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ワインを巡る冒険vol.02 〜壺に隠された秘密〜

執筆:ラボラトリオ研究員 小池沙輝

前回は、「世界最古のワイン」といわれ、およそ8000年もの歴史を誇るジョージアワインの魅力と、古来この地で大切に守り継がれてきた「クヴェヴリ製法」の稀少性について触れました。

しかし、vol.01の執筆を終えたところで、映画の中でもう一つ重要なシーンがあったことを、後から思い出したのです。

そこで今回は映画の内容から一歩踏み込んで、クヴェヴリ製法にまつわる歴史と、プリミティブなワイン造りに秘められたストーリーについて、紐解いていきたいと思います。

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さて、映画『ジョージア、ワインが生まれたところ』の主要なテーマとして登場する、丸く大きな素焼きの壷=「クヴェヴリ」。

よ〜く見ると、何かに似ていると思いませんか?

日本の歴史の始まりとともにあったもの。
食糧を貯蔵したり煮炊きするなど、人々が生きていくために欠かせなかったもの....

そう。これはどう見ても、「土器に似ている!」と思ったのです。

よく考えてみると、クヴェヴリもたしかに土(粘土)でできているので、れっきとした土の器ですから、土器には違いないのですが...

ただ、あの茶色く味わいのある色調といい、ざらついた表面の風合いといい、無骨さを残しながらもどこか美的な要素が感じられる独特の形状といい、目を凝らせば凝らすほど、日本の縄文・弥生の土器と相通じるものがあるのではないか。そんなふうに思えてきたのです。

そこで、もっとその先、もっと奥を知りたいという好奇心の赴くままに想像力を膨らませ、また資料を読み検索を進めていくうちに、新たな史実にたどり着くことができました。

今回は、その一部をご紹介させていただきます。


冒頭のお話に戻りますが、私がvol.01の執筆を終えて後から思い出したこと。

それは、映画の中でジョージアの人々がクヴェヴリについて「生命の源そのものである」というような表現をしていたシーンでした。

おぼろげな記憶ではありますが、たしか、そのようなことを言っていたのです。

その時私は、この謎めいた壺の存在に並々ならぬものを感じ、

ここに何か重大な秘密が隠されているに違いない」と直感しました。

いかに手間がかかろうとも、それがたとえ世界で流通させるための条件となる均一の味わいを約束するものではなかったとしても、こうして頑なまでにプリミティブな製法にこだわり、守り続け、それを今に伝えているということ自体、これは本当に驚嘆すべきこと。

だからこそ、そこに何かがあるのでは?と、よりいっそうの興味をかき立てられたのです。

もちろん、ジョージアの人々が今に伝えてきた営みを、

「それがジョージアの歴史であり文化だから」

と言い切ってしまえば、それですむ話なのかもしれません。

しかし、そこには「文化」という言葉では一括りにできない何かーー生産者たちの強い信念のベースにある、決して譲ることのできない、底知れぬ情熱のようなものがあると感じたのです。

つまり、そこには「どうしてもクヴェヴリ製法でなければならない理由」があるのではないか、そして、まだ語られてはいない多くの物語が存在しているのではないか、と思いました。

そこで気になる点をさらに探っていくうちに、「クヴェヴリ」という器の存在、そして独特のあの形状に、あらゆる秘密が隠されていたということが見えてきたのです!

ではここからいよいよ、クヴェヴリの秘密に迫っていきたいと思います。

〜クヴェヴリに隠された秘密を追い求めて〜

先日の記事でもご紹介させていただきましたが、クヴェヴリをよ〜く見てみると・・・。

なんだか卵を逆さまにしたような、不思議なかたちに見えてきませんか?

さらに縄文土器や弥生土器と違って、先端部分が尖っていることがお分かりいただけるのではないかと思います。

クヴェヴリはそれ単体では安定して立つことができないため、発酵・醸造が行われていない期間は屋外に、ごろんと横になって並んでいます。

たとえばこんなふうに....

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なかなかのインパクトですよね!

この形状ですから、どうしても寝かせて置く必要があり、そういう意味では、機能的であるとはいえません。むしろ「なぜこのかたちにしたんだろう?」という疑問すら湧いてくるほど。

たとえば、縄文土器は道具としての機能性ばかりでなく、それぞれに個性のあるかたちや文様を施した芸術性、器にまつわる神秘性も含めてトータルで大きく評価されていますが、その縄文土器と比較してみると正直、ちょっと物足りない感じがしたのです。

ではなぜ彼らは、「敢えて」このようなかたちにしたのでしょうか。

それは...

