妄想力を上げると、現実でのやりやすさも改善する?

タイトルに書いてあるようなことが、実現する状況はありうると思う。

妄想には二つの種類がある。自分の内側で展開される妄想と、現実世界の既存の材料から現実で実現されていないことを高い解像度でイメージする妄想だ。スティーブ・ジョブスくらいの妄想力に行動力が連動すると、社会を大きく変えたりする。

前者の妄想では理解や共感を得るのは難しい。ルイス・キャロルやアンデルセンの空想小説が受け入れられたのは、彼らの紡ぎ出す物語が、彼ら自身の世界に対する解像度の高い観察眼から作られたもので、現実と通底する何かが、確かにあったからだ。

「現実」というのはそもそも観察不能な幻想なのに、通底するってどういうこと?と頭を抱えたくなるが、ある人から見る現実と、別の人から見る現実が重なり合い、共振し、通じ合うという感覚は確かにある。それがあるから、人間はこれほどまでに複雑で緻密で、アバウトでごたまぜな社会を形成している。

なぜ、妄想について自分がこれほど語っているかというと、現実にフィジカル・ボディーが存在しない人間との恋愛の妄想をpixivで繰り広げ、それをなんとか作品化させるところまで行こうとしているからだ。

そういう妄想は楽しいが、現実では役に立たない。

私は長い間そういう考えに囚われていて、だから二次創作をあるときぷっつりやめたのだけど、これは「固定観念」だと最近思うようになった。

仮想世界にいるキャラクターは確かにフィジカル・ボディーは存在しないが、親から生まれ、身体の構造もざっくり同じで、声も性格も今まで生きてきた時間もそれぞれ別々という点を鑑みるに、我々の周りにいる人間とそれほど離れているとは言えない。

少なくとも、彼らが我々と同じ人間だという認識を我々が共有しているが故に、日本の仮想現実はこれほどまでにガラパゴス化したと言える。

だから、そういうキャラクターとの恋愛を現実に基づいて妄想し、シミュレートし、それを文字やイラスト、或いは動画等で作品化させるという行動は、行動だけを切り取り、物語にすれば「恋愛」と言って差し支えないと思う。つまるところ、恋愛とは、現実でも仮想でも、フィジカルなワークの積み重ねから形成されるのだ。つまり、体力があればあるほど、妄想が形となり、社会利益にもなって、多くの人々がハッピーになる確率が上がる。

解決策は、プッシュアップという結論に達する。下に動画、貼り付けておきました。あげていきましょう。

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