ガラス窓の向こう

私の職場の真向かいは美容室だ。
1ヶ月前にオープンしたばかりの新しいお店で、男の人が1人でやっている。
大きなガラス窓からは中がよく見えて、私は仕事中ついそのお店を見てしまう。


新作のワンピースは珍しいデザインで、桜の花柄だ。白地に淡いピンクが良く映えている。
少し寒い日はカーディガンと合わせるのも良いかもしれない。
今日はこれを着せよう。
ショーウィンドーに並べるマネキンの着せ替えは新入社員の私の担当だ。
作業は手早くやらなければならない。
ショーウィンドウは通りから丸見えなのだ。
でも、私も入社してもうすぐ1年。
だいぶ早くなった。

入社して間もない春服の頃、前の店が閉店した。
大きなガラス張りのセレクトショップで、ブルーを基調とした服や小物を売っていた。
いつか行こうと思っていたのに、結局行けなかった。
ガラスを2枚隔てた向こうに見えるそのお店はとてもおしゃれで、新人だった私はたまにこっそりディスプレーを真似したりしていた。

私の名残惜しさとは裏腹に、すぐにお店は空っぽになって貸店舗の札がかけられた。



夏服になった頃、貸店舗の見学会が何回か開催されていた。
この通りはアパレルショップやカフェ、雑貨店などが立ち並び、土日には人で溢れかえる大通り…
から、少し入った裏路地だ。
それでもお店を出したい人がたくさんいるのだろう。見学会は毎回盛況のようだった。
中には何度も来ている人もいて、すらっと背の高いあの男の人なんかもう3回目くらいだ。
開業かー、私には無理。会社勤めが合ってるわ。と思いつつ、目の前の店の新たなスタートに期待していた。


秋服になった頃、私は初めて1人で店番をする事になった。
いつもは4人体制なのだが、その日店長は終日会議な上、先輩が風邪で欠勤してしまった。
いつもは欠勤の人がいると連絡が周り、都合のつく人が代わっている。
大抵誰かしら来てくれるのだが、今回はタイミングが悪く代わりは見つからなかった。

そんなわけで、私とリーダーの2人でお店を回さなければならなくなってしまった。
私はともかく、リーダーはとても仕事ができるし、台風の予報が出ていたこともあって客足はあまりなく順調だった。

12時。
お昼の時間だ。
いつもは2人ずつ休憩だが、今日は1人ずつ。

リーダーが戻ってくるまでの1時間半、私は1人で店を回さねばならない。
「雨もだいぶ強くなってきてるし、多分人なんて来ないわよ!こんな天気だし、駅前のパスタ屋さん空いてるかも!いつも混んでて入れないのよ!」なんてリーダーは明るく言っていたが、私は不安で不安で仕方がなかった。

しかし、雨はどんどん強くなり、風も出てきたお陰でお客さんは1人も来なかった。
余裕が出てきた私はショップバッグの入れ替えをすることにした。
明日からデザインが変わるのだ。

きっとリーダーに褒められるぞ!なんてニヤニヤしながらバックヤードに入った瞬間、入り口が開く音がした。

カランカランカラン っと聞き慣れたベルの音。
これを聞いたら反射的に「いらっしゃいませ」と言ってしまう。

時計を見る。
12時半。
リーダーはまだ1時間は帰ってこない。
泣きそうだ。

恐る恐るフロアを見るとやはりお客さんがいた。
こんな雨なのに小さな折りたたみ傘しか持っていなかったようで、びしょ濡れである。

急いでバックヤードに戻ってタオルを取ってきた。
「大丈夫ですか?もし宜しければ、、、、、」
私がそう言ってタオルを渡すとお客さんは申し訳無さそうに「すみません...」と言って受け取った。

気まずい空気が流れる。
耐えられなくなった私は、「ごゆっくりご覧くださいませ」と言ってレジカウンターに下がった。

これで、とりあえずは大丈夫だろう。
たぶん、ミスはしてない。
上手いことは言えてないけど。

それにしてもどこかで見たことがあるような人だ。
背が高くて細身。涼しい顔立ちで黒髪の短髪がよく似合っている。私よりも少し年上だろうか。
服は、、あぁ、うちのメンズラインだ。

「あの、すみません、、」
ぼーっとしてたところに突然話しかけられて、私は狼狽えた。

「っはい!な、んでしょうか!、」
お願いだ、どうか難しいことは聞かないで、、、!

