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差別と科学

共同通信社の記者2人が、差別とデマの問題に取り組みつつ実際に差別を受けている人々の抱える複雑な心境に想いを馳せ、ジャーナリズムのあるべき姿を模索するブログ記事「差別に向き合う ―記者とデスクのやりとりから」


正義は時として暴走する

ベースにあるのは1923年の関東大震災直後に起こった「福田村事件」と、この事件を扱った同名の映画。
 
香川県から出発し全国を周る15人の行商団

千葉県の福田村(現・野田市)に差し掛かったところ、方言が理解しづらかったことを理由に地元自警団から朝鮮人であることを疑われる。

その後暴行を受け死に至った、というこの上なくも悲しい事件。
 
香川・行商団出身地住民の「そっとしておいてほしい」という言葉を背に受け、地元民とどう向き合うか、差別をなくすにはどうしたらよいか、報道とはどうあるべきか、2人の記者の葛藤するさまが描かれています。
 
私がここで取り上げたいポイントは、この記事の最後の方にある「正義感の暴走」。
 
悪意による差別的言動ならある意味わかりやすい。
 
しかしそうでもないところが問題を複雑にしています。
 
関東大震災でも、多くの人が「善意で」「人々を守るために」朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ旨のデマ流布に加担した。
 
そして同様のことが101年後の2024年、能登半島地震でも繰り返されました。

「正しさ」はどこに?

牧野さん(記者の一人)は記事中、「何かを正しいと思って行動する時、その正しさが本当に正しいことなのか、常に考え続けなければならない、と痛感した」と指摘する。
 
その通りなのでしょう。
 
けれどもそれは容易いことではない。
 
正しいかどうかを考える際、なにを拠り所にするのか。

世の中に存在する問題は、得てしてとても複雑。
 
互いに反目する複数の立場のそれぞれに独自の正義があり、どれかが完全に正義でどれかが悪ということもない。
 
その中でも、妥当そうに見える解決策を皆で手繰り寄せていかなければならない。
 
その為に膨大な時間がかかることも珍しくなく、人的資源もそれなりに必要となるものです。
 
一方世の中には、ネットの世界を中心に善か悪か、白か悪かの二者択一的なわかりやすい論法が蔓延する。
 
多くの選択肢があるはずなのに少ししか無いかのような議論、科学的エビデンスを無視した議論、藁人形論法や「お前だって」論法など認知のバイアスを利用しミスリードを誘う論法など。
 
昨今はやっているらしい軽薄な論破主義などはその骨頂と言えるでしょう。

やっぱり論理

目の前の「正しさ」がどれほど正しいのかをより高い精度で推論する思考の礎、それは結局科学リテラシーにいきつくのでは、と私は考えます。
 
適正な科学リテラシーを、科学者のみならず一般人が広く身につけることで、バイアスなどに惑わされることなくよりましな真理、よりましな正しさに近づけるのではないか、と。
 
例えば今日日本人の死因トップのがん。

がん患者の不安な心につけ込むニセがん治療法が蔓延し、患者の命を脅かす実態があります。
 
「食い物にされるがん患者」

また、国立七大学の合同同窓団体・学士会は長きにわたり、疑似科学治療法・ホメオパシーの首謀者の一人で医師でもある人物を、イベントや発行物で重用してきました。
 
「学士会は疑似科学に手を貸すのか」

さらに、悲しいことに専門家がその専門分野で明らかなデマを流している実態もあります。
 
「デマを吹聴する『理論物理学者』保江邦夫」

先に正しい解決策の為には人的資源も必要と書きましたが、その人的資源の筆頭たるべき専門家がこれでは、果たして非専門の大多数の人はいかにしてその誤謬を見抜けるというのか。
 
そう思うと暗澹たる気分になってしまいます。

これらの実態は、あらゆる権威を用いあらゆる人の弱点や認知のゆがみを利用して、疑似科学が現実に我々の生活に入り込んでいることを示しています。

それに対する武器としての科学リテラシー。

しかし科学リテラシーの醸成なんて簡単に言ったところで、それは個人レベルでも困難さを伴うものであり、社会全体での底上げとなると相当困難が伴うのは言うまでもありません。

私はここに、一定程度ジャーナリズムの果たす役割があると思うのです。

ジャーナリストの真価が問われるところ、くらいに言っても良い。
 
こうしてこれを書いている今も、ヘイト投稿問題がニュースになっております。
 
「ヘイト投稿104件削除要請 川崎市、1回当たりで過去最多」

例えば特殊詐欺犯罪に対する対策は、現状受け子や出し子の逮捕がほぼもっぱらといったところ。

しかし本当はそれだけでは根本的解決にはならず、表に出てこない組織のトップや指示系統に捜査の手を及ぼす必要があります。
 
それと同じように、デマやヘイトの問題でも、現れた現象への対処はもちろん重要であり絶対やるべきこととしても、根本的なところでは科学的なものの見方の重要性を理解し科学思考を実査に身につけようとするモチベーションをまず社会構成人一人一人が持ち、そして実際にリテラシーを上げていくこと。
 
これは息の長い戦いになるでしょう。
 
そしてこの面でのジャーナリズムの役割に私は期待したいのです。
 
スクープ記事が出にくい科学記事の特質が(なぜスクープが出にくいかはいずれまた)、科学ネタで記事を構成しようとする記者を悩ませるところではあるでしょう。
 
その中でも、デマや中傷にまつわる実話と背景を探る彼らのような試みは、例えば論説やドキュメンタリーという形ででも、どんどん世に出して行って欲しいと思います。

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