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ウクライナ国境近くの難民キャンプでボランティアしてきた話③

こんにちは。

今回は引き続き3回目の国境ボランティア記事となります。前回は初日の仕事の様子について書かせていただきました。

では、いったいどんな人がこのキャンプにやってくるのか。一口にウクライナからの避難民と言ってもわからないかもしれません。そして、このキャンプにはどのような役割があるのか。「難民キャンプって結局何をするところなの?」という疑問をもたれるかもしれません。まずはそのことについて書いて行きます。

まずキャンプについて。このキャンプで避難民の方々ができることを大まかに話すと、「食事を取ること」、「お菓子・飲み物・日用品を調達すること」、「寝ること」、「避難民の認定を受けること」になります。特に四つ目の避難民の認定を受けることは彼らにとって最も重要になります。それによって、彼らが、避難先でも仕事につけたり、支援を受けたりできるかが決まるからです。そのため認定をもらうと、お昼ご飯、夜ご飯を食べてから、そのキャンプを経由してドイツに向かったり、首都のブラティスラバに向かう人がほとんどです。

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そして訪れる人たちについて。これは本当にいろいろな人たちがいると感じました。避難民であることに社会的身分の差はないからです。ただ、ウクライナから避難してきたという証明をしなければキャンプに入ることができないという条件はあります。

キャンプに来た人たちの中でも、私の目に留まったのはロマと呼ばれる人々でした。彼らはインド系の民族に端を発し、ヨーロッパを中心に一つの場所に定住せずに移動を繰り返す人たちのことです(最近は定住している人々も多い)。私も言葉だけは聞いたことがありましたが、一緒にきているボランティアの子が教えてくれるまで彼らがロマの人たちであると認識できませんでした。

彼らは基本的に10人ほどの大家族で移動してきます。ボランティアの子が、「残念なことに、彼らはほとんどのスロバキア人から嫌われているし、彼らを入れないように区別する学校もほとんどだ」と教えてくれました。そんな彼ら彼女らでも、避難民であることには変わりありません。

しかし、彼らに対する他者の目というのには、確かに何か確執があるように感じられてもおかしくないような雰囲気が漂っていました。実は彼らに対する差別がいまのヨーロッパではほとんどだということをようやく知った瞬間でもありました。もちろんキャンプでの差別はありませんでしたが、避難民でロマの人たちが電車に乗せてもらえなかったりなどの話は後に聞くようになりました。

ボランティアの人たちも様々なバックグラウンドを持っていた人がいました。政治アナリストをしているスロバキア人の青年、日本人の妻を持つ、ヨーロッパ旅行の一週間をボランティアに充てたアメリカ人のおじいさん、はたまた、ファインアーティストをしているフランス人、アフリカで支援活動を行なっている日本人の活動家の方。そんな人たちと話すだけでも多くの価値観や学びを得ることができました。

日数が経つにつれて、少しずつ業務も慣れて行き、自分のいまやれる事というのが明確になって行きました。最初は言語を話せるボランティアに頼んでいたことが、彼らの欲しいものや要求がジェスチャーと推測でわかるようになって来ました。言語はできなくても、「会話」ができるようになって来たということです。

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今回は少し文字が多くなってしまいました。次回でボランティア記事最後にしようと思います。ボランティアを通じて学んだことと、今後にどのように活かして行けたらいいのかを書けたらと思っています。

それでは今日はこの辺で。

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