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猫背で小声 season2 | 第17話 | 俗に言う続続
最近も具合が悪い。
今にはじまったことではないが、さらに具合が悪くなっている。なにが原因かは言えないが、言えないくらいがこの社会に生きる大人っぽくて、なんか誇らしい。
最近は引きこもりから脱した今現在の姿を語りすぎのような気もしてきたので原点回帰。
“病み” に暮らした経験を語ることで、“闇” を抱えているひとに寄り添えたらという、この連載の当初の目標。胸に手を当てても当てなくても当たり前のように出てくる答え。
「やっぱり “やみ” で困っている人を助けたい」というのが結論だ。
さて本題に入る。
ぼくには『強迫神経症(強迫性障害)』のような症状がある。強い「不安」や「こだわり」によって日常に支障が出るという病気。例として、部屋を出てしばらくすると
「ドアに鍵をかけたか?」
「鍋の火を消したか?」
と、不安になって実際にはるばる家に戻って確かめてしまう症状のことです。医者から診断されたわけではないけれど、そのような症状は、今もある。
ぼくの場合それが「数字に対しての不安」という症状として出ていた。
まず日常や仕事で見た数字を、頭では理解しているのに、間違ってるんじゃないかと思い不安になり、その数字を繰り返し見てしまう、ということがある。
なかなか数字が自分の中で理解や納得ができないので、仕事となると作業が進まないということがある。人より数字を見ている時間が長くなってしまうので、人よりも作業が遅くなってしまう。
これはジレンマというより「しょうがない」と思っている。
ジレンマという言葉の響きはカッコイイけど、ジレンマというよくわからん言葉以上に悩んできた。
—
この症状がはじまったのは統合失調症になった中学生の頃だと記憶している。
病気に慣れることができずに眠れない日々を過ごしていたと思う。ある日の夜中に、部屋の電気を消し、いつも通り目をつむると、なぜかビデオデッキの時計の数字が気になってしまう。
今が「何時何分」と、表示を確認すればそれで済みそうだが、そうはいかなかった。
例として 24:20 という時刻を見たとして、この数分後は一体何時だろうと気になってしまい、また時刻を見てしまうのだ。何度も、何回も、時計が気になりビデオデッキを見てしまう。
自分の感覚で「たぶん 24:25 くらいだろうな」と頭の中でわかっているのだけれど、気持ちが抑えきれず、また目を開けて時刻を確認してしまう。
この時、確かテレビでは陸上の世界大会が放送されていて、今でも暗い部屋のベッドで横になって陸上の大会がテレビで放送されていると、あの夜を思い出すのだ。
ほんとツラかったな⋯。
だっていくら経っても寝れないんだもん。
脳を休めるはずの夜なのに、寝れない。
目をつむっても、繰り返し開いてしまう。
統合失調症のしょっぱなにしてはめちゃパンチのある部屋の中となった。
この症状は薬を飲んで和らいだと記憶しているが、まだ良くはなっていない。
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26歳の時に正社員で入社したアパレルの商品管理という仕事。お客様からオーダーを受けた商品を倉庫でピックアップして、発送まで行うというのが一連の流れなのだが、これも難ありだった。
オーダー表を見て商品をピックアップする業務は OK だった。けれど、選んだ商品を発送用の箱の中に入れるも、その商品がオーダー通りの数だけしっかり入っているかが気になる。送る相手の顔が見えないというプレッシャーもあるし、自分がオーダー通り入れたのか、踏ん切りをつけるのに時間がかかってしまう。
「入れたんだろうけど、入れてんのか?」
これが適切な表現だと思う。
自分の心の中で「入れたの!」と強引に手を引っ張り、商品をガムテープで封じ、送り状を貼って「送付」に至る。
「至る」けれど、これからが辛いのだ。
商品の入った箱が運送業者のトラックに渡り、事業所からバイバイとなっても、あの商品はちゃんと発注された数通り箱に入っているんだろうか?と。
せっかくの土日、もっというなら祝日でさえ心配は拭えず、最終的には商品がお客様の元へ届き「クレームの連絡がない」とわかった時に、はじめてちゃんと送れていたんだな、と納得するしか方法はなかった。
解決策として、箱の中身を社内でダブルチェックすればよかったのだろうけど、その職場ではダブルチェックはしていなかったのと、何より会社には統合失調症や強迫神経症のことは伝えていなかった。
その当時は病気を明かすことにものすごく勇気が必要で、病気を明かしたら職を失うんじゃないか、という思いが大半を締めていた。病気を明かして働いている今の自分には信じられないくらい、この時間は自分でも「良くない」時間だった。
日々、恐怖と暮らしていたのかもしれない。
でも学んだことがある。
昔も今も「明かす」ということは、自分の気持ちを「開く」こと。そんな気がしてならない。
結局その会社は辞めたのだけれど、うすらうすら、今でもこの症状と闘っている。たまにうすらうすら登場してぼくを困らせるこの「野蛮な輩」のような存在。でも少しだけ和らげる方法を知った。
時計を見て何時何分と自分の中で確認したら、もう時計を見ない。もうこの時間と言ったらこの時間なんだと決めて、手を離すように時計とオサラバする。
自分に自信を持てたのかもしれない。
難しい時もあるけれど、どんなに不安でも自分のやっていることは正しいと思うようにした。間違って時間を覚えるほど自分は変な人間じゃないと思うようにもした。
世間的に見ても自分はちゃんとしてるし常識のある人間でしょ!と思うようにして、自分を管理するようにした。商品管理さえできなかったぼくが、自分を管理している今だ。
今回なぜこのような恥さらしかもしれない症状について書こうと思ったのかというと、ぼくの周りにも「強迫神経症」ではなくても、些細なことに気が向いてしまい苦労しているひとがいるからだ。
でも、そういう特性を持ったひとは、何かを特別なものを得られると、個人的には思っている。目の不自由なひとの耳が敏感なように、何かを失えば何かを得るというのが、この世だ。でも正直こんな症状、なければいいよ。あるから苦労する。
まわりは「気にするな」と言ってくる。
バカヤロウ。気にすることができるから、近藤学は存在していて、気にしているからこそ、やさしいひとたちが集まってくるの。この「気にする」にどれだけ苦しめられてきたか。
当たり前じゃないからなっ、この病気。
当たり前と付き合っていくからなっ、絶対。
開きながら、泣きながら書いているよ。
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文 : 近藤 学 | MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
https://twitter.com/manyabuchan00
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絵 : 村田遼太郎 | RYOTARO MURATA
北海道東川町出身。 奈良県の短大を卒業後、地元北海道で本格的に制作活動を開始。これまでに様々な展示に出展。生活にそっと寄り添うような絵を描いていきたいです。
https://www.instagram.com/ryoutaromurata_one
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