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よむラジオ耕耕 #08 『好きってなんだっけ』

加藤:突然なんですが、実は僕、めちゃくちゃテレビが好きなんです。1人の時は特にずっと眠るまでテレビをつけていることが多くて。もちろんテレビならなんでもいいわけではなくて、気に入った番組を録画してずっと流しているんですけど、今日はたまたま NHK の『日曜美術館』という番組で建築家の安藤忠雄さんの特集をループで見ていて。

星野:僕が(PARK GALLERY の2階に)来た時もテレビが流れていて、加藤さんは何を見てるんだって気になりました(笑)。まさか安藤忠雄のドキュメンタリーを見てるとは意外でした。

加藤:アートの勉強になるかもと思って毎週録画しているんだけど、この日はたまたまね。興味なさすぎて飛ばしてしまう回が多いんだけれど、安藤忠雄のことは知っているようで知らなくて、つい見ちゃったんだよね。なんか見ていると気のいい関西のおっちゃんでさ。いいなぁと思って。で気になった人の回は何度も何度も見ちゃうんだよね。BGM 的に。学びにもなるし、ここで知ったことをいつか誰かに話したいなって。で、今日この番組見てて、『耕耕』で話そうと思った話があるんだけど、それが何かというと、彼が作った『青りんごのオブジェ』の話でさ。大阪の中之島にある2メートルの青りんご。

星野:さっき加藤さんから LINE で『青りんご』って送られてきてなんなのかと思ってたんです(笑)。

加藤:忘れないうちにメモした。

星野:なんのことかと思ってびっくりしましたよ(笑)。

加藤:今日テレビで知っただけだし、ぼくなんかより安藤忠雄のこと知ってる人、多いと思うけど、それを恐れずに言うと、安藤忠雄には一貫した理念があるらしくて⋯(笑)。

星野:はい(笑)。

加藤:名前は忘れちゃったんだけどある詩人が言う『一生青春であれ』って言葉を気に入っているらしい。「目標を掲げて、それに向かって駆け抜ける姿勢があれば、おっさんだろうがなんだろうが青春時代だ」的な一説があるらしく、それに彼は感動したらしいんだよね。

星野:情報めちゃくちゃあいまいですけど、めっちゃくちゃいいですね。

加藤:そうそう。それで安藤忠雄が普段の建築とは別に、青春の象徴でもある甘酸っぱい『青いりんご』のオブジェを建てるんだよね。そこに訪れた人たちがその『青りんご』を見て何を思うかは自由で、それに触れたり叩いたり、一緒に写真を撮ったりしていれば、どんな時でも常に『青いりんご』を見て何かを感じたりするわけ。それはおじいちゃんになってもきっと。初恋を思う人もいるかもしれないし、若い時の夢を思い出すかもしれない。そういう『青春』のスイッチというか起爆剤になるための『青りんご』を作るんだよね。

星野:なるほど。

加藤:それが建築みたいにずっとその場に置かれて、暮らしの中でいつもチラチラと青春のモチーフが見えればええやんというか。青春という名の『青いりんご』を常に建築のように掲げられている環境があるのはめちゃくちゃいいじゃんってことでもあると思うんだよね。

星野:個性的なビルとかマンションじゃなくて、『青いりんご』のオブジェが何度でも『青春』を思い出させてくれるものなんだという。それがいつもすぐ近くにあるよさということですかね。

加藤:その話って、ぼくが『公園』という概念をギャラリーの名前につけた理由ともつながってくると思っていて。公園と名付けることによって「どんな時でも公共性を持ってオープンであれ」ていうメッセージが常にチラチラ見える。結構似ている理由なのかも。

星野:そこにつながるんですね。

加藤:今年、安藤さんは81歳で、未来に向けていろいろ作ってるし、そんな人と比べるのはおこがましいけれど、子どもの知性や感性を育むための図書館とか、そういった場所に『青りんご』を置く姿勢は、なんとなくだけど『公園』という感覚を広めたいと思ってる僕には共感できた。PARK GALLERYも『青いりんご』のようなものになっていけばいいなと思いました。

星野:僕も『公園』という価値観をパークに出会って大切にしようと思えたので、僕にとってパークという存在はきっと『青いりんご』になるんだろうと思います。興味深い話をありがとうございました。謎が解けてよかった(笑)。

アートのどこをそんなに愛しているの?


