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丁寧、丁寧、丁寧に。

DAMチャンネルをご覧のみなさん、ぱるこです。

今回は温故知新のドリーマーにして万理一空のビリーバー、蓮ノ空女学院104期生の百生吟子さん(以降、友愛を込めて吟子)について個人的な所感を書き留めておこうという趣旨になります。
同じレベル感で書けていると信じたい、そんな同期2人の記事は以下になります。

しかしながら今回の記事はこれまでよりも書くべきことがいっぱいです。なぜならまず明らかに4月時点での描写量が吟子だけ桁違いに多いこと、そして今これを書き始めた4/29(月)には104期生の初ステージにあたる4月度Fes×LIVEが開催されるからです。
さしずめ情報量の海鮮フルコース、ぱるこシェフの記事もスクールアイドルカレンダーに連動してリアルタイム進行していきますよ。採れたて新鮮の気まぐれで冗長な文章をとくとご賞味ください。食あたりには当店一切の責任を負いませんので予めご了承くださいまっし。ちょっと違うか。

【第一感】
あっ ツバサこずの子だ!!
というのは、ある程度熱心にスクステ触ってた層ならピンと来た人も多いでしょう。僕たち仲間だね、今後ともよろしく。
ファーストコンタクトをお披露目配信とするならば、上記を抜きに僕がはじめに抱いた印象は「随分とお堅い子だこと」でしょうか。最近観返したら割とそうでもなかったのでツインアイズ節穴ドラゴンだったのかもしれませんが、とりあえず当時はそう感じていました。黒髪ぱっつんタイツという風貌にカッチリめの敬語。刺さる人にはこの時点でもとことん刺さってそうなものではありますが、自分のオタク史においてはこれまでの好きの傾向に別段当てはまっておらず割と「ふ〜ん」の気持ちで静観してました。まぁ村野さやか辺りの前例からしてただただ真面目な堅物ということは無いだろうと予見つつも、むしろあの配信において僕がそう感じさせられたことは蓮ノ空的には正解だとすら思います。シームレスな成長を描くにあたって初配信はカチカチであるほどに未来への振りが効くというもの。
最初の堅さ硬さがあったからこそ、後述する活動記録やWith×MEETSでの絶妙すぎるバランス感ないしはアンバランス感にぐらりと1発KOを頂戴した次第です。
この子の個性は本当にコンテンツ形態との相性が良い、それが出会いから数週間経った今の印象でしょうか。台本をただ読むだけでは決して醸成できない独特の距離感やテンポ感、そういった息遣いのひとつひとつから百生吟子という人間の生がひしひしと肌で感じられるのです。これが例えばきっちりとアニメ尺で描かれたものならば、僕は今ほど彼女のことを好きになれていなかっただろうと思います。それを為せる独自のプラットフォームが蓮ノ空の大きな強みのひとつだなぁと再認識するきっかけになりました。とはいえまだ1ヶ月なんですけどね、不思議なもんだ。
ゆっくりじっくりと時間を掛けて対話する程に味わい深くなっていくスルメのような魅力。そして一度捕まったが最後、どんどん絡まってきて仕方がないゲソの足。その例えはイカがなものか?スミません、まぁ何が言いたいかといえばこの子ちょっと愛おしすぎますよって話。なんか今日調子悪い??

よくないよ


【活動記録】
ここではスリーズブーケ編であるところのpart1〜6、13〜18『未来への歌』について扱います。
1話中盤までの全体感を記した記事を貼っておきますが、そこで結構スリブ編の話はしちゃってるので切り分けが難しいね。まぁ吟子の話は敢えて避けておいたのでそこを重点的に吸いとっていきましょう。

さて。
みなさんからすれば知ったこっちゃないでしょうけれど、この子について言葉をまとめるのに既に1ヶ月近くの時間を要しています。さっきは4/29と言いましたが今はなんと5/22です。ドドドどん詰まり。「えっ、こんな序盤で!?」と自分でも驚きますが、何事も最初の一歩がもっとも大変だったりしますよね。
こういうフレーズを布石として後の方で回収するぱるこの手口、そろそろ分かってきた人も多いでしょうか。リサイクル精神、エコロジーと言ってほしいですね。もし最後まで出てこなかったら忘れてたんだなと思ってください。

