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昨日までは好きだった

 この恋は叶うことはないだろう。この思いが叶わないならいっそのこと死にたい。しかし明日には食パンをかじって走っているとあの人が曲がり角からやってきてぶつかるかもしれない。それに、あの人が今日も活躍しているからテレビを観なければ。だから今日も生きる。

 そんな感じで今日も生きながらえているミーハーはこの世でどれくらいいるだろう。おそらく少なくはない。テレビという文明はこの世知辛い世の中において一筋の光かもしれない。と同時にテレビは罪なものだ。液晶越しに恋い焦がれる事態を引き起こすことによって、ドブ川に流れている石ころでもイタリア産のダイヤモンドに恋ができてしまう。
これほど身の程知らずの恋があるだろうか。しかし今はとてもいい時代だ、ライブ・握手会・営業もろもろで簡単にダイヤにお目にかかることができる。ダイヤは安くなったという人もいるけどこちらにしてみれば願ったり叶ったりだ。

おっといけない、あと2分で「アメトーーク」が始まってしまう。私は親が眠りについているのを確認し、リビングに下り、テレビをつけた。間一髪で間に合った。次から次へと名の売れた芸人さんが登場し、最後にお目当てのあの人が映った。
彼の名は南部礼央。お笑いコンビ『パニックサイボーグ』(略してパニサイ)のボケ担当であり、礼央は「れお」と呼んでしまいそうになるが本名は「のりひさ」と読む。
芸人仲間やそれにつられてファンは「レオ」とか「レオ様」とかいろいろ派生して「ディカプリオ」とか呼んでいるが私はあえて「のりくん」と呼んでいる。
ふわっふわの赤い髪、青みがかってる白い肌、今年で三十一歳とは思えない童顔、女でも体当たりしたら倒れそうな華奢すぎる身体がチャームポイントだ。パニサイは去年までめっきりテレビ出演がなく、私もまったく知らなかった。
しかし今年の新春のネタ番組で漫才の最後の最後にのりくんが嘔吐するというハプニングが大いにウケ、あらゆる番組に呼ばれるようになった。私もその番組を観ていたが、衝撃だった。そして「もう俺はだめだ」といわんばかりの泣きそうな顔を見た時、落ちた。何に? ……恋に!
のりくんは三回に一回は番組内で嘔吐しそうになる。それがおいしいところなのだろうけど、最近は二時間しか寝ていないみたいだし、緊張と多忙が相まじった吐き気はつらいものだろうと心配してしまう。
元旦のネタ番組から今までの間、何度事務所にキャベジンなど胃腸薬たちを送りつけてきたことだろうか。あとラブレターも忘れずに。内容はクリスチャンにとって神がキリストなら、私はのりくんが神だと。クリスチャンの神は死んだけど、私には神がご存命でうれしいのなんだの。最後にはメールアドレスを添える。ちゃんと受け取っていただいているかな。

 ところで今日ものりくんは喋ろうとするたびに吐き気がこみあげてきていてもどかしそうにしているのがとても愛おしかった。どういう内容かは一切覚えていないが、なかなかのりくんが映らない。そしてほかの芸人は鬼のようにスベる。これはハズレの回だと思ったけど、まあのりくんが観られた、それだけでもう私はいいのだ。二日間パニサイが観られていなかったから、観られただけで嬉しい。
番組が終わったところで、ツイッターをチェックし、やはり今日の回はクソだったと実感する。適当に自分の感想をつらつらツイートすればもう午前二時。福岡では観られなかったパニサイ関連の番組を闇サイトから召喚して観ていたらもう午前六時。一時間だけ、と思い寝てしまったら午前十一時。やばい。授業は九時からである。しかも今日行かなければ、もう後がない。しかしもう授業はつい三十分前に終わってしまった……。これで何個目の授業だろう。サボり始めた当初は母親から叱られていたが今では諦められている。もう末期だな。

