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しんどいけど止めてはいけないこと

 ちょっと思うところがあって、できるだけ毎日この『note』を更新してみることにした。自分の気持ちやら考えていることやら、できるだけ公開していくというのが、ホームページ→ブログを書いているうちに、「書いて、伝える」ことが本業となってしまった、自分の本分であり「業」なのだと、改めて身体に刻み込む作業が必要だろうと感じた、というのがわかりやすいだろうか。いや、わかりにくいね!(笑)

 竹村俊助さんの『書くのがしんどい』をようやく読み始めた。まだ初っ端に触れたのに過ぎないので、内容については言及を避ける。ただ、自分は「書く」ことも「書かせる」側に回ることもあるので、「書けない」にもいろいろな理由があると思っている。

 例えば、語彙がなくて「書けない」ということもあるし、お題を与えられて「腹落ちしない」ことで「書けない」ということがある。なので、一概に言えないのだけど、自分の場合に「筆が乗らない」というのは、記事あるいは原稿を出した後の「数字」あるいは「効果」が見えない時が多い。

 本来、書き手というのは「原稿」という「成果物」を出すところまでが「仕事」なり「責任範囲」で、その前後のことは考慮しないで良いはずだ。が、WebならばPVなりUUなりアクセスの数字が見えるし、SNSでのシェアの数字もわかる。それによって「次の仕事」に繋がることがあるから無視はできない。まぁ、これは紙媒体でも「販売部数」という数字があるから、実際のところ大きな違いがあるわけではないと、個人的には思っている。問題は、Webで書き手をやろうとすると、このサイクルを短期間に高回転でまわすことを、しばしば求められる、ということに感じられる。

 加えて、自分の場合はPVなどのその先の「読者の行動・言動にどう変化を与えたのか」というところを見ている。単に製品レビュー記事を書いたとして、それで購買なり製品への関心度なりに繋がることができたかどうか。自分も営業を担当していたことがあるので、求められてもいないのにコンバージョンが気になったりしちゃうんだよね~。

 ただ、Webで書き手をやることの良いところは、トライアンドエラーを繰り返して学習できるところにある、というのが私の持論で、反応イマイチだったテーマを別の切り口からアプローチしてみると、ガラッと違う結果になったりもするし、媒体による特性によっても変わることがある。そういったアウトプットの総量が多ければ多いほど、経験が血肉になって「打率」が上がるし、「書いて、伝える」ということをより研ぎ澄ますことができると思う。

 ただ、この数をこなすというのが「しんどい」。自分の場合は政治・社会からカルチャー系までカバーしているから、アニメや漫画の記事を出しつつ、政治系の取材をこなし、さらに日々起こるネットでの出来事のインプットをする必要がある。その全てが「行動を喚起するようなコンテンツ」を目指すというのは、なかなかに無茶な要求水準を課していると我ながら思うのだけど、「しんどい」からと言って止めていいことでもないとも思うのだ。


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