要約すると上記のようなことなのですが、『未来への歌』はまさにこの対話をじっくりと行うような作りになっていたと感じます。「ひと針ひと針丹精込めて」とはよく言ったもの。いやだって18partて。一向にファイナルが来ないことで有名な𝔽𝕀ℕ𝔸𝕃 𝔽𝔸ℕ𝕋𝔸𝕊𝕐でもまだ𝕏𝕍𝕀とかですよ?僕はやったことないけど。
途中6part分はドルケ編みらぱ編としても、それ以外のたっぷりとした尺は基本的に百生吟子と日野下花帆に与えられたアイスブレイクのための時間なわけですから。独自なプラットフォームとの相性の良さというのを、僕はこういった箇所にひしひしと感じる次第であります。とにかく丁寧。

そんなわけで書くべきことも必然的に多くなってしまうため、ここからは更にセクション分けしながら見ていきましょうかね。こういうときに見出し機能とか上手く使えば流れを整理しやすいんでしょうけど、僕とnoteに関しては相性良くなかったようです。目次アンチなので。
いや、逆にこの中途半端な位置で急にちっちゃい目次が出てきたらちょっとおもろいか?
思い立ったが吉日ですね。


どうこれ、ちっちゃい目次おもろい?ねえねえ。
僕にはもう何もわかりまへん。


①私の先輩

1話において吟子は花帆先輩とばかり話しているうえにそこの関係性だけは明確に他メンバーと異なっているため、実は彼女の人となりを判断するにあたって活動記録は少々偏った資料であるかもしれませんね。 
吟子のチャーミングなポイントはやはり、今まで同年代の友達がおらずコミュニケーションに不慣れさがあるところでしょうか。花帆先輩相手に見せるタメ口交じり方言交じりのテクニカルな会話はどんどんクセになってきますし、With×MEETSで魅せるクリティカルなマジレスなど、本人にそのつもりはなくとも存外に喋りで退屈させないという配信に向いたスクールアイドルなのではないでしょうか。冒頭で述べた彼女の第一印象からすると、なんだか思いがけず懐にまで入り込まれたような感じがしますね。たぶんあの髪飾りにイカニンジャが付いてるんだと思います。もしくはイカ速up。

僕がこの活動記録でかなり唸らされたのが画像の場面。たった1話で吟子→花帆の口調によるギャップを確立させておいて、更にはそのギミックを最大限に逆利用して心の距離が開く瞬間を残酷かつ機能的に描写してきたところです。
花帆さんはしばしば“お日様のような子”と形容されども、決してただの能天気ではない多感な16歳です。ううん、さっき17歳になったね、おめでとう。103期撫子祭のくだりでもあったように、相手が心をすり減らしながら「この話はここまで」って黄色信号を出したならちゃんと足がすくんでしまう、そんな思慮深い子なのです。
初めての「あたしの後輩」にあんなに心を踊らせていた花帆さんが、目の前で自罰的な表情を浮かべる吟子になんの言葉も掛けられず促されるままその場を去ることしかできない。「友達のような特別な先輩」から「たくさんの先輩のひとり」に逆戻りするような、沙知⇔綴理とも似て非なるものですがこういった関係性の退化が生み出す火力は高いですね。
そして、だからこそ決着時の言葉選びの美しさも一層際立ちます。

ここからは蛇足なお喋りですが。
彼女は大好きなおばあちゃんやその周辺のご年配仲間、加賀繍関係の先生方など、これまで目上・歳上の人とばかり接して育ってきたそうです。そのため“下から上に”というベクトルの関係性こそが彼女の得意な領分と考えられ、スリブ内でも梢先輩相手にはかなりしっかり後輩然とした振る舞いを見せていましたよね。というか花帆先輩以外にはその様子がデフォのはず。(オタクによってはタブー感強いかもしれないけど、いずれ他の先輩相手にもちょっと隙を見せてくれると僕はニヤける。)