 結局いろいろ準備をしていたら二限目もサボってしまい、今日の授業はおしまいになった。私はバイトに全力を尽くすことにした。

 今のバイトははっきり言って雑用である。一応ケーキ屋なのだが、何のイベントもないシーズンはお客さんが少ないので接客はほぼなく、ポイントカードをせっせと作ったり、店内の装飾を作ったり、たまに商品を陳列するといった作業を行う。最近はもっぱらポイントカードづくりとチラシ折りだ。裏の事務所にてひとりで黙々と作業していくうち猛烈な眠気が襲ってきた。すると急に地震が起こった。と思ったら、店長が椅子を揺らしていた。

「……ぅわああああ。あ、すみません。失礼しました」
「すみませんじゃないよ。今回で何回目だと思ってる?」
「えーと、何回目だっけ……(笑)」
「とぼけないでよ。吉田さんいったいどういう生活習慣なの」
「いや、ちょっと勉強がいそがしいもので」
「吉田さん、ぼやぼやしすぎ。最近ずっとぼーっとして、おつり間違えるし、キャッシュカウントは合ってないし、接客なんか最悪」
「すみません」
「とにかく、こんなに仕事にたいして誠意がない人は、もうこれ以上うちで働かせるわけにはいかない」
「えっ」
「もう来月から来なくていいから。あと二十日間、お願いだからちゃんとして。あと二十日間の態度次第では、私も考えを改めるから」
「……わかりました」

 しかし次のバイトも、すっぽかしてしまったのであった。なぜなら、博多駅にパニサイが来るという情報が出回ったのだ。博多に着き、構内を徘徊したけれどパニサイは見当たらなかった。だんだん自分がストーカーじみてきて、ついには駅員さんに「何してるの?」と言われたので二時間でやめた。
引き返す覚悟を決めて帰りの電車に乗っていたころに、のりくんの相方のツイッターにて、「博多なう」と駅の写真付きで呟かれたときには腰を抜かしてしまいそうになるほどくやしかった。そういう経緯があって、バイトの事なんかどーでもよかった。

 そういえば、駅のホームにて電車を待っていた時、前で並んでいたカップルがやたらイチャついていた。具体的に言うと、やたら二人で写真を撮ったり、やたら二人とも甘ったるーい口調で話したり。
人間は彼氏ができるとこうも馬鹿になれるのかと感心していた。私はこうはならない。そう魂と取り決めをした。電車が走ると、カラオケ屋が見えた。またもカップルや「ウェイウェイ」言っていそうな大学生たちの集団がそこに飲み込まれているのを見た。
カラオケ。のりくんはカラオケが好きだと言っていた。十八番はラルクアンシエルの「HONEY」らしい。ラジオで聴いたことがある。それは上手くもなく下手でもなく。でものりくんとカラオケ行ったら絶対私が楽しいだろうな。絶対のりくんとカラオケ行きたい。
そんな願望に少しでも近づくべく私は最近一人カラオケに足しげく通っている。私は絶対のりくんとカラオケに行けるのだという自信に満ち溢れている。だって努力してるし。なんなら結婚できるのだという自負がある。なぜなら私の本名は吉田亜依というのだが、のりくんと結婚すると画数がバツグンにいいのだ。
生年月日占いはあまりよくないけど、まあいいとして。そんなことより、もし私がのりくんとカラオケに行ったらパヒュームの「NIGHT FLIGHT」を歌う。今は声が飛んだり裏返ったりするけど、あの聴いていて抱く夢見るようなキラキラ感はのりくんが私にくれるものとよく似ている。早く上手くならなくちゃ。

 家に帰る。今日は親が不在だ。私は昨日授業をひとつおサボりしてしまった。自己嫌悪に陥ることもあるけど、だからと言って自分が変われるわけではないのでもう最近は考えないようにしているつもりだ。
一人でいると、嫌な思い出ばかり思いだしてしまう。かといって親が居てもきまりが悪い。パニサイが出ているときはキャーキャー言いながら鑑賞したいものである。娘が雌っ気丸出しでいるところを親には見られたくない。
そして「あんたこんなの好きなの? なんで?」と必ず訊かれるだろうから、いちいち説明したくない。親ってのは会話に質問が多い。面倒臭い。パニサイは、のりくんは、言葉を超越して愛らしいのである。
それが目に見えて分からない人にはもう分からないままでいい。私が知っていればいい。とにかくパニサイの露出が増えている今、ほんとに親が邪魔で邪魔でしかたない。

