見出し画像

『わたしのつれづれ読書録』 by 秋光つぐみ | #32 『続 窓ぎわのトットちゃん』 黒柳徹子

#32
2024年6月6日の一冊
「続 窓ぎわのトットちゃん」黒柳徹子 著(講談社)

「一人ぼっちのトットを乗せて夜行列車は走りはじめた」

昨年10月、あの世界的ベストセラーの続編が42年ぶりに発売された。黒柳徹子さんによる『続 窓ぎわのトットちゃん』。私もようやく手にとる機会を得て、読了することができた。

手に取るまでに何だか時間がかかってしまったけれど、読み始めて終えるまでは1日とかからなかった。このかんじ何なのだろう。心にすき間ができたというか、大げさかもしれないけれど、心のどこかにポコッと受け取る余裕が生まれたというか。人が本を手に取るとき、来たるべきタイミングというものがあるのかもしれない。本は腐らないし、そこで待っていてくれるので、慌てなくてもよいのだ(そんな調子で積読が増える)。

81年に発行された前作『窓ぎわのトットちゃん』では、以前『ラジオ耕耕』にお邪魔したときにお話させてもらったように、トットちゃんの小学校退学、小林宗作先生との出逢い、「トモエ学園」への入学、「トモエ学園」での学校生活、親友ヤスアキちゃんとの思い出と別れ‥そして太平洋戦争の気配‥といった内容だった。

本書『続 窓ぎわのトットちゃん』では文字通り、その続き、その後のトットちゃん。東京大空襲、戦時下での家族との疎開、父の出征、母・蝶さんの奮闘、終戦、香蘭女学校での学生生活、そしてNHK入社、女優としての活躍の日々、盟友たちとの思い出と別れ‥と続く。

もはや ”生きる伝説” と何度も徹子さんのことを崇め奉っている私なのだけれど、本書では ”一人の女の子” “一人の女優の卵” “一人の働く女性” として、私と同じように必死で生きる “一人の人間” としての姿が綴られている。

「寒いし、眠いし、おなかがすいた」と1日お豆15粒で生き抜いた厳しい戦時下での日々や、青森での疎開中の列車で家族とはぐれ一人ぼっちで過ごした夜。ものが溢れる現代の社会では想像しようにもし難い困難を、じっと我慢しながら耐え抜き、帰ってくるともわからない父の消息を願い待ち続けた5年間。本来なら経験すべきでない「戦争」という悲惨な現実に、小さな子どもが直面したという事実は決してなかったことにはできず、大人になった徹子さんの心にも深い傷となって残り続けている。

戦争は日常を蝕む、家族を引き裂く、人の心を壊す。その事実を再確認し、絶対にあってはならないものであることを、心に留め、心に留めることで終わらせるのではなく、これから先の未来を生きていくはずの人間が、その意志を訴え続ける使命があるということを、再度、教えてくれている。これは何度でも確認していくべきことなのだと、『続 窓際のトットちゃん』が、今、発表された意義を感じずにはいられないのだ。

「日常を守る」まずはその気持ちを確かにしてきたいと思う。

終戦を迎え、父・守綱さんが復員し、少しずつ黒柳家の生活が元に戻り始めると同時に、トットちゃんは香蘭女学校へ入学。お転婆な学生生活を送り、NHKへ俳優の卵として入社。と順風満帆に聞こえるけれども、これら人生の分岐点にはやはり試行錯誤があり、悩める時期があり、「黒柳徹子」という人物が形成されるまでには、並々ならぬ努力があって当然なのだ。

ただ、もともと持っている「才能」みたいなものの話をしてみる。本書の後半を読み進めていると感じることなのだけれど、徹子さんのそれは、一瞬一瞬を存分に楽しむことができること、側で見守り支えてくれる人を大切にできること、なのではないかなと気がつく。これはとても単純な簡単なことに見えて、結構難しいと思う。

過ぎたことを悔やんだり先々のことを心配してしまうのは人間なら当然のことだけれども、それらを一度振り切って忘れて、目の前のことに全ての力を注ぐ。これができたらとても楽しいし、それで出た結果には納得もいく。さっぱりと先に進むこともできる。そうやって積み重ねてきたことが「黒柳徹子」という人物をいつも新しく生み続けているのではないかなと、私は思う。

そして、徹子さんの周りにはいつも見守ってくれる愉快な大人たちがいた、そんなシーンも思い浮かぶ。それは徹子さん自身がありのままの自分を表現し、というか抑えきれず溢れてしまう、そんな素直さがチャーミングなところで、最大の魅力であるということに、気がつく大人の人たちがいた。

小学校を退学になる、脇役なのにその個性を隠せず何度もスタジオから追い出される。そんな途方に暮れる日々の中でも、その魅力に気がつき「ほんとうは、いい子」と認めてくれる人がどこかに必ずいるのだということ。これは徹子さんに限らず、どんな人にもきっとそうなのだと、信じる勇気をくれるのだ。

今まで、徹子さんが綴った数々の本を私は読んできた。読んでいつも感じるのは、当たり前にあるものはそうではなく特別なものであるということ。世界が平和であること、気持ちよく朝が来ること、ご飯が食べられること、仕事があるということ、お友だちと会えるということ、本を読むことができるということ、好きなときに好きな場所に行くことができるということ。そう考えると、もう多くのものはいらない‥というよりも今あるもので充分にしあわせなのだとすら感じられる。

それでも、「もっともっと」と追い求めていくことの喜びや楽しみも知っている私。だから「もっと」に疲れたら『トットちゃん』を読んで「充分しあわせ」と感じたりして、両方を行ったり来たりしながらバランスをとって楽しく生きてみたいと思う。

『窓ぎわのトットちゃん』シリーズ、一家に一冊。ぜひ。

-

秋光つぐみ

30歳になるとともに人生の目標が【ギャラリー空間のある古本屋】を営むことに確定。2022年夏から、PARK GALLERY にジョインし、さらにその秋から古本屋に弟子入り。2024年4月にパークの木曜レギュラーを卒業、活動拠点を地元の長崎に移し、以後は本格的に開業準備に入り、パークギャラリーでは「本の人」として活動予定。

この記事が参加している募集

🙋‍♂️ 記事がおもしろかったらぜひサポート機能を。お気に入りの雑誌や漫画を買う感覚で、100円から作者へ寄付することができます 💁‍♀️