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日本という、このすばらしい国 その6

執筆:ラボラトリオ研究員 杉山 彰

弥生時代に日本列島の人口が異常に増加した

そして、さらに驚くべきことに、76,000人前後という縄文時代晩期の人口は、紀元前1,000年~紀元前500年頃から始まったといわれる弥生時代に入ると、いっきに60万人規模の人口に膨れ上がります。通説とは異なりますが、中国大陸からの難民が、渡来人として大挙して日本列島に流れ込んできたのではないかという説もあります。

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この時代(縄文時代晩期~弥生時代早期)は、中国大陸では春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)といわれ、紀元前221年に秦の始皇帝が中国を統一するまでは動乱の時代でした。そして、その中国を統一した秦も、紀元前210年の始皇帝の死後に勃発した「呉広の乱」という農民反乱により、紀元前206年に滅びてしまいました。そしてさらに、秦が滅びた後には劉邦と項羽が覇権をめぐって争った楚漢戦争が勃発し、紀元前202年に劉邦が漢の皇帝となったというように、度重なる戦争により多くの難民が発生した時代でした。現代でもそうですが、難民の常として、難民たちは戦争が発生している地域を避けるようにして集団で移動します。太陽が昇る方向を目標にして東に移動すれば東シナ海や日本海にたどり着くのは自然の理です。そして、その東シナ海や日本海の彼方には、日本列島が存在していたのでした。

当然のように、相当数の難民が船で東シナ海や日本海を渡ったに違いありません。日本海を流れる海流(黒潮/対馬海流)は、中国大陸側からの大量の難民たちをごく自然に日本列島に運ぶ海流です。現代において、日本海側の各地に、朝鮮半島、中国大陸からのゴミが大量に漂着することをみれば、それこそ数人が乗れる小さな船で沖合にこぎ出せば、あとは海流に運ばれて日本列島に漂着することは何でもないことでしょう。おそらくこのようにして数百年の間に、60万人あまりの難民が中国大陸から日本列島に、渡来人として流れ込んで来たのではないでしょうか。(つづく)

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【杉山 彰(すぎやま あきら)プロフィール】

◎立命館大学 産業社会学部卒
 1974年、(株)タイムにコピーライターとして入社。
 以後(株)タイムに10年間勤務した後、杉山彰事務所を主宰。
 1990年、株式会社 JCN研究所を設立
 1993年、株式会社CSK関連会社 
 日本レジホンシステムズ(ナレッジモデリング株式会社の前身)と
 マーケティング顧問契約を締結
 ※この時期に、七沢先生との知遇を得て、現在に至る。
 1995年、松下電器産業(株)開発本部・映像音響情報研究所の
 コンセプトメーカーとして顧問契約(技術支援業務契約)を締結。
 2010年、株式会社 JCN研究所を休眠、現在に至る。

◎〈作成論文&レポート〉
 ・「マトリックス・マネージメント」
 ・「オープンマインド・ヒューマン・ネットワーキング」
 ・「コンピュータの中の日本語」
 ・「新・遺伝的アルゴリズム論」
 ・「知識社会におけるヒューマンネットワーキング経営の在り方」
 ・「人間と夢」 等

◎〈開発システム〉
 ・コンピュータにおける日本語処理機能としての
  カナ漢字置換装置・JCN〈愛(ai)〉
 ・置換アルゴリズムの応用システム「TAO/TIME認証システム」
 ・TAO時計装置

◎〈出願特許〉
 ・「カナ漢字自動置換システム」
 ・「新・遺伝的アルゴリズムによる、漢字混じり文章生成装置」
 ・「アナログ計時とディジタル計時と絶対時間を同時共時に
   計測表示できるTAO時計装置」
 ・「音符システムを活用した、新・中間言語アルゴリズム」
 ・「時間軸をキーデータとする、システム辞書の生成方法」
 ・「利用履歴データをID化した、新・ファイル管理システム」等

◎〈取得特許〉
 「TAO時計装置」(米国特許)、
 「TAO・TIME認証システム」(国際特許) 等

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