星野:さて、今週もみなさんに「耕してほしいテーマ」を募集していまして、そのお便りを紹介したいと思います。

おふたりのアートへの愛について知りたいです。アートをもっと気軽に楽しんでほしいという感覚に愛を感じます。私はひよっこですが、いまデザインの仕事をしています。いい感じならいいデザインだと思われがちですが、私は制作の裏側を知っているので、ひとつひとつのデザインがとても愛しいです。1枚のポスターからも、気が遠くなるような苦労があったんだろうなと想像して愛しくなります。きっとふたりは、アートに対して私たちが知らない愛情を感じられているんだろうと思います。アートがどうしてそんなに尊いのか、愛しいのか教えてください!!

東京都在住 匿名希望 20代

という内容です。

加藤:なるほどね。愛か⋯あるのかな?

星野:加藤さんはもともと「アートギャラリーをやるつもりじゃなかった」というところからはじまったと思うのですが、今もそんなにギャラリーには行かないんですか?

加藤:行かないことの方が多いかな。「僕はアートが好き」と胸はって言えないかも。専門的で学術的な知識がまずない。それに「アートが好きだけれど、あまり見に行かないんです」て少し違和感があるよね。例えばラーメンが好きな人はラーメンめっちゃ食べるし、詳しいし。まぁ好きだからこそあまり食べないという人もいるとは思うんだけど、結局いままですごい食べてきた人の境地だと思うし。逆に裏の裏まで知ってしまうと愛おしかったものが離れてくってこともあると思うよね。近すぎてわからなくなるという。ぼくはそれでもない。

星野:そうですね。

加藤:星野君はアートが好きですか?

星野:僕はまっすぐに「好き」と言えますね。それこそ僕にとってアートは『青いりんご』のような、常に衝撃的な価値観に出会わせてくれる、気づかせてくれるスイッチを持ってるものなんです。

加藤:絡めてくるね(笑)

星野:作品は変わらずにずっとそこにあるものなのに、自分がその時に置かれてる立場とか、感情によって見え方も違ってくるし、それを自分以外の人間が作ってるというのが愛おしいなと思えたり、すごいなって思えたりするんですよね。

加藤:うん。その楽しさはわかるね。

星野:その時に感じる気持ちって、自然を見て「うわーっ!」て気持ちになったりするのに近いんです。初日の出とか、山に登って頂上から見る景色に心動かされるように、それに通ずる、美しさや醜さ、言葉にできる価値観を超えたものを創り出そうとしてるのが、僕の中でのアートなんです。

加藤:その場合、本当に「アートが好き」なのだろうかと、言葉をかみ砕いたり分解して、アート好きってつまりどういうことだろうと考えるようにしているんだけど、星野くんの場合はもしかしたらアートが好きというよりも、「偶発性に触れる体験」や「見たことない世界にタッチできる機会」が好きなんじゃないかという気がするんだよね。ややこしい言い方なんだけれど(笑)。だってアート全般が心を動かすとも限らない。理解できないものもアートとされる。となると作品を前に「自分なら理解できる」という部分に酔いしれている場合もありうる。

星野:なるほど。確かに。

加藤:屁理屈かもしれないけれどね。「アートが好き」はさらに「自分の思い出と作品がつながって共感できたりすることが好き」にも置きかえられるのかもしれない。僕はアートは好きじゃないけれど、そういうのはすごく好きだよ。だと小説や音楽もそうだし、極端な話だけど飲み会での偶発性のある会話もそうだし、街を歩いててもアート的な発見を感じることがある。そういうのがアートならアートは好きだよ、という感じかな。僕が「アートが好き」と言い切らない理由としては、いわゆるアートとされてるもの以外のことが結構好きで、となるとアートという大きな主語ではぼくは語れないと思ってる。まとめると、ぼくはアートが好きなのではなくてアートにぶらさがっているさまざまなものが好き。

