冗長化

冗長化(じょうちょうか)とは、システムの一部に何らかの障害が発生した場合に備えて、障害発生後でもシステム全体の機能を維持し続けられるように、予備装置を平常時からバックアップとして配置し運用しておくこと。冗長化によって得られる安全性は冗長性と呼ばれ、英語ではredundancyと呼ぶ。
常に実用稼動が可能な状態を保ち、使用しているシステムに障害が生じたときに瞬時に切り替えることが可能な仕組みを持つ。障害によってシステムが本来の機能を失うと、人命や財産が失われたり、企業活動が大きな打撃を受けるような場合には、冗長性設計が必須となっている。 Wikipedia

コロナによる売上減少のおかげさまで、日々の業務の無駄がどんどん削減されている。
会社がつぶれては元も子もないので、基本的には従うしかないが、ほんとにそれは省くべきかと疑問に思うこともある。

節約によるコスト減と、それに対応するための労力のコスト増を、算出し比較する時間もそれこそ削減したいものだが、ひとつ言えることは、節約志向の雰囲気が蔓延するとどんどん職場が窮屈になるということだ。

前職では、本社の総務にいたときは、自分では稼ぐ力はないのだから、根源的に赤字部署なのだからというイデオロギーのもと、社内文書は裏紙を使い、エアコンの温度はどんなに暑くても28度で、残業がつけられない雰囲気がたちこめていた。(そのくせ役員の出張旅費や重役会議後の2次会議には椀飯振舞していたが・・・)

支店の営業部門になると、社内でも営業成績のいいところであったためか、業務効率をよくするための経費は惜しげもなく使い、慰労会なども豪勢であり、稼いで使って回すという、バブルの時ってこういう感じだったのかなと思った。

自明だが、お金をかけるだけ人が提供するサービスを受けられるのだから、快適性は上がる。環境問題を棚上げすれば、稼いで使って経済を回すというのは企業活動としても個人の生活としても、資本主義の時代の中では理想の形だ。それができない今、プレコロナと比べると職場はみんなちょっとイライラしている。

システムの無駄削減に手を付けると、うまくいけば効率化にもつながるが、下手をすれば冗長性の喪失にもつながる。

24時間働ければお金をたくさん貰えるが、人間そうはできていない。ハンドルも切れば最小の操作で曲がるようになるのが合理的だが、みんながみんなF1のように到着までのタイムを競っているわけではない。あそびが必要だ。

ローリングストック法みたいに、あそびと非常事態がうまく融和するといいのだが、UPSを日常的に活用するすべもないし、余剰在庫は客に出さなきゃお荷物でしかない。なかなか冗長性を有効活用するのは難しい。

保険も何もなければ溝銭だが、万が一の事態が起きたらその状況から救ってくれる。役人として働かれている方々も、平時には「税金コーヒー」と皮肉を言われ、有事には「給付金がまだこない」と文句を言われる。公務員だって税金を払ってる我々の同志なのになぜ悪態をつけるんだろうか?

「無駄をなくす」という言葉は耳ざわり自体はいいが、必要な無駄なのか、不要なムダなのか、ちょっと考えないとリスクが増大するなと思った今日この頃であった。

そういえばもうそろそろ前職の退職から1年経つ。今度は前職の思い出もつらつらとしたためたい。




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