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15.MM製作所・・転向者の末路・・・#実験小説 #あまりにもあいまいな

かくは悲しく生きん世に、なが心 かたくなにしてあらしめな
                            中原中也・・

 大牟田のMM製作所が父親健一の職場だった。
 MMの労働争議の只中にあって、「転向」した健一の心境は複雑だった。原則的な戦闘的労働運動の第1組合の組合員と、会社が第1組合潰しのためにでっち上げた御用第2組合の組合員との確執は相当なものだった。ましてや、第1組合を「転向」して第2組合の組合員になった健一に向けられる「世間」の眼は厳しかった。

 今迄は、終業後に労働運動の学習会である「向坂学校」に通うのが常だった。それから「解放」された健一は、自分の負い目を覆い隠すかのように遊び耽った。
 MM製作所の終業時間午後5時には、おもしろい光景が見られた。4時50分頃から正門に労働者が沢山集まり、午後5時丁度に正門が開放されると一斉に労働者が蜂の子を散らすように出て行くのである。
 健一も、何時しかその一員になっていた。「向坂学校」ではなく・・。

 丁度良く、正門前には沢山のパチンコ屋があって、健一は、その数軒の常連だった。ムキに為ってパチンコ屋に通った。
 安月給なのに、母にはギリギリの生活費しか渡さず、健一はキャバレーにも通っていた。酒浸りだった。
健一の妻である俊子と息子巧の生活を犠牲にして、パチンコ、キャバレー、酒浸り、煙草もヘビースモーカーで、女遊びもハンパではなかった。あたかも、「転向」を強要した母に対する当てつけのように。

 母親は、何度も父を迎えに行った。パチンコ屋、キャバレーへと。そのたびに、父は帰宅後、母に罵声を浴びせ、時には叩いた。

 母親は、幼児の巧を利用した。
 父がよく行くキャバレーを探り当て、巧を連れてキャバレーの前に行き、巧に父親を連れ戻すように中に入れた。
幼児の巧は、母親に言われるまま、キャバレーの中に入ると、数人の、厚化粧の女性が「まぁー、かわいらしかね-」と行って巧をテーブルに座らせてジュースを勧めた。巧は、そのジュースの色も味もコップもすべて記憶している。父親も照れ笑いしながら小声で巧をあやしたりしていた。
 しかし、父は巧ひとりを外に連れ出して、母と帰らせた。その夜、父は結局帰らず、翌日夜泥酔して帰宅すると母を怒鳴りつけ、殴り、踏んだり蹴ったり大暴れした。巧は、布団の中で震えて泣いていた。
 白川の社宅は、4家族が同居していたが、当然周囲の家族に筒抜けだった。
翌朝、母の腫れた顔を見て、見て見ぬふりする人、小さな声で心配してくれる人がいたが、母は、手を合わせて「すんまっせん、すんまっせん・・」とうつむいて涙ぐむばかりだった。

 母親が、巧を連れて、パチンコ屋に父を迎えに行って、やはり、巧をパチンコ屋の中に入れて、父親を迎えに行かせたことがあった。
父を見つけた巧は、笑顔で父の傍に行ったが、機嫌悪そうに巧を外に出て行かせた。
その夜父が帰宅すると、何にも言わずに、突然、巧を思いっきり何度もひっぱたいた。
母は、静かに「なんばすっとね」と、父を止めたが、父の怒りは静まらなかった。巧は泣くばかりだった。なぜひっぱたかれたのか理解できなかった。
それまでは、巧はおとうさんっ子だった。父の膝に乗っかったり、丹前の中にカンガルーのように入れてもらったり、当時流行っていたダークダックスのひとりに父親が似ていたので、テレビで見かけると「あ、おとうさんだ」と言って、周囲の大人たちを微笑ませた。
しかし、突然ひっぱたかれた、この瞬間に巧は、父の本質を見抜いた。

 父の女遊びは、酷くなっていった。何日も帰らない時があった。
 白川社宅の他の家族はみんな、母子を心配して、父が帰らない時には自分のところに食事に招いてくれた。となりのおばあさんは、眠くなった巧を自分の布団に入れて寝かせてくれた。娘とはいえ、いい年頃の娘の布団に寝かせてくれた時があった。たまたま、お寝しょしてしまった。娘が帰ると巧を睨みつけた。その顔は、何十年経っても巧は忘れていない。

給料日には、終業時間の夕方5時に、MM製作所の正門前にキャバレーのホステスたちが「つけ」で溜まった借金を父親に請求しに待っている程であった。父親は、借金取りからコソコソと逃げ回っていた。そんな父親に母親は、愛想を尽かしていた。
当然、給料の大半は、そんな借金で取られ、母と子は、米も買えない程だった。
母の実家に野菜をせびりに行くことも度々であった。実家の親が、母の甥っ子、姪っ子に野菜や米を持って行かせたことも度々であった。
しらふの父親に母が静かに問いただしても、言い争いになり、最後は結局、「こげんしたつは、おまえのせいたい!」と一方的に母を詰るだけで、話し合いにならなかった。そのたびに、母は肩をふるわせて泣くばかりだった。

それでいて、父は毎晩母を求めた。嫌がる母を・・。まるで、虐待・拷問のように。

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