おれはなにものかにならなければならない

おれはなにものかにならなければならない。とくに理由はない。
たとえばとくべつできの良い兄弟と比べられてしょげている人生を送ってきたわけではないし、かといってすごくいえがびんぼうでハングリー精神がさくれつしているわけでもない。

おれはなにものかにならなければならない。ただそれだけのモチベーションでこれまでやってきた。はっきりいっておれのよさがわからないなんて世間のほうがおそらくまちがっている。こんなにこころがよろしい青年がむくわれない社会なんてながくつづくはずがない。

おれはなにものかにならなければならない。だったら、なにになれるのだろう。少なくとも、なにものかになることの否定からはじまるだれもよまない長文のブログをかくようなしみったれた大人にはならない。たとえおかねがどれだけあってもぜったいうらやましくならない。どうせならいままでばかにしてきたやつらがびびるようなものになりたい。

おれはなにものかにならなければならない。だったら、なにになればいいのだろう。おれはうたがへたくそだ。IQがないので楽器もひけない。えはかくことがすでにめんどうだ。日記をかくことはすきだ。どうせなら日記で芥川をとりたい。

おれはなにものかにならなければならない。さっそく、出版社にといあわせた。もんぜんばらいだった。ききたくないことばをいわれてしまった。きみならまっとうにいきられる、っていってもそりゃまっとうにいきることにこしたことはないさ。だけどそれができない。だからいまおれは世間をのろうのだ。

おれはなにものかにならなければならない。ねがわくばまっとうでなおかつみんなをだまらせる身分になりたい。いつかきみをしあわせにしたい。できれば努力したくない。それはいったいなんだろう。ビットコインをはじめてやろうか。

おれはなにものかにならなければならない。こっそりにわにすてたみかんのたねからかじつがたくさんなっていたのでのみの市でうった。ぜんぶうれた。これだけおかねがあればきみにビーズをかってあげられそうだ。こんなかんじにおかねをてにいれることがつづけばしあわせとよべるかもしれない。

おれはかじつをつくらなければならない。つぎののみの市にも出店しようとおれはかじつづくりにせいをだした。しかしこのごろやけにさむい。なかなかかじつがみをむすばない。けっきょくのみの市にだせる品はじゅうにもみたない。こまった。これではきみにプレゼントをかうことができない。てきとうにいえのなかからみつくろってきたものをうることでことなきをえようとしたがそれすらもうれなかった。

おれはかじつをつくらなければならない。つぎののみの市では、たくさんかじつがなったのでかじつ酒もつくることにした。それをうってみるやいなや、このちょうせんはしっぱいだということにきづいた。いろんなひとからまずい、かえたもんじゃないといわれた。かじつはみのったのに、またきみにプレゼントをかうことができなかった。

おれはかじつをつくらなければならない。つぎののみの市ではコツをつかんだのでそこそこもうけることができた。そしてきみにプレゼントをかおうとおもったそのとき、きみはいつのまにかぼくのしょぼいプレゼントにあいそをつかしてしまっていた。

ぼくのじんせいは、げんざいまでの傾向をみるとうまくいくことよりうまくいかないことのほうがおおいようだ。むかしはその設計にけちをつけることばかりしていた。いまとなってはかじつをうるのにひっしで、きみにつぎのプレゼントをかうのにひっしで、つまりはいきることそのものにひっしで、さほどきにならなくなっていた。だけどこんかいばかりはどうもこうもならん。

このにわのかじつえんを、かたっぱしからもやしてしまおうかとかんがえていた。なみだがじゅくじゅくにしみこんだふとんからでてくるころには、つぎのかじつがなっていた。ぼくはなにもしていないのだが、こんなじきにかぎっていいかじつができた。そしていままででいちばんおもしろい味のかじつ酒ができてしまった。

このかじつ酒を、いつもかってくれるあのおばあちゃんとか、いつもけちをつけるけどなんやかんやかってくれるおっさんおばさんにあげたいとおもうきもちがすべてにまさった。

てあたりしだいになげたボールがみごとな弧をえがき、やがてじぶんのもとにやってくる。ぼくにはそれがかじつをつくることであった。えいえんにビーズしかプレゼントする能がないぼくの、じつにつまらないじんせいではあるけれどぼくはそれをつらぬくことしかできない。あの初期衝動にしがみついていることしかできない。

おれはこのかじつをうらなければならない。こんかいのできばえをせけんはどうひょうかするだろうか。のみの市はあしただ。