少し事情は違うかもしれませんが、敬語の方が楽というのは割とよくある話ですよね。個人的に言語化するならば、敬語には自身の立ち居振る舞いを束ねるというような機能があるかなと思っています。相手と自分の距離感や立場を一々考慮する必要なく幅広いシチュエーションで通用し、プラスになるかはともかくとしても基本的にマイナスな印象は与えないような万能さがあります。安牌ってやつですね。大変、麻雀がしたくなってきました。
対していわゆるタメ口は語調や方言などからその人固有の色がすごく出やすいと感じていて、それが人間関係において良い方向にはたらくこともあれば、時には不要なトラブルを招く場合もあるでしょう。一長一短という話ではありますが、日本の消極的な国民性からすると敬語という七面倒なフレームワークがここまで定着したことにも頷ける気がします。ホタルイカなどの生態に見られるカウンターイルミネーションの如く、それは自分を社会に溶け込ますための強力な戦略と言えますね。さっきからなんで頻りにイカの話をしてるのかは僕も全然よく分かっていません。

閑話休題。
そのような感覚を思うと、吟子みたいに目上の人とばかり接してきた人が急にフラットなコミュニケーションを要求された時になんだか言葉遣いがフニャフニャになってしまうのはどこか共感できるものがあるなぁと思いましたね。とはいえ彼女はクラスで(受動的であれ)友達ができていた描写もあり、基本的には至極誠実でまともな子なんだと思います。だがしかし変な人に目を付けられてしまったのが運の尽き。彼女の対人アルゴリズムが狂ったのは間違いなく、敬うべき対象の先輩から友達のようにというアベコベなオーダーが入ったせいに他なりません。これはどうぞ然るべき責任を取っていただきましょうねえ。

今日の吟子ちゃん、なんだか怖いよ


②私のおばあちゃん

少なくとも当話において、吟子の行動指針には常におばあちゃんの存在が関わっていそうですよね。生真面目なおばあちゃんっ子、良いじゃないですか。2学年下をと表すのは学園ものにおけるオタク通念的なところであり実際に作中でも近しい言及がされていますが、孫のエッセンスを二重に纏う人物を104期生(追加メンバー)というポジションに持ってくる構成のセンスには脱帽です。つくづく脱帽子って感じ。あるいは脱ぐ脱ぐ帽子。これからはセミの時代だっぴ!

今回の話を観て個人的に結構感じたこととしては、吟子がやっていることっておばあちゃんという推しコンテンツの聖地巡礼じゃないですかね。いやまぁ大いに語弊のありそうな表現ですが、分かりやすい形に近似させるならそうじゃないかなって。おばあちゃんはここで青春を過ごしたんだ、これが話に聞いたチャイムの音なんだ、観客の姿はステージからこう見えてたんだって。僕らが金沢を訪れるときと結構テンション感は似てる気がします。ざっくりね。
だからある意味すごく共感できるという話でもあり、一方でこれから吟子自身の物語はどう実っていくのかついてはまだあまり想像がつかないという話でもあるかと。大願としてはラブライブ優勝を掲げていますが、そこに至る過程がどのように描かれていくのかとても楽しみです。

吟子に関するシーンで一番すきなものはどれかと問われれば僕はきっと上記を挙げます。花帆先輩のパワーに終始振り回されていた彼女が、大好きな刺繍をしているときだけはリラックスした様子で自然と自分の身の上を明かしはじめるのです。本当にこの時間が心の拠り所なんだろうなぁとか、一連の所作におばあちゃんとのたくさんの思い出が紐づいているんだろうなぁとか、野暮ったい説明がなくともそういった温かみが行間から伝わってくるのが活動記録の素晴らしい点だと感じます。
その後に零れる涙があまりに綺麗なもんで、僕はここらで一気にハートを持っていかれましたね。百生吟子、かなり人生って感じがする。

