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全てを終えて…… 受験後

今日は志望校が終わってどのように思ったのかを書きたいと思います。試験でどのように過ごしたのか等は過去ブログ(下記記事)に書いてありますので、参考にして頂ければ、今回の回想でなぜ私がそのように思ったのかが理解しやすいと思います。

①試験が終わった

物理が不完全燃焼のまま第一志望の受験が終わりました。私は物凄く悔しかったのですが、それよりも「やれることはやったから後悔はしてない」という思いの方が強く残りました。

そして、私の志望校を最後にもう一度見て、駅に向かいました。

②一年間を振り返った

私は駅近くのカフェに行き、一年間について整理しようと思いました。私は「他と比べて頑張れたのか。後悔はないのか」ということを自問しました。

なぜなら、初めのうちは結果のみが全てだと思っていました。しかし試験前に講師に言われた「いい大学に行くことが全てではない。本当に大事なのは大学で何をするのかということなのではないか」という言葉から「結果を出すための過程と、その結果を受け入れ、その後の人生で糧にすることが大切だ」と思いました。

そして自問した自分なりの答えは、確かに私は「12月は勉強に行き詰まり、私はなんてダメなんだろう」、「こんな自分が嫌だ」と考えたこともありました。しかし「他の月は胸を張って勉強した」と言えるくらい勉強していました。なので私は後悔は不思議とありませんでした。

次になぜ余裕を持って終わらせることが出来なかったのだろうと考えました。私は「胸を張って勉強したといえるのに、試験前、なぜ不安なところがあったのか、なぜ全て完璧の状態に出来ていなかったのか」と問いました。

私は「結果に努力を結び付けられなかった理由は、以下の3点の中のどれかだろう」と思いました。その3点とは

「自分自身、どのようにしたら結果が出るか試行錯誤した結果、遠回りになり間に合わなかった」

「出来たことのレベルが低く、試験の必要な学力まで足りておらず、出来ていると錯覚していた」

「自分の中でどうやったら結果が出るのか分かり、出来たことのレベルも高かったが、試験当日のプレッシャーに負けてしまったから」

というものです。

③プレッシャーがあったから思うようにいかなかったのか?

まず、一番心あたりがある「プレッシャーに負けたからできなかった」というのについて考えました。私は「確かにプレッシャーに負けたな」と思いましたが、すぐに「本当にプレッシャーに負けただけなのか?」、「プレッシャーを感じているのは私だけじゃないはず」「それにもし、試験じゃなかったら本当に解けていたのか?」と考えました。

そして私は「冷静に考えると、プレッシャーがあってもなくても今回分からなかった問題は少なからずあり、それがもしプレッシャーがない状態で受けたとしてもきっと出来はしなかっただろう。」と考えました。

なので私は「プレッシャーや体調が悪いから、今のような状況になっているのではない」と考えました。

④自分の「出来た」のレベルはどうだったか

私は次に自分の「出来た」のレベルが試験の必要なレベルまで行っていたのかと考えました。私は数学は一問7分で満点をとれるように問題集を解いていました。しかし、実際は勉強した範囲も、思うように使えていなかった、というのが正直な感想でした。

私は「数学は覚えるものだ」と思っていました。なぜなら多くのネット情報や過去のパラリア生も言っていたので、それが正しいと信じていました。しかし、少なくとも私には合いませんでした。数学でやり方をどんなに真似て、「やった問題」については早く解け、当たるようになりましたが、なぜその操作をしているのかが分からない時もありました。しかしそれを蔑ろにし、その問題集を「完璧にすること」にばかり目が行き、「試験を解けるように成る」という風に無意識の中で考えられていませんでした。

数学以外にも英語でもそのように思っていました。「長文を読んでいても、英語を英語で読めるようにする」のにばかり目が行き、文型やどの単語が分からないのかを蔑ろにしていたと気づきました。物理も同様でした。だから結果が芳しくなかったのだと思いました。

⑤自分のあっているやり方に気づきそれに気づいた時には時間が足りなかったのか?

私は最後に「試行錯誤をしていて、結局時間が足りなくなってしまったのか」と考えました。私は確かに回り道は多かったと思います。なぜなら英語が伸びないから「このままではいけない。何か、何か変えなくては」思い次々と新たな参考書に手を出し、足元を見ていませんでした。

他にも焦って「今自分に何が必要なのか」を冷静に見れなくなって、焦っている自分に対して「頑張っている自分」という自己イメージを仮想して、満足していたのかもしれないと思いました。そこで私は次のように考えました。時間が足りなかったのではなく、

「やっている自分・考えている自分・焦っている自分をみて落ち着いていただけ」なのだと。また、初めに来た時から考えて、私の志望校は高すぎて時間が足りなかった可能性もあります。

しかし、伸びない原因を考えると、時間が足りないという理由では本当の解決にはならないと感じました。

⑦一年間パラリアで過ごしてどうだったのか

そして最後に自分にけじめをつけるように初めにパラリアに来た時に質問したようにあることを自分にも問いました。それは「パラリアに来てよかったか」ということです。

私は「一年間を振り返ると回り道がゼロだったとは言えない。でも他の塾なら今の自分に出会えていないと言い切れるし、こんなに私の人生で頑張れたという経験がなかったので、本当に来てよかった」と思いました。

それに「他の自習専門にしている塾では、自分の人生についてここまで深くは考えられなかったし、勉強をしない選択肢を考えられなかった。それに見つかった課題に向かって、自分で失敗しながら『それでも』と立ち向かっていける勇気は絶対つかない」と思いました。なので私は

この一年間パラリアにいて、ここを選んで、受かったかは分からないけど偏差値も考えられないくらい上がったし、本当に良かった」と思いました。

そうして自分の一年間反省を終え、電車に乗り、街を後にして私の受験は一区切りを迎えました。


最後に

今回で過去の回想は終わりです。ここまで読んで頂きありがとうございました。


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