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社内ベンチャー。創業20年以上経ちました

こんにちは。パルコデジタルマーケティングの後藤です。

当社はショッピングセンターPARCOの100%子会社として誕生してから20年以上が経過しました。

10年以内に消える会社が多い中、(子会社とはいえ)生き残っている数少ない企業のうちの1つでもあります。とはいえ、最初から時代の波に乗ってイケイケ順風満帆だったわけでも、親会社のバックアップだけで安穏としていたわけでもなく。その時々で、さまざまな失敗も経験しながら現在に至っています。

そこで、これからデジマ界隈の情報を発信するにあたり、「パルコデジタルマーケティングってどんな集団なのか」、事業変遷や組織の変化をふりかえってみたいと思います。

せっかくですので、デジタルマーケティング界隈にご興味がおありの方だけでなく、「子会社あるある」に苦しんでいる方にも何らかの励ましになれば幸いです。

※ちなみに私は入社2年目で、会社の歴史を語れる身分ではないので「全部は知らないけど、大体知ってる」という役員の方々にインタビューして書きました。2時間におよぶ壮大なお話だったのですが、正直、そのまま書くには「ピーッ!」な部分もあるので、(事実は曲げずに)適切な編集をしてお届けします。

設立は突然に。模索する日々

名称:株式会社パルコデジタルマーケティング
所在地:東京都渋谷区神泉町
営業開始年月日:2000年4月1日
事業概要:デジタルマーケティング事業
社員数:83名(2022年3月時点)
株主:株式会社パルコ(100%)

https://www.parco-digital.co.jp/company/

2000年のエイプリルフール。当社はPARCOの社内ベンチャーとして「これからはITだ!」ということで誕生しました。当時、会長の指示で同時期に生まれた子会社がいくつかあったうちの1つで、社名も「パルコ・シティ」でした。何らかの情熱を持ったリーダーのもとに「この指とまれ」でメンバーが集結して立ち上がった会社ではなかったので、当然、事業やミッションも確固たるものが定まっていたわけではありませんでした。

ざっくり社史年表

2000年といえば、楽天市場が株式を公開したり、ライブドア前身のオン・ザ・エッジが東証マザーズに上場した年です。Googleの日本語検索やアマゾンの日本語版サイトが登場したのもこの頃です。当然、「デジタルマーケティング」なんて言葉もありません。歴代社長がPARCOの宣伝部門トップから来た方だったこともあり、初期にやっていたお仕事といえば、ホームページ制作やメルマガ配信、紙媒体(カード請求書同封の会員誌)制作などで、親会社からいただく仕事がほとんどでした。

2004年、「Web2.0」という言葉が流行しだします。「ウェブを使ってもっと〇〇しようぜ」という機運が高まる中、パルコデジタルマーケティングもWebサイトの構築運用や周辺サービスの事業を拡大していきます。この時期、自社ECの運営にもチャレンジしています。(2010年以降でEC事業はたたむことになるのですが、当時、身をもって学んだ「これをやったらいけないんだ」という数々の経験が、現在のECコンサルティングに役立っていたりもします。)

2007年にiPhoneの第1世代が発売され、2008年にはTwitterの日本語版が始まり、Facebookも日本上陸しました。情報へのタッチポイントやコミュニケーション手法が激変していくなかで、当社の事業もWebサイトを軸としたSNSマーケティング、ブログ、Web広告運用など広がりを見せていきました。

「広がりを見せ」などとさらっと書きましたが、自然発生的に広がったわけではもちろんありません。生き残るため、常に水面下でもがいていました。特筆すべきことではないかもしれませんが、開催される展示会に片っ端から行き、興味のある分野の会社と商談しまくる過程で理解を深め、付き合う企業や人を見極める目を養い、考え、提案し、つくり、走りながらブラッシュアップし・・そんな日々でした。

当時を知る、岡田執行役員。がむしゃらだった当事者でもあります。

PARCO以外の商業施設のお手伝いをさせていただく割合は、だんだんと増えていきました。PARCOのお仕事で培った経験や看板があったことは大きいです。今だから言えますが、親会社との会議で「取引先SCを100施設、業界シェア1割を目標にする!」と話したとき、「どうやってやるんだ?」と鼻で笑われた時もあったようです。そんな時でも「いつか(親会社の看板がなくても)業界を代表する会社になる」と信じ、時代にあわせてチャレンジをつづけ、お互いに切磋琢磨しながら自社が提供できることを増やしていっていました。

2009年の福岡パルコオープン時には、デジタルサイネージやTwitter、ショップブログを導入したり、2013年には名古屋パルコで人流解析、2015年にはロボット(Pepper)による接客の実証実験など、気づけば親会社に対して「これからの時代に合ったコミュニケーション戦略」の提案や、推進の旗振りをするまでになっていました。下請けひよっこが、失敗しながらも成長しつづけた20年だったと言えます。そしてそのストーリーは、今も続いています。

変わってゆく組織。変わらないカルチャー

少なかった社員も、事業拡大に伴い徐々に増えていきました。
設立当初は、30歳前後の従業員がほとんどだったため、特に努力しなくても自然な一体感があったと言えます。しかし、組織が拡大するにつれ年齢層や職種・出身などの幅も広がり、色々な意味で多様性が生まれてきました。2まわりも歳が離れていると価値観も違うので、「自分の価値観を基準にしゃべってはいけない」とお互いに意識して尊重しあう場面も増えてきたかもしれません。

当社は新卒を採用していないので、ほぼ中途採用メンバーになります。
職種もコンサルタント、デザイナー、エンジニアと様々。経験の有無を問わず「これがやりたい!」「こうなりたい!」「こういう世の中にしたい!」と意思をもって入社する人がほとんどです。

役員いわく「NPO的」。
会社設立時はぜんぜん自発的じゃなかったのに、気がつけば「こういう事をやりたい!」という人が集まる組織になっていた。なんだか不思議です。

1回内定を断ったんだけど、よその会社に行ったらなんか違ったので「やっぱ、いいですか」と戻ってきた・・とか、1回退職して他の会社で働いたんだけど「やっぱり戻ってきちゃった!」という人もチラホラ。どこが良かったんですかね・・・「面接が面白かったから」という声も聞きますが。
理性よりフィーリングなんでしょうか。ま、そういうの大事ですよね。

パルコデジタルマーケティングの仲間たち

「一緒にいるのが、尊いよね。」
目の前のクライアントの課題を解決しようと力を尽くす瞬間。よりよい世界をつくれる自分になるためにがんばる瞬間。力になってくれる仲間が一緒にいるって・・尊いやん。

私自身、さまざまな会社に所属していたことがあるので思うんですが、基本的にプロの集団なんだなと。みんなそれぞれ、デザインだったりシステムだったり営業だったり、自分のやりたいことがあって、仕事を「好き」でやっている。そんな人たちが集まって、臨機応変にチームを組み、精一杯のアウトプットを出して喜んでいただくことが、自分たちの喜び。

そんな集団がパルコデジタルマーケティングだと思います。これからもよろしくお願いします。

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