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【生徒更新】余裕のような、やり切ったような、リラックスのような不思議な充実感

今回の内容は2020/2/10振り返りになっています。何故振り返りをするのか等は過去のブログ(下記記事)に書いてありますので、そちらを参照していただけると幸いです。

下記記事は昨日の記事になります

最近の問題点

最近のブログに成長がないと感じていました。いや、成長を感じることが出来ないと言うよりも、どのブログを見ても、後悔が無いなと感じています。後悔が無いと言うと聞こえが良いが、私は後悔は問題点を考えさせる機会を与えてくれ、それが私の成長の糧になると考えています。だからこそ、ある程度のこうした方が良かったという後悔は良い事ととらえています。

そこで、私のブログを見てみると、最近は【やり切った】という充実感を感じてばかりいます。そして、その充実感は今までの過去を肯定したくなるような充実感で、一日が充実していたという充実感ではないのです。

この充実感の何が問題かと言うと、体感でしか形容出来ないのですが、この充実感は全て終わってやり切ったという充実感に似ているのです。

元々、私はパラリアに東工大に入るために入ってきた。自分の限界を知りたかった。そんな理由でパラリアに来ました。そうして、ある程度結果も残して、順風満帆ではないけど、何とか成績を上げてきました。しかし、今の私は東工大に行ければ良いなという感情になってしまっていたのです。

これをポジティブに見ると、去年とは間反対でリラックスしながら東工大に臨めている。自分の実力を発揮しているというように捕らえることが出来ます。

しかし、ネガティブに見ると、あれ?そんな心意気だったけ?この感じだとまるで東工大に入れなくてももう満足してるということなのか?自分は何の為にパラリアに来たのか?となってしまいます。

包み隠さずに書くと、今の自分は自分に満足しています。そして東工大の問題を解いて、その距離を実感してしまうと、猶更今まで頑張ってきたんだから良いじゃないか。と簡単に言えば諦めではないですけど、学習院に行ければ全然浪人としては成功じゃないかと思ってしまうのです。

この感情じたい私には良いものなのか悪いものなのか良くわかっていません。しかし、一つだけ確かなのはこの感情によって勉強時間などは変化していないが、一問に対する熱意と焦りは消えたということです。

というのも、今まではこの東工の問題が解けなければ受からないという危機感でやっていました。しかし、最近は出来ない問題があると、出来るようにすればいいやと一問に対してかなり軽く、リラックスをして解いているように感じます。

正直この感情が合格に近づくものなのか遠ざかるものなのか分かりませんが、やることは変わらないので、これからも東工まで走り切りたいと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。また明日も読んでいただければ幸いです。

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