やっぱりこの刺繍(加賀繡)というのが彼女を構成する大きな要素になってくるんですかね。衣装製作に関するエピソードなどが今まで以上に出てくるとしたらそれは嬉しいですね。カードのボイスでもそういうのいっぱい欲しいので、運営様におかれましてはもっとSRを実装しろ(豹変)。


③逆さまの歌

「逆さまの歌」とはじめて耳にしたときにみなさんはリフレクのことがピンと来ましたか?
そもそも歌詞にもフレーズが含まれてますからね、結構分かりやすい導線は敷かれてた気がします。しかし長くアニオタをやっているせいなのか、すぐそういった展開予想の脳になってしまうのはものごとを楽しむうえで損というかノイズですよね。治しようがないけど。
こういう特定の既存曲がシナリオの中でフィーチャーされるのってかなり蓮ノ空の特色と言える部分だと思います。再解釈というのか、時間とともにその曲の持つ背景情報や文脈が変化し育っていく感じ。改めてすごい体験をしてるな〜とジンジン染み入る次第です。ジンジンゼミ、っていうのはどう?厳しい了解。

みなさんは「逆さま」とだけ聞いたときにどういった図を思い浮かべますか?
たぶん正確な語義としては何かしらが逆になってるみたいな広めの意味合いでしょうが、一般的に思い浮かべるのは上下が逆という状態ではないでしょうか。実際にFes×LIVEの演出では天地がひっくり返ったカメラからステージが始まったりしているのでこれは意図的なことだと思います。
しかし「Reflection in the mirror」のモチーフはその名の通り。鏡といえば大体の人は左右が逆に映るものという認識をしていることでしょう。(僕自身はこれについて、鏡像を左右逆と捉えるなら上下も逆と言って然るべきだろうという主張があるのですがこの場ではそれこそノイズになるので割愛します。)

仮定に仮定を重ねるようですが。
この上下と左右がなぜすり替わったのだろうと想像すると、おそらく本来の「逆さまの歌」は水鏡、つまり金沢の気候に由来する水溜まりの反射が生み出した曲だったのではないでしょうか。あるいは蓮ノ湖でもよいです。ともかくとして、きっと水面に映る自分と向かい合いながら書いたから逆さまだったのではないかと。そして曲は姿形を変えながら、結果的に鏡という要素が抽出され今に残ったのだと。僕はそう考えています。
吟子の特訓メッセージでもその辺りの補完材料となる話が出てきますが、大変によろしかったですね。まだ聴いていない人は是非とも要チェックです。
しかし、当時ツイッターでも話題になった記憶があるので見返した人も多いかもしれませんが、去年のリフレクシリーズのボイスを今聴くと仕込みが凝りすぎててぶったまげますね。これぞ伏線って感じでド肝を抜かれました。

話は少し変わりますが、この曲にまつわるエピソードはどうにもテセウスの船を連想させるというか、なんならテーマ?モチーフ?にしてるのかなと感じました。みなさんも聞いたことありますかね。オタクってこういう類の思考実験とか大好きだから知ってるか。かくいう僕もメアリーの部屋で生まれ育って今では脳だけ水槽に繋がれ悠々自適に過ごす毎日です。
ざっくり言えば「希望の船エスポワールが長い年月をかけて部品の交換・修繕を繰り返し、いずれ船体のすべてが換装されたときにその船は果たしてまだエスポワール号と言えるのか?」みたいなことでして。要するにものの名前は、その魂とやらは、一体全体どこに宿るんだいっていう感じのお話。たぶんね。メイビー。baby maybe そんな予感。
この度の活動記録はまさにこの問いに対する模範解答の一つだなと思っています。

