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ゆらぎ 15 -あまりにもあいまいな(続編) 「ユーモアとアイロニー」/ スピリチュアルの師との対話(その二)

もうひとりのスピリチュアルの師であるKくんは、巧の仕事の後輩である。
Kくんは、日本で超難関名門と言われている某超有名大学の出身である。しかも、文系仏文科と理系数学科卒で、フランス留学もし、理学部数学科の大学院中退でもある。何故中退かと言うと、教授とケンカして辞めたそうである。予備校の講師を経て、巧が勤めるドイツ人経営の翻訳会社に入社してきた。フランス語とドイツ語と英語の翻訳を担当した。予備校の講師の方が、よっぽど高収入だったそうである。

そんな名実共に秀才のKくんだったが、会社では、巧が先輩だったので、頻繁に巧のところに来て質問した。事実上、巧がKくんの新入社員教育の担当だった。

テクノロジーのパラダイムシフトの時期で、テクノロジーの翻訳者の世界も、年功序列タイプの能力世界が逆転していた。つまり、生まれた時からファミコンがあった若い新入社員の方が翻訳対象の内容が一層よく理解できるのである。シニアの翻訳者には、そもそも内容が理解困難になっていた。コンピュータの操作もそうである。高齢の翻訳者が若い社員にコンピュータの操作を尋ねに来るということもよく見かけた。電子回路が理解できるレベルから、MRIなど先端医療機器、素粒子加速器、量子コンピュータ、マイクロマシン、ML、DL、ニューラルネットワーク、高度言語処理、NN、AI等に電子系分野は飛躍的に進化していた。
数学科出身のKくんは、そんなパラダイムシフトを難なく突破できた。巧も工業高専で「電子計算機・パルス回路」専攻故、かろうじて突破できた。そんな二人だったので、職場では最強のコンビだった。会社で、いちばん難しい仕事を担当した。実際、傍で見ていると大喧嘩しているように見えたであろう激論を闘わせて、とてもいい仕事をしたことも度々あった。その仕事の内容は、文系出身の高齢の管理職たちには全く歯が立たない領域だった。例え、Kくんと同じ超一流大学の独文科出身の翻訳者であっても(巧の労働運動の最大の敵であるI総務部長はそうであった)。ドイツ人管理職も、Kくんのフランス語、ドイツ語、英語、数学の能力を高く評価していた。かつて、会社でいちばん難しくて、会社の名誉にも関わるMRIの某案件を巧に依頼したドイツ人管理職も、そんなKくんと巧の仕事を高く評価した。日本人管理職は、なんにも口をはさめない状態だった。要するに、やりたい放題だった。

Kくんの哲学、思想、スピリチュアル関係の読書量は半端でなかった。巧にとっても、職場に「パルメニデス」や「ソクラテス以前」「新プラトン主義」等の哲学者の話ができる人がいること自体、天にも昇る程うれしいことだった。だから、仕事中も、そんな話をよくしていた。実は。

巧にとって宿命的に重要なことを、Kくんは巧に注入した。
チベット仏教の瞑想法であるゾクチェン瞑想(rDzogs-chen Vipassana)と、神智学のブラヴァツキー である。この両者は、巧のライフワーク「パルメニデス」とも密接に関連していて、超重要である。Kくんには、感謝しかない。巧にとって、Kくんは、スピリチュアルの立派な師である。
Kくんも、当然、巧の労働運動を周知していた。他の新入社員同様、管理職から「巧は悪いひとだから、近づかないように!」と言われていたにもかかわらず、これも他の殆どの新入社員同様、なんのわだかまりもなく、Kくんは特に積極的に巧と親しくした。

Kくんにとって巧の労働運動は、関心領域の外にあった。巧も、事実上完全勝利した後だったので、どうでもいいことになっていた。そんなKくんの感想・・。
「ずいぶん楽しみましたね! はっはっは!」と大笑いした。
・・・そうか!
客観的に観ると、巧にとって、精神破綻寸前まで深刻だった労働運動も、そんなふうに見えるのか!
目から鱗だった!
巧は、実は内心、心配していた。自分なんかと一緒にいると、会社内でのKくんの立場が悪くならないかと。しかし、そんな低俗なレベルは、Kくんは軽く超していた。
巧が大好きだったキルケゴールの専門家の実存主義哲学者I先生が言っていた「ユーモアとアイロニー」を想起した。そうだ!人生に必要なのは、ユーモアとアイロニーだ!
巧が単身決起した労働運動も、そんな大それた『正義』とか『信念』とかといったものではなく、巧が「楽しんだ!」と思えばいい。幸い完全勝利したけど、例え、裁判に敗訴して、労組運動が潰されていたとしても、それはそれで「楽しんだ!」と思うことだってありだったんだと思う。
スピリチュアルの師、Mさん、Kくんと出遭うためにこそ、この労働運動があったと心底思える。
こんな奇跡のような出逢いは、しようと思ったって簡単にできるものではない。

Jさんの涙に応えるといった、「チサの葉一枚のなぐさめが欲しくて人生を棒に振った」(太宰治)と思うことがまったくなかったかと言うと嘘になるが、このスピリチュアルの師たちとの出逢い故、まったく後悔はないし、むしろ、至福だったとさえ思う。

人間は、どんなに悲惨な状況であっても、ユーモアとアイロニーを忘れてはいけない。

(写真は、エルサレム パレスチナ地区から飛んで来る鳥/ 撮影 大塚櫻)


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