ブルーレイレコーダーを起動して、録画してあったのりくんを観る。そして今日の敗戦をネタにヤケ酒を飲む。くそー、生パニサイ、見たかったぜ。
気がついたら、録画が途中で切れている。ちょっと何やってるんだAQUOSよ。よく見たらDVDの要領オーバーだった。失念。あーあーあーあー。この回はのりくんと他芸人さんがビジネスキスする場面があったのに。画質の悪い闇サイトの動画ではみたけど、どうせなら高画質を拝みたかった。もう! さんざんだな!

とくにやることがないのに目が冴えている夜はなんだか急に虚無感が襲ってくる。パニサイに比べると自分のちっぽけさを痛感する。「自分は何者にもなれない」のかと思うととても情けなくなってくる。大学にあんまりなじめないまま3年生になってしまった。
もう就活を考える時期なのだろうけど、私には何の取り柄もない。欲を言えば、パニサイが入っている「稲妻芸能」という事務所にしか就職したくない。稲妻芸能のビルのトイレの清掃員にでもいいからなりたい。のりくんと面識を持ちたい。持ちたい。持ちたい。ああ。
電話が鳴った。うげっ、なんとバイト先からだ。

「昨日も徹夜で勉強?」
「……あはい、そんなもんです」
「まあそれはそれとして。明日は七夕セールなんだよね。どうしても人手が必要なの。明日は時給八五〇円にするから、来てくれない?」
「うーん、明日は用事がありまして」
「へぇー。確か吉田さんパニックサイボーグ好きって言ってたよね」
「はい、それがどうしました?」
「明日うちにパニックサイボーグが来ても知らないから」
「行きます」

 翌日。貴重な晴天の日曜日を私は労働に費やすことになった。これだからバイト嫌い。そして社会人になりたくない

「助かったー。吉田さん、接客だけはまあまあできるから。」
「あ、あのパニックサイボーグは?」
「いるわけないじゃん。あ、でも今福岡にいるらしいね」
「なんだ。今日は三時で上がりますからね、あ、いらっしゃいませー、おはようございます」

 今日のお客様第一号はあんまり人気のないホワイトチョコケーキをよく買う、一八歳くらいの若造だった。若造のくせにケーキ買いやがってとか、思ってるけど客だから口が裂けても言えない。かろやかににこにこしてレジを打ち、ケーキを箱に入れ、ビニールに入れ、手渡す。

「お待たせ致しました。ありがとうございます」

すると若造が何故に照れながら会釈した。ほほ。私相手に照れるとは。おぬしなかなか女性経験浅いですなぁ、と私も時間差で照れる。若造が早足で助かった。
七夕にケーキなんて必要か甚だ疑問だが、お客様はたくさんいらっしゃった。いつもより接客を多くこなしてバイトを終えた。パニサイは来なかった。だけどイライラしなかった。ロッカーに入るや否やツイッターを開く。
なんと、なんと、なんと、パニックサイボーグが解散するらしい。ほんとバイトするんじゃなかった。なんで?! 人気の絶頂にいるじゃないか。今が一番、大事じゃないか。どうして? のりくん! おしえろお笑い雑誌ナタリー!

「見ててわかるでしょうが、番組に出るたび、〝ここは僕の居場所じゃない〟って思いました。今まで六年芸人やってきましたが、きらびやかな世界が見れて、自分は本当に幸せ者だと思います。今までありがとうございました(南部礼央)」

 パニサイ亡き後の芸能活動しているのりくんが考えられない文面だ。私はどうやって生きていったらいいのかわからない。もうのりくんが見られない。どうしよう。どうしよう。今まで芸人さんを好きになったことはあったけど、のりくんほど熱狂したことはなかった。
今まで何度も好きなコンビが解散したけど、こんなに空虚になることはなかった。気持ちがしぼみきってごはんがのどを通らない。
「どうした?」としきりに両親に言われるが無視して部屋にこもる。静寂が続くとやりきれなくって涙が出てくる。
ああ、のりくん。私はこんなにもあなたを思っているのに、何故あなたのことをわからないままなのだろう。2ちゃんねるで数々の女遍歴を見てきたし、相当遊んでいるらしいってことはわかっている。でもどうしてあなたがそんなにつらそうなのかはわからないままだった。あなたの目には何が映っているのか知りたかった。あなたが見つめる先は新たなるお笑いの開拓だと思っていた。いやマジで。