「あの、水色の半袖シャツはありますか?、、、」
私の頭はさらにパニックになる。
だって、いまは秋なのだ。

アパレル業界は季節を先取りしていく。
秋も中頃になったら、ラインナップは長袖がほとんどだし、そろそろセーターも出てくる。
水色の半袖シャツなんて夏っぽい服はとっくの昔に引っ込んでいる。

「あ、、えっと、、、半袖はお取り扱いが終わってしまっていまして、、、、」

自分でもわかるくらいのたどたどしい返答だ。

こういう時、どうするんだっけ。
新人研修の時にやった気がする。
でもよく思い出せない。

「そうですか、、、何軒か回ったんですけどどこにもなくて、ここが最後の希望だったんですけどね、、」
彼はとても残念そうに言った。

「あの、、!少しお時間頂いても宜しければ他店の在庫も確認してみます、、っ!」

あまりにも、あまりにも残念そうな顔をみて、私はとっさにそう言っていた。

彼は少しびっくりしたような表情をしてから、ヘラっと笑って「時間は大丈夫です、こんな天気でやることもないですし。お願いしてもいいですか?」と言った。

それから、私は探して探して探しまくった。
飛行機の距離の店舗まで電話したし、同じ会社のブランド違いの店舗にも問い合わせた。
でも、やっぱりこの季節半袖なんてどこにもない。
それに、レディースならまだしも、メンズは黒や白のシックなカラーが多い。
季節外れの半袖に、しかも水色なんて無理難題だ。

ネイビーの七分袖シャツ。
これが私の見つけた中で、1番近いものだった。
これなら駅前の店舗にあるから、お昼の帰りにリーダーにとってきてもらえる。

「おまたせしました、、。あの、、お探ししましたが、やはり、水色の半袖は無くてですね、、、」
おずおずと彼に話しかける。

「そうですか、、」
また彼は残念そうな顔になる。

「あ、、えと、、でも、近いものでしたら、、ネイビーの七分袖のシャツになってしまいますが、、、、
これでしたら、近くの店舗にあります、、、」
カタログを見せつつ私は様子を伺う。

彼は残念な顔から少し真面目な顔になった。

「えっと、ネイビーでも白のパンツとかを合わせたら爽やかに着こなせるかと、、、」
少し前にマネキンに着せたコーディネートを勧めてみる。

彼は「ふうん。」と言ってすこし眉を寄せた。

うわあ、ダメだったかな、、
言わなきゃよかった、、
カタログに視線を落とす。

「これにします」
びっくりして顔をあげる。
彼はヘラヘラっと笑っていた。
表情のコロコロ変わる人だ。

「あ、、、!はい、、!15分ほどで物が手配できますが店内でお待ちになりますか?」
私は早口で言った。

彼は待つと言ったので、急いでリーダーに電話をしてシャツの引き取りをお願いした。
「やるじゃない!了解!」とリーダは優しく言ってくれた。

シャツが届くまで、彼はずっと話していた。

自分が美容師なこと
独立しようと思ってること
でも始める場所がまだ決まらないこと
先輩美容師が水色のシャツを着ていたこと
開店日に憧れの水色のシャツを着ようと思ってたこと

彼の話し方は少し抑揚がなくて淡々としているのに、表情は豊かでそのギャップが面白い。
「水色に憧れるよりネイビーで憧れの的となることにしました。ネイビーの方が濃くてカッコいい」
この人は眉を寄せながらこんなことを考えていたのかと思わず笑ってしまった。
彼の話は掴み所がないのに、もっと聞きたくなる。
きっと他の人が同じ話をしてもここまで興味は持たないだろう。

