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自己の能力を全開するとは?

こんにちは。
Parole編集部です。

日々の朝拝の後に、日々の様ざまな気づき、また、その時に最も重要だと思われる情報を共有するための時間。

これまで様々なテーマでお届けしてまいりましたが、この度は、自己の能力を全開するということについてのお話しがありました。

こちらは前回の「主体性をもつ」ことが、なぜ大切なのか?というお話とも関連する内容となりますので、あわせてご覧いただけました幸いです。

おはようございます。
今日は先日のお話に続いて
大事なお話がありましたので、
そちらの方を共有したいと思います。

通常私たちは、こういった形で
神拝作法をやっているわけですけれども、
では、神の一番の望みは何かと考えた時に、
どういうことが言えるかというと、やはり
私たち人間が、全能力を使ってほしい
ということを思っているはずなんですね。

私たち人間は、一般的に言われるように、
大体持っている力の数%しか使っていなくて、
残りはほとんど、90何%は、
一生使わずに終わると言われております。

本来の神の望みということで言いますと、
それは、全部使ってもらうと。

それこそ100%使ってもらうということで、
その力を少しでも宇宙を良くするために
使って貰いたいと考えているはずなんですね。

ですから、私たちの役割というか、
目指すものというのは、
もちろん「公」ということもありますけども、
この自分の能力を、数%ではなくて、
100%に全開することではないかと、
そういうことが言えるわけですね。

通常、自分の能力が
どのぐらい伸びたかというのは、
学校教育みたいな嫌らしい意味ではなくて、
非常に客観視の中で
必要な要素ではないかと思います。

そこで、やはり必要になるのは、
昨日、お話したような
主体性というテーマになるわけです。

どうしても人に依存したりとか主体性がないと、
自分自身が安全地帯にいるわけですから、
そこに何の発展もない
ということになってしまうんですよね。

危険地帯が良いというわけではありませんけども
基本的に人間の能力というのは、
サバイバルの中で、
本当に生きるか死ぬかというところで、
どんどん能力を伸ばしていく

ということがあるんですね。

主体性を失って、
何か安全な場所にすがりつくとか、
そういう発想ですと、
正直全く能力というのは、
開花しないんですよね。

昨日お話したことでもそうなんですけども、
とにかく、自分という主体性をしっかり持って
あらゆるチャレンジをしながら、
自分の中の限界と向き合ったり、
どういうところを伸ばしていくかということを
日々考えて、やっていくということが
重要なのではないかなと思っております。

さまざまな神拝作法ですとか、
私たちの役割には、目的というか、
色々とあるわけですけども、
今日は、とりわけですね、
私たちは、本来100%全開するというのが、
本来の目的というか、神が望む道であり

それを目指してまた
やっていきたいということを
改めてお伝えしたいと思います。

よろしくお願い致します。

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