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薄皮って何枚あるのかな・・・ていうか、これは薄くはないなぁ・・・

またまたこちらの続き。

://note.com/particum/n/n8e21eadadd86

まだ時間があったので、もう一つのお題で占ってみようかね、なんて、気軽に選んだ次のお題は、不思議と出会った「パリに住む友人と私の関係性」

その方は約1年半前くらいにお仕事で出会った、素敵な方。すごく責任があるポジションなのに、とても謙虚で配慮の行き届いた人間性の高さ。彼のプレゼンテーションは、分かりやすいのにとてもエモーショナルで、彼の内側から出すエネルギーに、一発で虜になった。初めて出会った時から、彼の呼吸の浅さが気になっていたが、色々話すうちにお互いの過去なども話す関係になり、呼吸の浅さの理由も分かった。

人生生きていると、色々あるもので、ここ最近、彼は自分が作った壁を乗り越えて新しい決断をして、新しい環境に飛び込んだ。その中で起きたある事件と、積もっていた葛藤を話してくれたのだ。話す自体も勇気が必要だったと思うし、出会って間もない私に打ち明けてくた事に、感謝の気持ちしかなかった。と思っていたのだが、カードは私の奥底にある蓋を遠慮もなく見せつけた。

先生は、静かに

「心を開いてくれた彼に、あなたは知識で答えてしまってるよ。」

「あなたは、人に心を開きたくない(感情を分かち合えない)と思っているのね。」と言った。

その瞬間に、見透かされたことを悟った私の目から涙がツーっと流れた。

私の中のこの蓋は、きっと1リットルは溜まっただろう涙を流し、たくさん考え、癒してきた。が、実はまだ何か残像を残して「蓋」をしていたのだ。その蓋は、幼少の頃から何年も続いた「突然、クラスの女子ほぼ全員からシカト」というイジメ経験と、両親の不仲という2つの事柄が同時期にあった事からくるものだ。その頃、毎日学校では1人ぼっち、夜になると酔っ払った父が家の中で暴れて大声を出しわめいていた、そんな日々を送っていた。

私にとって忘れもしない夜がある。私が高熱を出し夜中、漏らしてしまった時に、父はリビング(別部屋)で収納の引き出しごと投げたり、コップを投げたりしてとても暴れていた。その中で、母は涙をボロボロと流しながら、私の下着を変えてくれた。高熱でぼーっとした頭の中で、母の泣いている姿を見て、私は「ごめんなさい」としか言えなかった。

この日だけでなく、酔っ払うと暴れたり、他の女性に会いに言ったり、この頃の父は手に負えないくらい荒れていた。今となっては、彼なりに葛藤していたのだと思うが、その頃は、本当に夜が来るのが怖かった。

苦労している母をこれ以上苦しめたくなかった。イジメられてるなんて、絶対に言えなかった。これらの経験から、私は自分の状況を封印し、苦労は人にいうものではないと思っていたし、楽しさ、喜びは軽視するようになった。笑うのも嫌だったというか、笑える事なんてあまりなかった。とても人と何かを分かち合える環境にはなかったのだ。

それから大人になって、たくさんの経験をさせてもらって、自分の中にある何かがそうさせていたのだろう、この経験は誰が悪いということでもない。そして、自分が変わる事で周りが変わって見えるという事に気づき、「感謝を忘れない人生を送ろう。」そんなことを心に刻んで、癒したつもりになっていたのだ。

きっと数年前だったら自分の心の声は「もうさ、これ以上どうしたらいいか、わからんよ。もう、そこは触りたくないのだ。もういいじゃん、いつまでも囚われてちゃいかんよ」といいそうだけれど、今回の私はそうじゃなかった。

「きちんと、また向き合おう」「心を通わせられる友人が1人でもいいから欲しい」

素直にこう思った。

しかし、覚悟はしてもやっぱり痛いものだ。トラウマに近いところと向き合うのは。

そんな中、先生は「その頃に戻ったら、自分は誰かにどうして欲しかった?」と聞いてきた。私は涙を流しながら考え込んで、「うーん・・・多分・・・誰か側にいて欲しかった」と答えた。

すると、先生は「それよ。感情を分かち合うってことは、解決策を一緒に探すことよりも、ただ側に寄り添ってあげることなの」と教えてくれた。

そうか、そうだよな・・・私は、自分の感情を出せないことを隠して、知識を使って寄り添ったふりをしてしまったのか・・・なんと罪なことをしてしまったのだろうか・・・心が青ざめた。

と同時に、「素直に彼に謝ろう。そして、少しづつでもいい、自分のペースで自分以外の誰かと感情を分かち合う経験ができる様、チャレンジしてみよう」と思った。

先生は、一緒に涙を流しながら「こんなに辛かった経験があるから、あなたの優しさの質感が違うのね。この経験をしているからこそ、内側にある貴方に輝きがあるのよ」と言ってくれた。

なんと嬉しい言葉なんだろう。心にじんわり染み渡る言葉は、どうやら私の中に新しいタネを植えてくれたらしい。

そのあとに、せっせと通っているヨガの時間に、面白い現象が起きたのだ。

その事については、また描きます。

今回は長々と描いてしまったが、実はこれを書けるまで少し時間がかかった。書ける様になったことは、大きな私の1歩なのです。ははは。

ちなみに、パリの彼に謝罪をしたら「僕、わかってたの。けど、時間が解決してくれると思ってた」と、サラッと言ってくれた。なんと、ありがたい言葉。出会えた事に本当に感謝し、これからも彼とは人生の友として寄り添っていこうと思います。

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