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正欲 朝井リョウ著

少し前に読了。 
気持ちを整理してから感想を書こうと思っていたのでこのタイミングです。 

「多様性」とはなんぞやというテーマで、俗にいう「多様性」とは違った切り口で問いかけている作品。 
私の今までのふわっとした「多様性」への考えに影響を与えてくれた。 
マイノリティ・マジョリティ関係なく、本人がどう感じているのか他人はわからない…至極当然のことなのだが、あらためて現代のリアルなニュースや実在の当事者を思わせる登場人物が語ることで、性的マイノリティや社会的に不適合だと言われる人々って思った以上に近くに居るのかも知れないし、流行語のように、ただなんとなく「多様性」と言っていれば良いんでしょという風潮に疑問を感じた。 

「みんな違ってみんな良い」。全面的に悪くないのですが、そう思わない人やそう言われて苦しんでいる人もいるって想像したほうがいい。 
「多様性」という言葉でカテゴライズされても、それで生きやすくなった人もいれば、逆にその「多様性」が認める「マイノリティ」というジャンル自体にも属せない人もいる。「マイノリティ」の中にも「究極なマイノリティ」は「マイノリティのマジョリティ」から排除されているという現実を見ろ。 

そんなこと言えば、マイノリティの人たちだけでなく、自分だってあの人だって生きづらいんだよ、甘えるなよ、といった根性論も投げつけられることもあるでしょう。 
そりゃあそうです。人は生きてるだけでマイノリティなんです。人と同じってないもん、絶対。当たり前じゃん。 
ただ、世間一般の波にうまく乗れているかはみ出してしまうか、なだけであって、いいも悪いもない。 
私としては「みんな違ってみんないい」というだけではなく、討論番組や有識者と呼ばれる方々にもっと深く切り込んだディスカッションをしてほしいものですね。 

私は躁鬱で、100人に1人発症する病気なので、カテゴライズされるとすればマイノリティ側ですね。でも自分はこれでいいし、私という生き物でとりあえず生きていくしかないわけで。でも私は考えます。マイノリティでもマジョリティでもこれから先も変化・成長はできます。社会だってそうです。 

だらだら書いたけど、つまりはもっとみんな考えて、想像して、日々過ごしてほしいなと思うんです。人の気持ちや状態を想像できれば自ずと自分に課せられた責務というのが見えてくると思うんです。 

小さな一歩かもしれませんが、大きな民衆の一人ひとりの意識が変われば、世界は変わります。 

そういうことです。

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