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お金と時間の問題を、もう一度考えてみよう その2

執筆:ラボラトリオ研究員 杉山 彰

物々交換が生まれた

物々交換の歴史には、2つの流れがあります。「時」の流れと「モノ」の流れです。前者は、時間の経過を伴う地域&地域間(行くのに時間がかかる)での物々交換と、時間の経過が伴わない同一地域内(行くのに時間がかからない)での物々交換です。後者は、カタチが見えやすいモノとの物々交換と、カタチが見えにくいモノとの物々交換です。

時間の経過を伴わない物々交換は特定の地域で閉じたカタチで行われます。「モノ」の流れは多様化することなく、コミュニケーションも多様化しません。時間の経過を伴う物々交換は不特定の地域間で開いたカタチで行われます。「モノ」の流れが多様化し、コミュニケーションが多様化します。コミュニケーションが多様化すると偶然が多発化します。偶然が多発化すると偶然の多くは必然となり、新しい慣習として定着しますが、ときには偶然が偶然を呼んで突然変異することもあります。あるとき変化が起きます。

カタチが見えやすいモノとの物々交換は自らの判断で行うことができます。鮮度は、見栄えは、大きさは、数は・・・。すべて自分の目で確かめることができる交換です。カタチが見えにくいモノとの物々交換は自らの判断と他者の判断を必要とします。不安と期待が錯綜します。交換する相手との絆、信頼関係を必要とします。では、いったいカタチが見えにくいモノとの物々交換とはどんな交換だったのでしょうか。はじめは労働力との交換です。

余剰生産物を生み出した計画狩猟採取の時代に「世話をする労働」が生まれた。知恵を知識にした人間と、知識にできなかった人間の間に余剰生産物量の差が生まれた。同時に、余剰生産物は人口を増加させ、食べ物を手にするまでに間接的に関与する労働力が発生したのでした。計画狩猟採取の時代になってはじめて、「生産者=消費者」という関係に、新たに管理者という中間層が登場したのです。

では、この労働力はどのようにして交換されたのでしょうか。初期の頃は、収穫などの多忙期に、隣近所で労働力を融通し合うという物々交換だったのでしょう。例えば夜明けから日没までの間、または、夜明けから太陽が頭上に昇るまでとかいった交換条件、つまり、対価が決められたのでしょう。時間を細分化して正確にはかる必要性は、このような物々交換の経験から生まれたのかもしれません。

もちろん、労働力と余剰生産物との交換も発生したはずです。この交換の対価をきめるネゴシエーションは難しかったに違いない。いろいろ試行錯誤したに違いない。しかし、結局は物々交換する当事者同士の納得で折り合ったに違いない。市場ができるまでは。

物々交換は、やがて市場を誕生させた

物々交換が時間の経過を伴って行なわれ、カタチが見えにくいモノとの交換が行われると、交換する種類が増える。広い地域の人たちが物々交換に参加するようになる。そして品揃えが充実する。当然、コミュニケーションは活性化し偶然と必然が多発化し、やがて変化が起きます。市場が生まれます。モノが集まる場、モノが交換される場が出現するのです。

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市場は「時間と距離」という2つの目に見えにくい要素と、「人とモノ」という2つの目に見えやすい要素が、それぞれ相互作用して発達するという事実です。市場が日常的に開かれるようになると「人とモノ」の種類と移動量が増えます。しかし、同時に「時間と距離」という制約が顕在化します。

前者は、やがて「組織論」に発展し、後者は、やがて「ネットワーク論」に発展します。組織化とは、もともと無秩序に存在していたモノを秩序化していくための手法であり、ネットワーク化とは、もともと秩序化されて存在していたモノが無秩序化になっていく手法であるとも言えます。

組織には「集中と規制と権力」が三種の神器として君臨するようになり、ネットワークには、「分散と自由と自発性」が三種の神器として鎮座するようになります。秩序化された組織は、やがて飽和、過飽和の過程を経てフィードバック理論に従うようになります。あるとき突然、2倍体の組織に進化するか、揺り戻されて現状維持するか、崩壊して消滅するか、の選択を迫られます。無秩序化したネットワークも、あるとき突然2倍体のネットワークに進化するか、揺り戻されて現状維持するか、崩壊して消滅するかの選択に迫られます。どちらの現象も、「播種」という異端の出現、もしくは「揺り動かされる」という外部圧力などの刺激が引き金になります。話が古くて申し訳ないのですが、あのライブドアのM&A事件は、まさにフィードバック理論の実践そのものでした。環境としてのネットワークは株式市場です。「播種」は堀江氏という個人の存在です。揺り動かしたモノはM&Aによる会社支配です。

ノーバート・ウィナーが唱えたフィードバック理論は、まさに現代社会における組織社会、あるいはインターネット社会の在り方、現象をみごとに言いあてているのです。

規制を撤廃したり緩和するのが目的にもかかわらず、規制を撤廃したり緩和するために必要と称して、新たな規制を増やし続ける官僚組織の愚かさ。

無秩序に発展するのがネットワークの道理であり、エネルギー源なのに、さまざまな規制や統制でネットワークを縛るために、無理を通そうとする国家権力。さて、寄り道はこれくらいにして本題に戻ります。

当然のことですが、「時間と距離」の制約は、交通機関と交通路の発達を促し、「人とモノ」の増加は、商品開発の多様化を促します。新しい役割としての「世話をする労働」も生まれます。「市場の世話をする労働」です。「マネージメントする労働」の始まりです。ここにいたって、物々交換の歴史は大きな転機を迎えます。時代は、計画狩猟採取の時代から、農業社会へと進化します。