僕自身の考えとしては、それらは「観測する側に宿るもの」でしょうか。逆さまの歌に改変を重ねた果てにやがてリフレクというまるでかけ離れた曲になったとして、その過程を知っている人間にとってはきっと同じものだと感じるし、背景を知らずあの瞬間に一目見ただけの吟子にとっては別物でしかない。
そう纏めてしまえばごく当たり前で普遍的な感覚だとは思いますが、蓮ノ空において特に大切とされているのはその観測者を絶やさないことなのかなと。それがスクールアイドルノートを継承していくことの大きな意義であり、また先輩後輩という縦の関係性に重きを置いている理由のひとつではないでしょうか。
まぁこの辺りの話は卵が先かニワトリが先かみたいな展開になってくるので深追いはしませんが、今までどこか靄のかかっていた伝統というものが少し実感を持てるものになったような感覚がありますね。


④あたしのセンパイ

別に見出しを分けるほど書くことはないのですが、吟子をめぐる話の中であっても花帆と梢の関係性が相変わらず丁寧に描かれているのが嬉しいですね。

ボロ泣き

自分がしてもらったことを後輩に返せない焦燥感、肝心なときに誰かを頼るしかない不甲斐なさ、そんなぐちゃぐちゃな心を優しく抱きしめてくれる梢センパイのあたたかさに胸がいっぱいです。別の記事でも言及したことですが、やはり進級による立場の変化や心の成長をひたすら丁寧に描いてくれている点が104期1話の大好きなところだなぁ。
同時に、去年の梢センパイはこういうときも独りきりで「大丈夫」と言い張るほかなかったのだと思うと一層彼女の立場は辛いものだったと感じますね。慈センパイは茶化すように言っていたけれど、3話のお見舞いの際に自分の怪我をよそに花帆さんのことで泣きじゃくっていたという話はとんでもない遅効毒ですね。せめて慈という、等身大の気持ちをぶつけられる仲間がそこに居合わせてくれたのが救いだったと信じたいです。


まぁ活動記録は一旦こんなところですか。
好きなポイントなら他にもたくさんありますが、そういうのってもうシンプルに好きだとしか言いようがないですから。

ああ、一点書き忘れたことがあるとしたら、これまたFes×LIVEの演出にはなるのですが。

ここ、メンバーが3人に増えたことで壁面が増えて合わせ鏡の構図になってるのがおもしろいなって。今回はがっつり伝統を主軸にしていただけあって、合わせ鏡とはどこまでも永く連なっていくもののメタファーなのかな〜みたいなことを考えてました。まぁその壁、3秒後にはせーので壊しちゃうんですけど。
こういうのって何割がオタクの勝手な妄想なんだろうね。でも考えるのは自由だし楽しいよ。みんなも自分だけの解釈で新学期をスタートダッシュ!!お友達に差をつけよう!!(押し付け行為はNO)


【スリーズブーケとして】
ここらで一旦、103期におけるスリーズブーケらしさというものを考えてみましょうか。まぁなんと言ってもこのユニットは正統派って言葉が似合いますよね。パフォーマンスもバックボーンも非常にこう往年のアイドル然としたイメージ、そんな雰囲気があるかと思います。花帆さんのシンデレラストーリー感や、梢センパイの真っ直ぐなスクールアイドルへの情熱。溌剌な後輩とお淑やかな先輩。いわゆる王道ド真ん中をひたすら突き進み続けるような、誤解を恐れずに言えばまさに主人公ユニットだと自分は感じます。

ではここに百生をひとつまみ。あれでいて案外と変化球な人となりであることは前述の通りですが、とはいえ本人の精神性みたいなところはやはり真っ直ぐと言って差し支えないでしょう。いっそ愚直で実直で立直。大変、麻雀がしたくなってきました。
そもそも彼女の核にあたる伝統への憧憬は、この蓮ノ空という作品においてはそれこそお誂え向きなストレートボールであります。梢センパイと同じくラブライブ大会を夢の舞台とするところも、なんというかスクールアイドル界の優等生って感じがしますね。
これはスリーズブーケに限った話ではありませんが、メタ的に104期生の人物像ってそれぞれ102期生に寄せられてる感じがありませんか?吟子⇔梢は上記の通りとして、徒町の奔放さは種類違えど綴理寄りだし、姫芽の負けん気や熱量はめぐ寄りだなという具合。103期生とのコンビ感で見たときの収まりの良さが第一の理由なのかなと思っていますが、3人体制として見ると概算2:1のパワーバランスになるわけですから結構ユニットの雰囲気って変わるよね〜と考えています。104期スリーズブーケを初めてステージで見た感想としては、(引き出しが少なくてお恥ずかしいですが)Perfume味が相当強かったです。流石に曲調に依るところも大きいでしょうが、総じて割とクール属性に寄ったかなという印象。まぁ楽曲面については次のセクションでお話ししましょうかね。

