてもらった。私の心は弾んだ。そして,お互いに笑っていた。その後,「お疲れ様です」と言葉を交わし,二手に分かれた。

 一瞬の景色だったが,あの時目にした夕陽の眩しさは,今でも忘れない。また,あんな風に彼が喜ぶ顔が見たい。何か特別なことをしなくたって,他愛もないことで笑わせたい。今思うと,そんな気持ちであふれていたのかもしれない。

 しかし夕陽は,時に私を悲しくさせる。

 私が大学生の頃。学祭の時期に,2学年上の,憧れの先輩と近くで話せた時の深い橙の夕陽。
 勇気を振り絞って,その先輩に想いを告げたが,「ごめんね」と返された時の,二人の頭上で照っていた,少し高いところにあった夕陽。
 そして,その日の帰り道,たった1人で見た夕陽。

 大学の頃,好きだった先輩がいた。2つ上の先輩で,大学に入学したときから,お世話になっていた。物静かで,同期とあまり群れない私を気にかけてくれた。今でも時折,私の心がくじけた時に,良きカウンセラー的存在として,話を聞いてくれる。私が思いを吐き出したあとも,これまでと何ら変わりない関係で居てくれる唯一無二の存在だった。今では,彼はとある地方にある大学の教員となり,ゼミ生を受け持っている。教育者の素質は,学生の頃からあったと思う。人との間に,壁を作らない人。だからこそ,慕う人たちは多くいた。彼の同期からはイジられることもあったが,それも彼の魅力があってのことだろう。
 一つ言えることは、今でも変わらず,彼は優しい人だということだ(ただ本当に優しいのか,自分が彼のことを奥底まで知っているとは思えないので,そう言い切れるのかどうか不明だが)。
 しかし,関わるたびに,いつでも向けてくれる優しさというのは同時に,寂しさも感じさせる。その優しさは,特別な色を持って,私には向けられていない…そう考えるのも,もう何回目だろう。

 そう,自分は引きずっていた。失恋を長年引きずって,何か良いことはあったのだろうか。何も無い。彼は純粋に,優しい人,として,変わらず後輩の1人として関わり続けてくれる。それは,私が関わるのを辞めない限り,永遠に続くのだろう。メールを送れば,返してくれる。しかし,会話は続かない。ブツリ,と切れる。それが全てを物語っているし,そこから私は早く察していかないといけないはずだ。しかし,何が足止めさせているのか。それは彼の距離感がおかしいせいでもある。
 この女,突然,人のせいにし出した,と思うかもしれない。だが,実際に彼の距離感はおかしいのだ。フッた相手に対して,久しぶりに会えたからといって,二人きりで居る時に肩と肩を触れ合わせることなんて,普通するだろうか。
 あれは東京で学会があった時の事。私が大学院修士1年,先輩は大学院博士の1年の頃。学会何日目の夜だったか忘れたが,大学の同じゼミ生(卒業生も含めて)で集まって飲み会が開かれた。私は一人で集合場所までやってきた。建物の何階かにあったので,ホールでエレベーターが来るのを待っていた。すると,向こうからその先輩がやってきた。実はこの先輩は,私と同じゼミ出身なのである。ただ,彼は県外の大学院に進学したため,同じ時期に同じゼミ生としての交流は無かった。その時が確か,久しぶりに対面で会った日だった。その際,しばらく二人だけでエレベーター待ちをしていた時に,それは起こった。
 私は,誰に対してもそうするように,「お疲れ様です」とあいさつをした。恐らく,そのタイミングだっただろう。彼は「お疲れ」と言いながら,自分の肩で私の肩を撫でた。何なら,身体の横という横を,思い切り身体で撫でられた。衝撃的過ぎて,ただただ笑ってその場をやり過ごすしかなかった。何なら,そこで泣いてしまいそうだった。嫌悪感なのか,喜びだったのか。あの時,私の身体の奥底から湧き出た感情が,一体何だったのか今でも分からないでいる。分からなくたっていいのかもしれない。でも,どんな感情であれ,泣きたくなったのは覚えている。それと同時に,どうしてそんなことが出来るのだろう,と思った。彼が何故,そんなことをしてきたのかは不明なままである。私の心の中でどんなことが巻き起こっていたのか,彼は知らない。知らないまま,彼は変わらず,生きている。私だけが,一人で過去や今という時空を散らかして,思い出しては悲しんだり喜んだりして生きている。私は彼にこだわり続けている。きっと,どこかで愛してくれるだろう,と。それは,間違っている,離れなさい,と誰か教えて欲しい。いや,教えてもらうのではなく,私自身が気づかなければならないのだ。もう,わざわざ彼の誕生日にメッセージを送らなくてもいい。私が気にかけなくても,彼は十分多くの人たちに愛されているのだ。私一人のメッセージが無くったって,次の日からも生きていけるのだ。私だけが,前に進めないでいる。ゼミの同期に,まだ先輩のことをどこかで好きでいる自分が居て,自分でも気持ち悪いと思う,と嘆いたことがある。
 

 そんな,大きな片想いをしたものだから,少し前の私にはもうエネルギーが無かった。これ以降,素敵だな,好きだな,と思った人がいてもただ遠くから見ているだけ。友達,として振る舞っているだけ。そうしていると,いつのまにか,その相手に彼女が出来ました,と知らせを聞く結末が待っていた。その結末を迎え入れた瞬間,知らず知らずのうちに造り出していた道が目の前で閉ざされる。そして,再び地図を開き,開拓されていない,自分が歩くことが出来そうな場所を探し始める。その探す時間の中で,やるせなさを感じれば,TVの向こうにいるアイドルへ気持ちを逃した。逃げた時間だけ,現実世界で恋をする時間は無くなっていった。
 そして,数年経過し,過去に感じたわずかなときめきに依存して,私は今の職場で主任にあのような感情を抱いてしまうのだった。その感情に浸ろうとすればするほど,冷たい現実を痛感することになるのだが,それでも良い,と思っている自分もいた。どうか,そんな心身を浄化してくれるほど,素敵な人に出会える日が来ることを願っている。そんな運命に巡り合えるように,今の私に出来ることは,些細な幸せを,幸せだと純粋に感じること,それを力にして身も心も綺麗になることなのだろう。しかし,それはそう簡単なことではない。

 夕陽は変わらず,そこにいるのみ。
 私だけが,忙しなく,今日も変わろうともがいている。


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