農業社会は、建設土木工業社会

閉じた地域で、閉じた人たちの間で行われていた物々交換が、やがて開かれた地域で、開かれた人たちの間で行われる物々交換に進化して市場が生まれた。市場が頻繁に開かれるためには、市場で物々交換される余剰生産物が、常時、一定量、生産されなくてはなりません。需要が供給を刺激し、供給が需要を刺激するという構図は、今も昔も基本的には同じです。時代は、計画狩猟採取の時代から、農業社会の時代へ、と相転移したのです。 

しかし、ここで登場した農業社会を、現代の私たちがイメージする農業社会とみると、大きく見誤ります。この時代の「農業」というのは、建設土木工業であり、当時の最先端科学が駆使された花形産業なのです。例えば水田100ヘクタールを開墾するシミュレーションをしてみると納得できます。まず、土地の見立てです。水源が確保できるか。確保できた水源をどう有効利用するか。農業用水路の設計です。測量が必要です。次に、伐採や造成です。道具が必要です。鉄を生産する技術。鉄を加工する技術が無くては100ヘクタールの水田の開墾は難しく、人手が必要となります。水田までの道路を造る必要もあります。作物の貯蔵施設も必要です。渇水期に備えて溜め池も必要になるかもしれません。ときに砂防ダムのようなものもつくったはずです。天体や自然を観測して暦や歳時記もつくっていました。品種改良も行われていたはずです。狩猟採取の時代、計画狩猟採取の時代、そして農業の時代。当時は、その農業という産業に人間たちのすべての叡智が集中していたのです。この現象は、その後、工業社会、情報社会、知識社会へと進化した今日においても、まったく同じなのです。現代社会では、まさに情報産業や知識産業に、人間たちのすべての叡智が集中しています。 

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今、起こっている問題や事象は、過去にも起こった問題や事象であり、それらの問題や事象を乗り越えてきた歴史があるからこそ、今日の我々が存在しているのです。過去を古い情報として粗末に扱うか、新しい情報として大切に扱うか・・・。つまり、過去を糧にして、未来を思い描くことが、現在を生きることなのです。

ただし、未来を思い描くことにはドラマが発生します。フィードバック理論が作用するドラマです。フィードバック理論に従えば、新しい時代の幕開けには、必ず「播種」と「揺り動かし」が発生します。「播種」は、目に見えるカタチであり、鉄器の発明、蒸気の発明、原子力の発明、そしてコンピュータの発明などです。「揺り動かし」は、目に見えにくいカタチであり、社会の逼塞感、不平不満、革命の息吹などです。そうして、この目に見えるカタチと、目に見えにくいカタチは複雑に混じり合い混沌化します。混沌化するとモノゴトの本質が見えにくくなってしまうのです。2倍体に進化するということは、2倍、4倍、8倍、とベキ乗で変化することであり、不連続の連続で変化することであり、魑魅魍魎とした塊になってしまうことでもあります。

さて、「お金と時間の問題をもう一度考えてみよう、その2」も、残されたスペースが、わずかになってきました。続きは、次回に繰り越してお伝えしたいと思います。
次回は、「農業社会は、建設土木工業社会」の続きからです。「一つを得ると一つを失う」、「お金は誰でも発行できるのか」、「仮想通貨とはどんなお金なのか」、「時間は何にでも変換できるのか」、と続きます。乞うご期待ください。(つづく)

その3につづく

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【杉山 彰(すぎやま あきら)プロフィール】

◎立命館大学 産業社会学部卒
 1974年、(株)タイムにコピーライターとして入社。
 以後(株)タイムに10年間勤務した後、杉山彰事務所を主宰。
 1990年、株式会社 JCN研究所を設立
 1993年、株式会社CSK関連会社 
 日本レジホンシステムズ(ナレッジモデリング株式会社の前身)と
 マーケティング顧問契約を締結
 ※この時期に、七沢先生との知遇を得て、現在に至る。
 1995年、松下電器産業(株)開発本部・映像音響情報研究所の
 コンセプトメーカーとして顧問契約(技術支援業務契約)を締結。
 2010年、株式会社 JCN研究所を休眠、現在に至る。

◎〈作成論文&レポート〉
 ・「マトリックス・マネージメント」
 ・「オープンマインド・ヒューマン・ネットワーキング」
 ・「コンピュータの中の日本語」
 ・「新・遺伝的アルゴリズム論」
 ・「知識社会におけるヒューマンネットワーキング経営の在り方」
 ・「人間と夢」 等

◎〈開発システム〉
 ・コンピュータにおける日本語処理機能としての
  カナ漢字置換装置・JCN〈愛(ai)〉
 ・置換アルゴリズムの応用システム「TAO/TIME認証システム」
 ・TAO時計装置

◎〈出願特許〉
 ・「カナ漢字自動置換システム」
 ・「新・遺伝的アルゴリズムによる、漢字混じり文章生成装置」
 ・「アナログ計時とディジタル計時と絶対時間を同時共時に
   計測表示できるTAO時計装置」
 ・「音符システムを活用した、新・中間言語アルゴリズム」
 ・「時間軸をキーデータとする、システム辞書の生成方法」
 ・「利用履歴データをID化した、新・ファイル管理システム」等

◎〈取得特許〉
 「TAO時計装置」(米国特許)、
 「TAO・TIME認証システム」(国際特許) 等

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