 しくしく泣きながらひたすら液晶画面を見続けた。すると、明日のパニサイのライブの告知があった。そういえばまだわたしのりくんに会ったことない。見たことない。もう見れないなら、会って関係を結べばいい。関係を結んだら、きっと彼の影の正体もわかるはず。私ならできる。だって私は南部亜依になるんだから。

 私は明日の朝七時の飛行機の予約をした。運よくキャンセルがあったみたいで取れた。ライブハウスがある歌舞伎町付近の安いラブホを予約した。問題はライブのチケットだが、明日ならんで当日券を買うしかない。荷造りをし、Youtubeで漫才の予習をし、
一張羅に着替え、久々に張り切って化粧をし、五時に家を出た。

行きのバスでは〝NIGHT FLIGHT〟をエンドレスリピートした。飛行機は初めてだ。手荷物検査でひっかかったり、チケットを千切ったりしてCAさんをさんざん困らせながら搭乗した。パニサイの2ちゃんねるを見ていく内に飛行機の中ではのりくんと遊園地に行く夢を見た。

 東京には一〇時に着いて、なんとか乗り継いではみたものの新宿駅で三時間迷った。そしてようやく歌舞伎町についた。早速当日券を買いに行ったら行列が……っていうことはなく、七番目くらいであっさり買えた。
ラッキーなのはやっぱり私は南部亜依だから。ライブまで時間があったので近くのコーヒー屋で暇を潰しがてら化粧を直した。すると、どこからともなく女の人たちが隣に来ておしゃべりを始めた。「パニサイ」という言葉が出るたびに私は体がビクビクした。
彼女らいわく解散を切り出したのはのりくんらしい。のりくんについて、色々噂が出ていた。結婚する予定の彼女がいてその彼女の家を継ぐとか、超一流企業の内定を貰ったとか、吐きすぎて体に支障が出て入院するとか。みんな嘘っぽくてみんなマジっぽい。っていうか、結婚する話は聞いたことがなかった。どんな女かわからないけどやめときな! のりくん、バツイチだと私の親類ウケ悪いから遊びは遊びのままにしておこうよ。ね。そうだよ!

 そろそろ時間なのでコーヒー屋を出ると、いきなり「ちょっとおねーさんカラオケ行かない?」と人生初のナンパにかかった。なんというか、魂がぺらっぺらで薄そうな若いにーちゃんで、もっと言えば男性器に意識がくっついているだけみたいな人のように感じた。
どんだけ女に飢えているんだよと思いつつも自分はカモにされているのかと思うと恐怖で逃げることしかできなかった。回り道をし、ライブハウスに着いた。席は自由で一番前の列が一個だけ席が空いていたので座ってしまった。なんてラッキー続きなんだ。これも、私が南部亜依になる所以か。

 ライブが始まった。オープニングはパニサイ以外全員集合で、テレビ収録が終わった後パニサイが登場するとのことだった。知らない芸人さんのネタの間は、ひたすらのりくんと関係を結ぶべく作戦を練ろうとしていたが、みんな面白くて思考が及ばなかった。そのうちパニサイのネタの番になって、焦ったけれどテレビが押してるみたいで、他の芸人さんがつないでいたが、このやりとりもまた面白かった。
そのうちパニサイがついに登場した。や、や、やばい。何にも作戦を考えていない。うわわわわ。まぶしいライトの向こう側に、彼はいた。のりくん。生のりくん。喉から手が出るほど生で見たかったのりくん。しかし今はすぐ手を伸ばせばもう届く。でも観客と舞台とでは雲と地ぐらいの差があるんだって気づいた。全然目が合わないし、手を伸ばせない空気がそこにあるのだ。
ネタが入ってこないくらい、その点についてなんだか私はショックを受けていた。
『蹴りたい背中』で、オリチャンのライブに来たにな川が「今地震が起こればいいのに。そしたら僕がオリチャンを助けるから」と言っていたけど、にな川くんには地震が来たとしてもオリチャンはしかるべき人に助けられて、君には助けることは金輪際できっこないだろうと諭してあげたい。君はオリチャンと交わることのない世界に生きているのだ。何が南部亜依だ。