もう一点ユニットの全体感で言うと、それぞれ3人組としての関係性やスタンスがはっきり違うんだなぁというのも改めての気付きでした。スリブは古式ゆかしい先輩後輩感、ドルケは一昨日の配信でもあったように家族感、みらぱは一言では表し難いですがフラットな友達感といったところ。そう考えると103期の頃から傾向はありましたので、こういう部分こそが本来的なユニットそのものの色と言えるのかもしれませんね。
ちなみに一昨日というのは5/25です。ということは今27日。難産だね、どうにかがんばってほしいものです。


【アオクハルカ】
シーブリーズのCM??
ジリジリと肌を刺す日差し。靴に入り込んだ砂利。汗が頬を伝うこそばゆい感触。澄み切った晴空の下、明日のことなんて分からないままとにかくがむしゃらで、だけどその果てしない青に飲み込まれてしまいそうな漠然とした不安も抱えていて。我々オタクには到底ありようもない眩い青春の記憶と情景が、しかし鮮烈にこの心を掴み去っていきます。今とんでもない悪口聞こえたな。

ライグラでは大変お世話になりました

まずこれは楽曲としてめ〜ちゃめちゃ好きですね。新譜3曲の中でも接戦ながらにいちばん好きかな〜。もうイントロからして聴き心地がたまらないですよね。当方は楽器の構成には疎いですが、わりかしバンド!って感じのサウンドなのかな?
サビのストリングス?で一気に目の前が開けるようなカタルシス?が美しいなと思ったりします。
そして何より……

百生吟子さん歌うますぎゆ〜〜〜!!!!!

おんぎゃ〜!!おんぎゃ〜〜〜!!!
泣いちゃった。babyなので。こちとら泣くのが仕事と聞いとりますので。
お母さんおめでとうございます、元気な成人済みのオタクですよ。

こう、なんだろうな。
力の日野下、技の乙宗、いいとこ取りのV3。乙宗は力だろうがというご意見はさておいて。
あくまで声質の話にはなりますが、吟子はスリブの中央値みたいな感想をよく耳にしますよね。ワイトもそう思います。繊細でしなやかな表現もこなすし、音圧がほしいパートでは芯のある力強い百生オールウェイズを届けてくれる。これは良い意味で受け取ってほしいんですけど、いわゆる歌い手文化の雰囲気が少し香るというか、(吟子の人物像からすると不思議な話ですが)最近の若い流行りにすごくマッチした歌声なのかなと個人的には感じています。なんかそういうデータあるんすかと問われれば別にないですけど。何?僕調べじゃ不満ですか?
もっとじっくり聴いてみたいところなんですが蓮ってソロライブ出さないのかな。コンセプト的にあんまり出しそうにないよね。出せ。全部出し切っちゃえ♡

あ〜〜〜っっ!!!♡
また慈センパイがスクステ壊してる〜〜〜!!!♡


歌詞にも注目してみましょうか。
此度も美しい文字列のオンパレードですからね。

天つ風よ あなたは何処へ
その声はまだ聞こえない

冒頭の吟子パートですが、活動記録も踏まえた上で聴くとこれは芸楽部の面影や「逆さまの歌」を探し彷徨っていた彼女の心境なのかなと僕は感じます。雅やかな言葉選びに澄んだ高音。百生吟子という新しい風、その存在感をこれでもかとアピールする秀逸なAメロであります。

