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魂の老いこそ、ほんとうの老化

友人アーチスト夫妻の、奥さん(美術家)の訃報が届いた。
私は、「時間」の感覚が異常なようで、自分の短くない人生が一瞬のできごとのように感じている。亡くなった奥さんとハグしたのも、つい昨日のよう。
だから、自分では全く意識していないのに、外界から年齢を意識させられることが最近多くなった。
決して若ぶっているわけではなく、マジ、BLACK PINKのROSEファンであり、Lady Gaga、DOJA CATの大ファンでもある。GoogleのPixel Fold/ Pixel Tablet発表にすぐ反応するし。
プロフィールに書いたように、現役で哲学の研究テーマも追究している。
英語会話も上級レベルになったけど、まだまだで、自分の欠点を自覚している。古典ギリシア語と現代ギリシア語も同時に学んでいる。共に「暗記」をさらに強化しようとしている。

“Μελέτη θανάτου”(meletē thanatou: 死の準備)・・プラトン(ソクラテス)の言葉で、「哲学」のこと。ことばとしては、10代から知っているが、やはり、生物的年齢としては、まだまだ先のことという意識が無意識としてあった。シニアになって、年齢を意識させられるようになって、文字通り、「meletē thanatou: 死の準備」を、生物的年齢としても意識せざるを得ない時期になった。
「世界不安症候群」でも書いたように、幼児のころから「meletē thanatou: 死の準備」を外界から意識させられ続けてきている。
と言うことは、今がいちばん「meletē thanatou: 死の準備」=「哲学」するのに最適ではないか!私にとって、いちばん大事なこの一点においてバリバリ現役アクティブであるかぎり、私には「老化」ということばは無縁である。この一点で年齢に妥協したとき、魂が妥協した時こそが、ほんとうの老化なのだろう。クリエイティブな行為に年齢はまったく無関係!魂の老いこそ、ほんとうの老化である。
(写真は、先日撮ったエペソス(ヘラクレイトスがいた)の遺跡)


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