 ライブが終わり、アンケートに適当に答えて提出して会場を出た。ぼーっと、今日の夕ご飯を何にするかとか、ホテルのチェックインとかを考えていたらさっきのナンパ男にまた会ってしまった。

「よっ。さっきの彼女。これから暇っしょ。カラオケどう」
「(無視)」
「な、さっきパニサイのライブ見に行ったろ? 俺一応芸人やっててパニサイの南部さんと今日飲むんだよね」
「……え」
「あっ、反応した! よし決まり。行こう行こう」

 一瞬の隙を突かれた。無念。でもそこまでがっかりしていない自分がいた。私は南部亜依なのだろうか。
 新宿のど真ん中のカラオケ屋に連れていかれた。こんなに大きなカラオケ屋ってあるんだ、と思った。さすが東京。
「お金ないです」とか「何が目的ですか」とか訊いていたらナンパの人にいきなり「処女?」って訊かれ私はとても機嫌を損ねた。
なんかもうこういう人は死ねばいいと思った。カラオケの部屋に通されるとナンパ男みたいな男性器マンの仲間たちや、高校時代カツアゲされそうになった相手とよく似た人種とか、芋くさい顔してヤリ手そうな女とかが部屋中ひしめきあっていた。私は後悔した。
歌う歌はエグザイルグループやらAKBとか西野カナといった類のものばかりであった。そういうウェイ系文化を否定していた私にとっては地獄だった。
「聴いてるばかりじゃなくて歌ってよ」と怒られ、しぶしぶ「NIGHT FLIGHT」を歌ったら大いに笑われた。たしかに、声ひっくり返ったけど明らかに馬鹿にしちゃ駄目じゃないか。私は再び後悔した。また歌ってよと言われてマイクを5,6本渡されたが「こんなのいじめだ!」と叫んだら、「萎え~」と一斉に言われていつのまにか放置された。
っていうか、のりくん全然来ない。ほんと一瞬でもときめいた自分が馬鹿だった。やることもなくなったので、ひたすら酒を煽った。チューハイ四杯、カクテル5杯、せっかくだから焼酎のロックも飲んでみたらそこから記憶がぷつりと切れた。薄れゆく意識の中でホテルのことが心配で心配で仕方がなかった。

 僕は今のこの人気が理解できない。婚姻届がファンレターの中に入っていることにはもう慣れたけど、僕をキリストと同等に神とか上げ奉る内容のものが最近は多くてビックリした。
勘違いしないでよ。僕はそんな人間じゃないんだから。馴れ馴れしい内容のほうがよっぽどマシだ。大体のファンレターは捨てるけど、ためしに読んでみたら「norikyun_love_peace_ai」で始まるメールアドレスが書かれてあって吹いた。ネタにできないのが辛い。

つーか、大体みんな公式サイトとかウィキペディアなんかを見て僕のこと「のりさん」とか「のりぴー」とか言うけれど僕の本名の読み方は「あやちか」だから。事務所が適当に僕の名前の読みを確認せず書類を作ったからこうなった。クソ弱小プロダクションめ。ま、本名を知られていないから助かっているけど。

僕は気が弱い。だから矢面に立つことは避けて通ってきた。大体、大学生活のようなモラトリアム期間を延ばすがために芸人になった。芸人なんて売れるのは一握りだし、一生腐ってられるなんて最高だと思って芸人になった。親が根っからのお笑い好きで本当に良かった。
でも自分は運が良すぎた。こんなに売れるなんて。こんなに矢面に立たされるなんて。これは試練なんだと思って今まで耐えてきたけどもう限界だ。
それに、これを言ってしまったら芸人失格だと思うが、ファンが怖い。特に若い女の子のファンが。君たちは僕の何をみてそんなに高揚するのか。君たちは何を見ているのか。僕は本当に君たちが怖い。でも僕は若い女の子といちゃいちゃしたい。あの浮ついた目で見られるとたまらないのだ。なんて矛盾してるんだ。
そう思いながら今日も仕事でふらふらなのに合コンに行く。もう芸人でいられる時間は限られているし、肩書がある今のうちにこの身軽な体を活用しなくては。

