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ウクライナ国境近くの難民キャンプでボランティアしてきた話②

こんにちは。

今日は前回の記事に続き、難民キャンプでのボランティアについて、2本目の記事です。

ようやく長い6日間の初日が始まりました。朝5時半に起きて、6時半に寮の前集合。そこから現地の難民キャンプまで車で行き、7時から19時までのシフトになっています。

到着してすぐ、スロバキア語でのシフト確認と自己紹介が行われましたが、BISLAから一緒にきたTomas君が通訳をしてくれたおかげで、困るどころか、英語で自己紹介をした私をみんな笑顔で迎え入れてくれました。

そんなこんなで、説明と自己紹介が終了して、早速ボランティアが始まりました。

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ボランティアはこの反射チョッキと腕章をつけます

しかし、スロバキア語もウクライナ語も話せない私が何ができるのか?ここにくる前は、そんな自分でもできることをしよう、と意気込んでいましたが、いざ始まると少し困ってしまいましたのも事実です。

私は主にFOODテントで雑用を行いながら、都度与えられた仕事をこなす担当につきました。ご飯の給仕、ゴミ袋の回収・分別、テント内の掃き掃除、避難してきた人達が自由にいただける、お菓子・果物・飲み物を棚に補充するなどが主な仕事です。

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FOODテントの看板。向かい側に避難してきた人たちが泊まれる大きなテントがあります
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果物・お茶コーナー

このように、できることは限られますが、ご飯を給仕する際や、ゴミの分別を手伝う際などに、「スパシーバ(cпасибо)」(ありがとう)と言ってくれたり、子供たちと広場でサッカーで遊んだり、避難してきた人たちと小さな形であれ、コミュニケーションをとる機会も少なくありませんでした。

お昼休憩と、夜のシフトが終わる頃にはご飯がいただけます。避難してきた人たちと同じものをいただきますが、これが毎日バリエーションたっぷりでとても美味しかったです。長時間重い荷物を運んだり、動いた後のご飯は最高でした。

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初日のごはん。ケータリングの会社が来て作ってくれていました

とにかく、初日は精神的にも肉体的にも大変な日でした。すること自体に難しいことは特になくても、これは異国の地でボランティアをすること、それだけでなく、今起きてる戦争から逃げてきた人たちを助けるボランティアです。言語がわからないとあたふたしてるようではここに来た意味がありません。初日はそのような意味でも、なんとかできないかと模索する日でもありました。

それでも、別のボランティアの方やクラスメートに助けられながら、なんとか頑張れた日でもあったと思います。次の日にうまく繋げられるような気持ちになりました。

特に思うことが多かった初日について書いたところで、今日はこの辺にしようと思います。今ウクライナの隣国ではこんなことが起きてるいるということを少しでも知っていただけたらいいなと思いました。もう少し、続きますがよろしくお願いします。

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初日終了後のMichalovceの街。夕焼けが綺麗でした

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