リーダーが戻り、彼は無事シャツを買うことができた。
ショップバッグは新しいデザインのものに入れた。
なんたって彼は私のお客さん第1号。
私だけで接客して、買ってくれた初めてのお客さん。
これくらいの特別扱いはいいでしょう。
店長には内緒だけど。

結局、午後のお客さんは彼だけだった。

その日リーダーはすごく褒めてくれて、次の日のミーティングでもみんなの前で褒めてくれた。
私は照れてモゴモゴとお礼を言った。



冬服になった頃、前の貸店舗の工事が始まった。
ついに何かができるのだ。
足場と緑のシートがかけられ、中の様子は分からない。
何ができるのかはお楽しみと言ったところだろうか。

バックヤードに春物の新作が届いた。
まだまだ寒さは厳しいが、もう来週からこれを売り出す。
マネキンのコーディネートを考えなければ。
そう思ってウィンドウの方を見ると、建設工事のシートは解かれ、新しいお店が完成していた。

美容室だった。

白を基調とした爽やかなデザイン。
壁には外国の風景写真が、棚にはおしゃれなシャンプーやトリートメントが並んでいる。
カウンターは小さいが待ち合いのソファは人が5人は座れる大きさだ。
店の奥はよく見えないがきっと同じ様に統一されているのだろう。
日の光が大きな窓から店内に差し込んで白を反射していた。

その中でより一層映えるネイビーのシャツ。

あの時の彼だった。

少し驚いてじっと目の前の店を見ていると、

彼はこちらに気付いた様で少し照れた表示を浮かべながら、会釈をした。

私が会釈をし返すと彼はヘラっと笑い、ひらひらと手を振って店の奥へと消えた。

この日の夜はミーティングだった。
月一のミーティングももう慣れたものだ。
今月の売り上げ目標、先月の目標達成率、次の新商品のこと。
でも今日はこの他にもう一つあった。
辞令の発表。
私は四月から別の店舗に移動が決まった。
この店のメンバーが大好きだった私は動揺して泣いて泣いて泣きまくった。
みんな優しく慰めてくれて、余計に悲しくなった。

その2日後に美容室はオープンした。
毎日お祝いの花が山の様に届いて、白い店内がカラフルになっていた。

オープンしたその日にも何人かお客さんが来ていたし、その次の日からもチラホラ来店があった。
以前の店で既にお客さんを持っていたのだろう。
来るお客さんはみんな元々知っている様だった。

彼の常連になる気持ちはよく分かる。
不思議な魅力のある人だ。
見ていたいし、話していたいと思わずにいられない。
技術もあるだろうが、それよりも人を惹く何かを持っている。
少し話した私がそう思うのだから、髪を切られている1時間ずっと話したら尚更思うのだろう。
彼の常連は本当に老若男女問わずたくさんいる様だった。

お客さんがいない時、彼はよくカウンターにいる。
頬杖をつきながらパソコンをしていたり、ディスプレイを掃除したり、お客さん用の雑誌を読んでいる時もある。

たまに私と目が会うと、例のごとくヘラっと笑って手を振ってくれる。
私はそれに会釈で返す。

でも、ついに明日でそれも終わりだ。

明日はこの店最期の出勤日。
明後日からは別の店舗に配属になる。

昨日は店の定休日だったから、みんなが送別会をしてくれた。名残惜しいことに変わりないが、憂鬱な気持ちは前よりだいぶ落ち着いた。

そして今日。
今日は有給を取った。

髪を切りに行く。

もちろん、あのお店に。

次は私が話す番だ。

店舗を移動になること。
でも次の店には同期も移動してくること。
移動と言っても駅前の店なこと。
彼がこの場所で美容室を始めてびっくりしたこと。
この間カウンターで彼が寝ているのを見たこと。
ネイビーのシャツを着てくれていて嬉しかったこと。

予約の時間は13:00。
今はまだ11:30。

でも、もう、そろそろ、家を出ようか。



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