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好き嫌いを超える

 システマでは呼吸で心身の状態を整え、自分が置かれている状況に対し、リラックスしていく為の方法を学ぶ。だから、日常のあらゆる場面、あらゆる時間で実践できる。

私が以前アスレチック施設に勤めていたときは、身体を使う場面で、システマの教えを取り入れることが多かった。自然な身体の動きを学んだことで、大きな怪我をすることなく務められ、感謝している。

しかし、今はこのやり方には問題があったと感じる。なぜなら、システマの教えを「取り入れよう」としていたからだ。

「取り入れる」ということは自分の主観的判断で選別するということを意味している。ここからここまでは使って、ここからここまでは使わない、と。

そうすれば、当然学べるのはシステマの一部だけで、全体に触れることができなくなる。

当時の私は自分がそういう「選別」をしていることにすら気付かず、自分のやりやすい部分、受け入れやすい部分だけを選んで自分の目的に利用しようとしていた。そういう考え方がエゴから生まれていることに気付いたのはごく最近だ。



今、私はそのときとは練習のやり方を変えている。マスターやインストラクターから勧められたワークのうち、自分がやりにくいと感じたもの、理解が難しいと感じたものを練習する時間を一日のどこかで必ず設けるようにしている。

得意なことをやるより、自分の苦手と向き合ったほうが上達が早い。

そのことをシステマ東京のzoomクラスで北川インストラクターに教わったことが、自分の練習への考え方の転機となった。

正直苦手と向き合うときはしんどい。やる前は億劫だし、脳がパニックを起こし、死にそうな負荷を感じることもある。しかし、練習を続け、心身が適応し、しんどくなくなってくると、他のワークもやりやすさが一気に向上することが多い。

しんどさや苦手意識といった感情の裏には恐怖があり、それは大きな緊張として身体に蓄積している。その緊張が取れれば、今まで身体にかけていた大きなブレーキが取れる。

だから、しんどさや苦手意識と向き合ったほうが、上達が早くなるのは合理的な理由がある。

ただ、この考え方にはリスクもある。「しんどい、辛いことをとにかくやればいい」という誤解を生みかねない。そういう誤解をしている人はブラック労働や体罰問題の当事者になることが多い。

しんどいことを練習するのは、慣れてないことをやる為の神経回路を自分の中に作り出し、それを必要なだけの力で適切に行う為だ。

いくらやっても、しんどさがまったく変らない場合、やり方に問題がある可能性がある。その場合、ストレスや疲労が蓄積し、心身を壊しかねない。自分の努力を分析し、前提や目的が間違っていないか、常に把握する必要はある。

特にシステマのワークは主観的に判断すると誤解が起きやすい。指導者の方の話をちゃんと聞いたほうがいいと思う。

そのようなリスクはあるが、やはり苦手やしんどさと向き合う練習は大切だ。

人間はついより楽なもの、よりやりやすいものを選んでしまう。そうやって、自分を狭い枠に閉じ込め、停滞させていく。動き続けることが生命の本質だとすると、停滞は死への近道だ。

その枠から超え、より柔軟に動ける心身を養うには、自分のコンフォートゾーンの外にあるものと向き合い続けるしかない。そうやって枠を超えた先には、自分の知らない自分がある。

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