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長い1日 その2

早速、アポイントのパリ市内の病院へ。
RERという、よく遅れる電車が出発せず、大遅刻…
着いて、先生に謝ると、「よく遅れるよね、パリでよくある事だから大丈夫だよ」って。
しかも、先生、デニム。白衣とか着てなくていい時計付けてて、机に寄りかかりながら、淡々と手術の行程を話す
「心臓と脳を止める」という
脳をとめる?!脳を止める?!
その言葉が気になっちゃって、その先、全然頭に入らず、
元々、病院が嫌いな私にとって、脳を止めるって言葉が衝撃過ぎて、手が震えだす。

先生が「大丈夫?」と声かけてくれて、
「病院が苦手で」というと
「うちのお母さんも病院が嫌いで、今あなたどこにいるの?って電話してきて、病院だよって答えると、きゃーって叫ぶんだよ、僕はドクターだから、いつも病院にいるのにね!」
なーんて、先生の気の利いた面白話も、全然笑えなくって、
「あー、はー、」

その後、先生が「今日この後から、絶対にネットで自分の手術の方法や病気のことをしらべるな!」と念をおされた。そして、睡眠薬の処方箋をもらう。

後に、本当に調べなくてよかったと思った。元気になってから、見たら結構怖いことがたくさん書いてあった。

この先生に頼んだ場合、手術は明後日になるので、その後、仕事のキャンセルの電話などにあっという間に1日が終わった。
なんか、まだ現実として受け入れられてなかった。

翌朝、ベルサイユの病院へ。
手術後で、ブルーの手術着を着たドクターだった。
一言、「脳は止めなくていい」と。
この先生がいい!とすぐに思った。
私の彼は色々思うところがあったみたいだけど、自分の身体だし、この先生決めました。
海の潜水の先生もしてて、私には、ジャックマイヨールに見えました。

そして、週末からの入院が決まり、それまでは安静に過ごす日々でした。手術のことはパリに住んでる友達と親とイギリスに住む従姉妹にだけ伝えました。
なんか、他の人にも言うと死ぬ気がして。よくわからない理由だけど、自分ではそんな気がして、、言えなかった。

血管が爆発したら死ぬから、爆発しないといいなぁと思いながら、寝る時も明日、生きて起きれるかなぁとか思いながら。
一度、想像して見てほしい、明日がない自分を。

死と隣り合わせの不思議な4日間を過ごして、病院へ。

手術に向け、血液検査をし、麻酔科の先生とお話しし。
このチームに私の心臓を委ねるんだ!と決意。

先生からは、術後、ICU2日、一般病棟へ移り座ると歩く練習、そこから5日後には退院できますと言われました。
おー!1週間で退院できるんだーと、軽く考えていたら、これまた予想外なことが起きる事をこの時も、全く想像していませんでした。

病院初日の夜のご飯
美味しくなくて、びっくり…
でも、約1週間でこれも終わるって、ポジティブな私でした。

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