クヴェヴリが、単にワインを醸すための入れ物・器という域を超えて、

生命を育み生み出すための源」であったから。

そう。聖なる器は道具であるという以前に、新たな命を生み出す、“装置”としての意味があったのです。

さらに、クヴェヴリには”今”という時を紡ぐだけでなく、この器から誕生したいのちを、後世へとつなげていくものでもあったのだろう、と。

つまりクヴェヴリは、過去・現在・未来という時空をつなぎ、命を循環させてゆくための、いわば “生命装置” であり、そのような尊い営みを織り成すという意味において、「神器」であるように思えてきたのです。

ここまでいってしまうと、少々、大袈裟に感じられるでしょうか?

しかしこれは、私の空想や想像の飛躍で展開しているわけではありません。
なぜなら、これらを裏づけるような資料もちゃんと見つかっているからです。

たとえば「ジョージアのクヴェヴリワインと食文化」という書籍の中には、こんな一文があります。

ジョージアではクヴェヴリは形状からしてまさに母胎であり、「ワインを造る」とは言わずに「ワインを育てる」と表現します。

そしてこの一文を手がかりに様々な資料を探っていくと、その先にはさらなる展開が待っていました。

ここでいくつか目を通した資料をもとに、以下、ざっくりと要点をまとめてみましたのでご覧ください。

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ジョージアでは古来、「クヴェヴリ」を母胎になぞらえ、新しい命を生み出す器であると信じられてきた。そしてそこで醸されるワインは、胎児にたとえられたのだ。つまり母なる大地より生まれるブドウは、父なる天空の光を浴びて育ち、母の胎内で育まれることによって、母と父の創造の結晶として「子」=ワインが生まれるのだ。
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いかがでしょうか。
もうお分かりの方もいらっしゃるでしょう。

ジョージアの歴史・文化的背景に思いを馳せてみると、古来「クヴェヴリ」がいかに神聖な器として、生命誕生の営みに関わってきたのか、ということがはっきりと見えてくるのではないかと思います。

つまり、ジョージアの人々にとってワインとは、機械によって均一かつ大量に生みだされるものなどでは決してなく、母の胎内でじっくりと時間をかけ、大切に育まれてついに誕生する、“いのち” そのものであったのです。

そして時間を惜しむことなく手間をかけ、必要であれば適切に手を加えることによって丹念に醸されるワインは、同じものはふたつとない、一つ一つがたしかな魅力と個性ともった、かけがえのない「我が子」であったのだと。

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そしてその愛おしいワインが誕生した暁にはスプラの饗宴で美しいポリフォニーとともにもてなされ、日常では日々の食卓を彩るものとしてジョージアの人々の血肉となり、それはやがて誇るべき文化となっていったのでした。

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さて最後になりますが、この文章を書いている最中に、また映画の別のワンシーンが蘇ってきたので、忘れないうちに追記しておきたいと思います。

かつてジョージアで名を馳せたワインの造り手は、亡くなるとクヴェヴリの中に入れられ、彼らが愛すべき土壌に埋葬されたといいます。残された人々はワインの名手に対する心からの敬意を込めて、この方法によって死者を弔っていたのだそうです。

このあたりの埋葬の歴史についても、どこか縄文と通じ合うものを感じてしまうのは、おそらく私だけではないでしょう。

この神聖なる器から誕生したいのちは人の営みと同様、永遠にとどまり続けることなく、自然の法則に従い、やがては黄泉の国へと旅立っていきます。

人が一生を終えることを「大地に還る」といいますが、ジョージアの人々にとってはそれこそが、クヴェヴリになぞらえられた母なる大地であり、いのちを生み育てる “母胎” でもあったのでしょう。

そのような生命活動の営みと命の絶え間ない循環、そして民族の物語が、“クヴェヴリ”という神聖な器によって、これからも醸成されてゆくことでしょう。

と、そこで・・・
命の循環といえば、生命螺旋。生命螺旋といえば、渦。渦といえば...

話題の、あの方

と、思い出しました。

ということで、最後の最後で、また新しいアイデアが浮かんできて、土器だけに、ドキドキしてきてしまった私。

このインスピレーションをもとに、次回は「生命螺旋」にまつわる記事を書いてみたいと思います。

当初は2話くらいで完結するはずだったのですが...物語はまだまだ続きます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ワインを巡る冒険 Vol.01はこちら

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