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今の漫画には愛されるクズが少ない?

昔の漫画には、破天荒な人格破綻者orトラブルメーカーがよく登場していた。しかし時代を経て、最近の漫画やアニメのキャラは、おとなしくてかわいらしい感じが多い。せいぜい『おそ松さん』や酒クズ代表の廣井が限界だろう。しかも、こいつらは「二次元のクズ萌えゲス萌え」という文脈に回収されている。あくまで現実とは異なる嗜好として、顔がよくてorかわいくて性格の悪い(けど憎めない)キャラに喧噪する「アイロニカルな没入」だ。

そう思って、けっこう前にツイッターで「今の漫画には、愛されるクズキャラが少ない」と書いたことがある。まぁ、それからしばらくして『ヤニねこ』『地元最高!』といった愛おしいクズばかり出てくるマンガが、旧ツイッターで爆誕するなど少し状況が変わったが、とりあえず、以下に再掲する。

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今の漫画には、トラブルメーカー、つまりクズキャラが少なくなったという「仮説」を前提に話を進めよう。

昔の漫画を見ると、こまわり君やバカボンのパパ、連ちゃんパパ、アラレちゃん、両さんなど破天荒なキャラクターがたくさんいた。しんちゃんとか、マサルさんとか、スナミ先生、珍遊記の山田太郎、永沢君と藤木とか、稲中の前野と田中と井沢などなど。萌えの文脈などそこにない。そういう子供じみたキャラが、画面いっぱいに暴れまわって、周囲を振り回していたのだ。

また、どの作家も独特なセンスがあって、どのクズキャラにもアッパー系・ダウナー系をとわず人間的な魅力があった。特に、不条理な展開、下ネタ、ドライなナンセンスギャグで知られた谷岡ヤスジや山上たつひこの作品群は、ある意味で昭和の倫理観そのものを体現している。しかし時代の変遷はキャラを丸くする。のちの両さんや中春こまわり君がその良い例だろう。

ともかく当時の読者は、そんなメチャクチャで、欲望に忠実なイノセントなキャラに触れることで、現実では得られないカタルシスを得ていたんだと思う。つまり本音と建前で生きていく中で、魂の代弁者が必要だったわけだ。

でも最近の漫画を読むと、毒にも薬にもならない作品ばかりで正直ウンザリする。良い子と悪い子の典型的なキャラばかりで、本格的なクズやバカがいないんだよね。美少女キャラもほとんど人間味がなくて、ハリボテ人形みたいで白ける。一方で、エロマンガは人間の欲望を扱っているから、生々しい人間味が感じられる。エロは人間の本音そのもので、ウソがないからね。

最近、初期のサザエさんを見たんだけど、磯野家全員がキチガイじみた言動をするんだよ。口より先に手が出るキャラばかりで、とってもアクティブ。今のアニメにはない「画面の躍動感」に胸がすく感じすらした。自分が求めていたのは、こういう「猥雑さ」だったんだって気づかされたよ。

結局のところ、ぼくはドタバタや人情ギャグが好きなんだよね。キャラクターに人間臭さや本来の醜さを求めてしまう。他人に囚われない無邪気なキャラを見ることで、本音の世界で欲望に忠実に生きていた子供時代の自分と対峙しているのかもしれないし、どこかでそれを求めているのかもしれない。

愛されるクズキャラが主人公にならなくなった、むしろ、そういうキャラを描けなくなったのは、フィクションに対して過剰に常識を押し付け、不快な表現を悪として排除しようとする不寛容な人が増えたからかもしれない。そういうわがままが常識として、正義や善としてまかり通る世の中は控えめに言って狂ってると思うよ。(2019年1月)

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で、さいきん、このポストがリポストされ、すごく建設的なコメントをしてくれた人がいた。えーと、これか。


それぞれの意見を整理する余裕はないけど、全世代にとって漫画が当たり前になった現代を生きる僕たちの生きづらさや、コンテンツの加速的な消費と拡散にポイントがあると思う。よー知らんけど。でもまあ、それはまたいずれ書いてみようと思う。ちなみに「クズ萌え」の盛り上がりは児戯的とはいえ、アンチポリコレムーブの意識的浸透に一役ぐらい買ってるのだろうか?


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