砕けて、それから。

見えるものから色が無くなっている。

いつからだろう。
どうして今まで気付かなかったのだろう。
もう長くこんな感じの景色を見ていた気がする。
たまに寄っていた商店が潰れていたことに初めて気づいた。
毎日通っているのに。

いつもの通勤ラッシュ。
乗車率は100パーセントをゆうに超えている。
これに毎日40分揺られる。
社会人とはこういうものだ。

会社に着くとデスクにはまた大量の書類が置かれている。
どうしてだろう。


昨日終電間際まで残業して全部片付けたはずなのに。
「追加資料。本日中に提出すること。」
付箋で貼ってそれだけ。
ただ、それだけ。
係長が部長に昨日のプレゼンで褒められたと吹聴している。
要点がわかりやすく、説明が丁寧であったと。
その資料を作ったのは私だ。

一昨日までずっとその作業にかかりきりで自分の仕事は全く進まなかった。
係長はきっと、私が作ったとは一言も言っていないだろう。現実は「マーケット動向まとめといて」の一言だけで自分では何も調べていないのに。
仕方ない、社会人とはそういうものだ。

弊社はまごう事なきブラック企業だ。
現場の人間は使い捨て。
辞めたら補充すれば良い。
辞めるのは根性がないから。
平成が終わろうとするこの世の中で、時代を逆行する価値観に溢れた素晴らしい会社である。

だれも人が辞めた根本の原因を解決しようとしない。
常に人手不足だからみんな現状維持が精一杯で改革をする余裕もない。
それなのに社長はどんどん事業を広げている。
どれもこれも見栄えだけは良いものの、採算がとれずに赤字続きだ。
あきらかにオーバーワークが続いている。
有能な人材から辞めていく。

今月は2人辞めた。
来月も3人辞める予定だ。

求人はずっとかけている。
応募は0だ。

残れば残るほどに逃げ場が失われていくような感覚陥っていた。

しんどい。
でも世の中に私以上に不幸な人はたくさんいる。
私には家族も、友人もいる。
定職もある。
健康な体もある。
なにが不満なのか。

見栄えばかり重視する経営方針であるがゆえ、外から見た弊社はなかなかの規模の会社である。
地元ではそこそこ名が知れているし、安定していると言われている。
「辞めたい」といえばもったいないと言われるのが常である。

辞めて、それからどうするのか。
今以上の会社に勤められる保証などどこにもない。

毎日、毎日、同じことが浮かんでは消える。

ぐるぐるぐるぐるぐる

どんどん追い詰められていく。

自分で自分を追い詰めていく。

だめだとおもった。
私はこのまま壊れてしまうだろう。
そういう人を何人も見てきた。
私もその中の1人になってしまうのだろう。
食い止めなければならない。
今ならまだ間に合う。
でももう自分だけでは戻れないような気がした。

昼休みに心療内科を検索してみた。
誰でもいいから助けてほしい。
お願いだから話を聞いてほしい
予約の電話をかけた。

繋がらなかった。

2件、3件、4件。
電話をかける。
どこも予約でいっぱいだった。

最速の空いてる日にちは半年後だった。
ああ、人はこうやって潰れていくのだと思った。
助けを求めても救われないときはあるのだ。

絶望的な気持ちで午後の仕事をこなす。
その後はいつもと同じだ。
暗い部屋に帰り、一人で夕飯を食べ、寝るだけだ。
そのまま布団の中に沈んで二度と起きなくて良くなればいいのにと思いながら。

寝れば次の朝が来る。
絶望の朝。
いつもと少し違うのは、もう出社時刻を過ぎているということだ。
寝坊したのだ。
いつもなら焦って準備するところだが今日は違う。
「もういいや。」と思った。
ゆっくりと起きて、コーヒーを淹れる。
こんなにゆっくりしたのは久しぶりだ。

一応出社はするつもりだ。
さっきから電話とメールが鳴り止まない。

ふと、ずっと前に買った白い便箋と封筒が目に留まる。
そうだ、これはきっと今日のために買ってあったのだ。
さらさらとボールペンを滑らせる。
手書きの文章を書くのは久しぶりだ。
封筒の表に「退職願」と書いてとじる。

玄関を出る。
良く晴れている。
良い天気だとこんなにも気分が良いものだっただろうか。
いつもより息が吸える気がする。

混まない電車はこんなにも快適なのか。

会社に着くとすぐに罵声を浴びせられた。
でもそんなの関係ない。
カバンから封筒を取り出す。
部長の顔がひきつっているけどそれも関係ない。

「引継ぎはしますので、今月で退職します。そして今日は有給休暇を取らせていただきます」
ゆっくり頭をさげてオフィスを後にする。
何か言われた気がするけどよくわからなかった。

さっきよりも息がよく吸える。
冬の匂いの奥に春を感じる。
街路樹が陽の光を弾く。


ああ、私の日常がこんなにも鮮やかだったなんて。


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