「悟浄出世」中島敦・・世界不安症候群・・読書メモ

中島敦全集をKindleで読んでます。「悟浄出世」が面白い!

引用・・
「医者でもあり・占星師でもあり・祈祷者でもある・一人の老いたる魚怪が、あるとき悟浄を見てこう言うた。「やれ、いたわしや。因果(いんが)な病にかかったものじゃ。この病にかかったが最後、百人のうち九十九人までは惨(みじめ)な一生を送らねばなりませぬぞ。元来、我々の中にはなかった病気じゃが、我々が人間を咋(く)うようになってから、我々の間にもごくまれに、これに侵される者が出てきたのじゃ。この病に侵された者はな、すべての物事を素直に受取ることができぬ。何を見ても、何に出会うても『なぜ?』とすぐに考える。究極の・正真正銘の・神様だけがご存じの『なぜ?』を考えようとするのじゃ。そんなことを思うては生き物は生きていけぬものじゃ。そんなことは考えぬというのが、この世の生き物の間の約束ではないか。ことに始末に困るのは、この病人が『自分』というものに疑いをもつことじゃ。なぜ俺は俺を俺と思うのか? 他の者を俺と思うてもさしつかえなかろうに。俺とはいったいなんだ? こう考えはじめるのが、この病のいちばん悪い徴候じゃ。どうじゃ。当たりましたろうがの。お気の毒じゃが、この病には、薬もなければ、医者もない。自分で治(なお)すよりほかはないのじゃ。よほどの機縁に恵まれぬかぎり、まず、あんたの顔色のはれる時はありますまいて。」

「文字の発明は疾(とく)に人間世界から伝わって、彼らの世界にも知られておったが、総じて彼らの間には文字を軽蔑する習慣があった。生きておる智慧が、そんな文字などという死物で書留められるわけがない。(絵になら、まだしも画かけようが。)それは、煙をその形のままに手で執(と)らえようとするにも似た愚かさであると、一般に信じられておった。したがって、文字を解することは、かえって生命力衰退の徴候(しるし)として斥(し)りぞけられた。悟浄が日ごろ憂鬱(ゆううつ)なのも、畢竟(ひっきょう)、渠(かれ)が文字を解するために違いないと、妖怪(ばけもの)どもの間では思われておった。」

「文字は尚(とうと)ばれなかったが、しかし、思想が軽んじられておったわけではない。一万三千の怪物の中には哲学者も少なくはなかった。ただ、彼らの語彙(ごい)ははなはだ貧弱だったので、最もむずかしい大問題が、最も無邪気な言葉でもって考えられておった。」
以上、引用・・

どうでしょう? ドキッとした方が少なからずおられるのではないでしょうか?
その逼迫度に応じて、「(真の)哲学者」あるいは『世界不安症候群』かもしれませんね。

中島敦に語らせましょう・・更に引用・・
「「だが、若い者よ。そう懼(おそ)れることはない。浪(なみ)にさらわれる者は溺(おぼ)れるが、浪に乗る者はこれを越えることができる。この有為転変(ういてんぺん)をのり超えて不壊不動(ふえふどう)の境地に到ることもできぬではない。古(いにしえ)の真人(しんじん)は、能(よ)く是非を超え善悪を超え、我を忘れ物を忘れ、不死不生(ふしふしょう)の域に達しておったのじゃ。が、昔から言われておるように、そういう境地が楽しいものだと思うたら、大間違い。苦しみもない代わりには、普通の生きものの有(も)つ楽しみもない。無味、無色。誠(まこと)に味気(あじけ)ないこと蝋(ろう)のごとく砂のごとしじゃ。」」

太宰治「トカトントン」を彷彿とさせられますね!
ゲーテ「若きウェルテルの悩み」も!・・更に引用・・
「悟浄は控えめに口を挾(はさ)んだ。自分の聞きたいと望むのは、個人の幸福とか、不動心(ふどうしん)の確立とかいうことではなくて、『自己、および世界の究極の意味について』である、と。隠士は目脂(めやに)の溜たまった眼をしょぼつかせながら答えた。
「自己だと? 世界だと? 自己を外(ほか)にして客観世界など、在ると思うのか。世界とはな、自己が時間と空間との間に投射した幻(まぼろし)じゃ。自己が死ねば世界は消滅しますわい。自己が死んでも世界が残るなどとは、俗も俗、はなはだしい謬見(びゅうけん)じゃ。世界が消えても、正体の判(わか)らぬ・この不思議な自己というやつこそ、依然として続くじゃろうよ。」
「我々の短い生涯が、その前とあととに続く無限の大永劫(だいえいごう)の中に没入していることを思え。我々の住む狭い空間が、我々の知らぬ・また我々を知らぬ・無限の大広袤(だいこうぼう)の中に投込まれていることを思え。誰か、みずからの姿の微小さに、おののかずにいられるか。我々はみんな鉄鎖に繋(つな)がれた死刑囚だ。毎瞬間ごとにその中の幾人かずつが我々の面前で殺されていく。我々はなんの希望もなく、順番を待っているだけだ。時は迫っているぞ。その短い間を、自己欺瞞(ぎまん)と酩酊(めいてい)とに過ごそうとするのか? 呪(のろ)われた卑怯者(ひきょうもの)め! その間を汝(なんじ)の惨(みじ)めな理性を恃(たの)んで自惚(うぬぼ)れ返っているつもりか? 傲慢(ごうまん)な身の程ほど知らずめ! 噴嚏(くしゃみ)一つ、汝の貧しい理性と意志とをもってしては、左右できぬではないか。」

青空文庫で簡単に読めますので、ここまで読んで来られた方は身に覚えがあるのでしょうから、是非原文に当たってくださいませ。
私は、ソクラテス以前の哲学者、ニーチェの「ツァラトゥストラ」、ヴィトゲンシュタイン等を想起しました。さらに、AI研究者、脳科学者にもお薦めです!
中島敦の大ファンですが、彼も世界不安症候群でしょう・・。

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