握りしめたそれが何か
私もまだ分かってないよ

形はなくて透き通っていて揺るがないもの

その後も曖昧な“何か”についてこの曲は歌っており、これはまぁ特定の名前をつけることもできるでしょうがそれはどうにも野暮なのかなぁと思いました。冒頭の歌詞含め、きっと聴く人それぞれがここに当てはまる自分だけの“何か”を抱えあるいは探していく、そういったメッセージなのかなと。

他に特徴的なのは「走る」「連れていく」「前へ進めもっと先へ」など、とにかくじっとしていられないというような気持ちに溢れたフレーズでしょうか。スリーズブーケとしては104期一発目の新譜、始まりの曲にあたりますからそのフレッシュなエネルギーは眩しくもあり、また彼女達の青さでもあるのだろうと解釈しています。

確かめたい白線の向こう
何か変わるかもしれない

グラウンドという情景がはじめに共有されているのでそこに引かれた白線がありありと浮かびますね。やはり動き出したくてうずうずしているけれど何事もスタートラインを飛び越えるには勇気が要るものだと。活動記録的に言うならば吟子にとってスクールアイドルという世界に踏み込むことであったり、花帆さんにとっては拒絶される恐怖を振り切って手を伸ばしたいという思いであったり。そんな連想がされるかなと思いますね。
ちなみにこの白線って、実は千変万華で歌われている以下の文脈を引き継いでいるのかなぁなどと妄想していますがどうでしょう。

線を引いたその前に立ち止まって
正しいと読むなんてもう思わない

大人気パンチライン

もしそうだとしたら水彩世界→千変万華→アオクハルカと、綺麗な正統派生ツリーになるのが素敵だなと思ってみたり。
しかし「変わりたい進みたい」と願う彼女たちに対して、未だに心のどこかで不変を願ってしまうのはオタクの脆さですね。実際この曲はそういった変化に対する寂しさや恐れを同時に歌っているものですが、こうした聴き手のリアルタイムな情緒への寄り添いは流石のものです。僕自身は日々の変化に乏しい社会人生活を送って久しいですが、アオクハルカが描いているような瑞々しい期待や不安に心動かされる感覚を取り戻したいものですね。この願いはどこに掛け合えばよいですか?住民ハッピー課?


【総括】
いじょ!少し長めの記事になりましたがお付き合いありがとうございました。
5/29(水)でタイマーストップ、記録はジャスト一ヶ月。完走した感想ですが、途中は記事完成の目処がまるで立たなくてどうなることかと思いました。来週には104期生の初個人配信も迫っていたので間一髪でしたね。何と戦っているんだ。

目にも止まらぬ党首2連
サーマルインクじゃなきゃ見逃しちゃうね


あることないこと様々空想して参りましたが、現状の吟子の一番の役割ってやっぱり伝統の顕在化かなぁと感じてます。これまで言葉の表面を撫で、その手触りをなんとなく良いものだと感じるのが精一杯だった我々を導いてくれる水先案内人。いわゆる104期アレンジ等の試み全般が、メタ的に言っちゃえば百生吟子という存在に起因するものだと、個人的にはそういう順序で考えています。

伝統の力、思い知りましたか!

本人もこう言うてはります

私と君の今を繋ぐ。この“私”って吟子のおばあちゃんだったりして。もちろん水彩世界は梢センパイ作なので実際にそうと言いたいわけじゃないんですが、作品のテーマとしてのLINKが「今どこに居ても繋がる」という横軸だけでなく、「過去と未来、時を超えて今が繋がる」という縦軸にも開けたような感覚が今回僕の中には芽生えました。
きっと百生吟子が紡ぐ未来への歌はそれらを繋ぎ留める山吹色の糸になる。いや。そのひと針目はもうとっくに、丹精込めて、我々の心を射抜いているのではないでしょうか。なんてね。

風薫る初夏の気候、油断して体調など崩されぬようみなさまご自愛くださいまっし。←結局これは合ってるの?
は〜末筆末筆、てな訳で私は来シーズンに向けて羽化の準備がありますのでここらでドロンしますね。

ドロン!(空蝉の術)




↑何これ???

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