 いつものカラオケ屋に行った。後輩のみやっちから「南部さんのファンの子来てるんスよね」とラインが来たので期待して来てみたら、かわいい子はみんな出来上がってて、肝心の僕のファンの子を教えてもらったらその子はアイラインが溶けていたりアイシャドウがぐちゃぐちゃで恐ろしい顔になっている。そしてソファーの隅っこで寝ていた。非常に今日の合コンにはがっかりした。みんな先輩である僕をもっと立ててはくれないのか。

 急にガダガダと物音がしたので吃驚したらマスカラの子が抱えていたカバンが落ちた。僕は良い人なので地図のコピーやら化粧ポーチやらを拾った。学生証が目に入ったので、なんとなく見てみるとなんと僕が昔落ちた大学の学生だった。嫉妬が煮えたぎる。大学生。
羨ましい。勉強した日も、馬鹿やったときも、今はいとおしい。昔は良かった。春休みは二カ月あったし。

「昔がそんなにいいなら、昔に戻れば?」

 頭の中で誰かがそう言った。ははは。大学受験の地獄を再びか。こんなおじさんが「水平リーベ、僕の船、」つって? 「いちまいたんたんたんぷらたん」っつって? 「むずむずするじ。さすとしむ。さすらるとまし。未然に防ぐまほしよね」つって? ありえん。
 そう思いながらも、気が付いたら僕はカラオケを出て書店で青チャートを買っていた。

 二日酔いで最悪な目覚めだった。気が付いたら公園のベンチで寝ていた。風邪をひきひき親に連絡して、飛行機のチケット見つけて、福岡に帰ることにした。出発時間を間違えてまたCAさんに怒られながらも無事滞りなく帰ることができた。ホテルのキャンセル料は痛かったけど、歌舞伎町で何もなくって本当によかった。

 それから私は勉強をがんばることにした。一年留年が確定して、逆にやる気がでた。簿記の資格の勉強をしだした。そしてバイトにも復帰させてもらった。
ある日、オープンキャンパスでケーキの若造と会った。彼は佐々木祥太と言った。その縁によりここを受けるにあたって相談を受けていたら、告白された。私は静かな面をしていたものの、心の中では狂喜乱舞した。
私に告白だと。なんて馬鹿でなんて可愛い奴なんだ。しかしながら、一恋散って大人になった私は、彼が性欲にうつつを抜かして人生を棒に振ることを恐れて返事をうやむやにしていた。すると「合格したらお願い」と言われた。若造の成績は芳しくなく、せっかくの告白も無残に散るのか……、と思いきやなんと奴は見事合格した。

どこにでも春はあるもんだ。我々は(一応周囲の目を気にしながらも)どこでもイチャイチャした。やたら写真を撮った。話すときはたぶんいつも甘ったるい口調だった。バカップルもいいものだ。私はたぶん、絶対、佐々木亜依になる。運勢は微妙だけど、どうだっていいのだ。若造なら家計が火の車で、大好きなコンビニスイーツが食えなくても、かまわないのだ。そう、愛があれば。

「亜依ちゃん、亜依ちゃん!」
「しょーちゃん、しょーちゃん!」

えへへへへへっへへへへへっへへへへへ。
 なんかもうパニサイとか、のりくんとか、もうどうでもいいよね。二人でにやにやしながらキャンパスに入ると、誰かとぶつかった。

「いてっ」
「あ、すみません」

ぶつかった肩になんかついた。整髪剤か? 黒い髪がてっかてかに艶めいている。顔をみたら見覚えのある顔だった。

「そういえば、」としょーちゃんが言った。
「さっきの人、入学式で新入生代表挨拶しとったよ」
「へぇ」
「確か、名前が……」
「うん」
「南部……」
「えっ」
「アヤチカだね」
「なーんだ」