ドメスティックでバイオレンス

どうして?

あの男は喫茶店で、立ち上がり別れを告げた私にそう言った。さきに視線を逸らしたのは私で、彼は最後まで私を見ようとしていた。

それを、ふと思い出した。浴室に入り、シャワーを浴び始めたときだ。

自分より二つ下の後輩の女の別れの言葉を受けて、ワックスをかけたウェーブの金髪の下で瞳を震わせていた彼は、最後まで少年で、その瞳は、目の前の冷めた顔つきの女に向けられていた。それが私と彼の恋愛の最後のアルバム。

最初の思い出は、私が一目惚れし、無人の廊下で放課後、不器量な口から不器用な告白を出した女に、彼が笑顔でいいよ、と言ってくれたとき。思い出すと、今でも私の心臓は軽くなり、けど別れた。

どれくらい引きずるのかな?第二次性徴の兆候が中三の夏以来音沙汰なしの身体に触れ、熱い湯に身を委ね、濡れた髪が重力に従い、重みが増す感覚を首の筋肉で味わいながら、私は私に問う。

(…..わからないけど、初恋だから、長く引きずるんじゃない?けど、あのままずるずる続けるより、よほど良かった。えらいよ、私)

その声は私に耳馴染で、つまり、私が聞きたいことだけを言ってくれる、狭い檻の中から聞こえてくる声。自分で自分を励ますのは、時に、手鎖で縛られるように、窮屈で、けれどそれがあるから、私達はひとりひとりの世界を歩いて行ける。

声は杖で鎖。

そんな言葉が生まれる音が脳からして、それがシャワーで毛先から流され、蛇口に流れてゆき、ヒッチコックの「サイコ」みたいに水が渦巻きが形成するのを見て、シャワーを止める。

風呂場から出て、タオルで身体を拭き、ドライヤーと櫛と辛抱強く格闘後、パジャマを着てバスルームから出ると、「待ってたよ」と声。

心臓が飛び出そうになりながら振り向くと、リビングに獣人がいた。

口に並ぶ犬歯がカーテンの隙間から差し込む月光に照らされ、灼熱の海でも涼しげだったその顔つきは、寒々しく悍ましい獣の嗤いに変わり、筋肉質な裸を包む灰色毛の艶やかさだけが、私の知る彼との同一性を告げる。

「この姿を、君にだけは見せたくなかった」

私も、声が唇から漏れる。

「……..私も、先輩が見せたくないことに、ずっと気づいてました。気づいていて……逃げて、ごめん、なさい」

獣人の目から涙が漏れ、頬を濡らす感覚に共振を感じながら、食肉目の爆発的な跳躍力を秘めた肢が床の上で、私に一歩近づく。

「お願いだ。もう一度……もう一度、チャンスが欲しい。今度は、すべて説明するから…何もかも」

長く詰めていた息を吐き出し、感覚ネットワークを全身で感じながら、脚の踏ん張りを抜き、私は、ゆっくりと首を振る。

「ごめんなさい….でも、今の先輩に必要なのは、私じゃない、です。私では
どうにもできません」

澄んだ黄色の瞳が一瞬で赤く拡大し、強い怒りが睨み付けてくる。

「医者が必要だって、言うの?…君も、俺の親と同じこと…言うわけ?」

私の全身くらいありそうな腕を吊るす肩甲骨が上がり、牙をこちらに突き出す彼は、一瞬で私の首筋に噛みつき、血を飲み干すことができる位置に立ち、全身が震えている。

「そうは言ってません。これは、どちらかといえば、私の能力不足に原因があります。先輩の今の姿に対して、私からあげられる処方箋は…..ありません」

「好きだって何度も言ってくれたじゃんか。その気持ち…..だけじゃ…..ダメなわけ?」

照明が消された部屋で月明りに照らされる彼を見て、私は、ああまだ好きだ、普通に好きだ、大好きと告げる自分の鳩尾に指を当て、震えを実感しながら、首を振る。

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