星野:「好き」って言うことって難しいですね。

加藤:そうだね。何が好きかを聞かれた時に大きな声で「好き!」て言えない人の方が多いかもね。でも、自分の「好き」を伝えるってすごい健康的なことだからぜひ『耕耕』にみなさんの「好き」を送ってください。それで僕らも何が好きなのかをみなさんと一緒に耕して、コミュニケーションしていければと思います。

星野:それいいですね。ぜひ「好き」を言い合いましょう。

加藤:誰かの「好き」「嫌い」ってひとの価値観を変えてしまうくらい大事ことだと思う。まぁでも「好き=知識」ではないよ。「知識がないならアートが好きとは言えない」なんてナンセンス。でも、自分の「好き」の強度を高めるために学びたいって気持ちはいつだってあるし「好きこそ物の上手なれ」じゃないけど、好きなことのために学ぶことは大事だよね。だから日曜美術館を毎週録画してるのよ。なんか質問の答えになってないかもだけど⋯。

星野:なるほど〜。むしろアートの知識をひけらかす人からは愛情って感じないですもんね。好きが溢れて思わず話が止まらなくなってしまう人とはまた別のような気もします。

パークギャラリーのルール


星野:好き嫌いの話にもつながると思うのですが。パークギャラリーのスタッフにこんな質問をもらいました。

オープンな雰囲気のあるパークギャラリーというところで、禁止してることやルールはありますか

PARK GALLERY スタッフ一同

加藤:ルールとは言えないかもだけれど「僕が好きかどうか」ていうのはあるかな。僕が嫌いな人は NO で僕が好きな人は YES っていう。

星野:ジャイアンみたい(笑)。それだけ聞くとすごいむちゃくちゃな場所だと思われてしまいそうなので、もう少し詳しく聞いても良いですか。

加藤:もちろん万引きや作品に故意に傷付ける犯罪行為、無理な残業とかパワハラは言うまでもないんだけど…それは社会通念的なものなので、それで言うと PARK GALLERY には特別なルールはないのかな。公募展やグループ展で作品を預かる時に気をつけるのは、だれか特定の人を傷つけるような差別的な表現とかは断ったりしているかな。それも見る角度、人によって違うからあくまであいまいな基準だけどね。

星野:そうですね。

加藤:それで言うと結局やっぱり僕の「好き」「嫌い」がルールのひとつではあるかな。例えば「偉そうにしているやつ」とか「イキっているやつ」、嫌みな金持ちとかもキライ。人の足を踏んで平気にしているやつとかも嫌いだし。ルールというか、あくまでそういう人にはなるべく来ないでほしいよね。でもまぁ別にそういう人が来ても話すし受け入れるけどね。ぼくも苦手な場所には行かないようにしているし。呼ばれていないなと思うところもある。無言のバリアみたいなものがあるのかなと。暗黙の了解というか。

星野:無言のバリア。

加藤:ルールを作るんじゃなく、大事なのは『コミュニケーション』だと思う。さっき話したアートの偶発性の話にも似てるけど『予期せぬ瞬間』て、こういう場所を持っていたらたくさんあるからね。そこにすでにあるルールをあてはめるのではなく、その場で起きてしまったことに対してみんなはどう思うか、それを考えることでどんどんみんなの中のルールを更新していくことだと思う。もちろん作品はしっかり壊れないように包むとかね、ルールだけど、それも作品を壊してしまってから気づいたりしてきた。

星野:自分たちの中からルールが生まれてくるイメージですかね。

加藤:「ルールがないことが素晴らしい」て言っちゃうとそれもそれで危ない思想だから、いろんな人や作品を危険から守ったり、楽しんでもらうために、パークは何かある度にみんなで話し合ってルールを作ってるのかな。その場所に居合わせた当事者が意見することでしか本当の意味での「ルール」にならないと思うからね。机上の空論になってしまう。パークでは、誰かが発言する機会を奪われたり何かを表現する機会を奪われたりってことはなるべくさせないようにしていると思う。できているかは別として。目標だよね。

星野:今日は「好き」の話からいろいろつながりましたね。PARK GALLERY のルールの話も『青いりんご』の話につながる気がします。

加藤:投稿のおかげでゆかいな週になったね。こんな店ですが今後もよろしくお願いします。


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